鎌倉から、こんにちは

「鎌倉発、韓国ソウルまで。」
徒歩の旅を終えて、あらたなスタート!
鎌倉から日常のあれこれをお伝えしていきます。
9番ピッチャー星野君、4番キャッチャー田淵君。神宮で初めての女性による場内アナウンスです。

 
 

放研とは放送研究会。私が所属していた大学の文化系のクラブです。

浪人した結果、それまでの野球部入部をあきらめてラジオドラマのシナリオを書くために放研に入部しました。


 

そのOB/OGが集う「放研三田会」の第20回総会の日となりました。


 

OB/OGの参加は約120名、現役の幹部メンバーも招いての大掛かりな総会です。


 

 

総合司会は日本テレビの「Every」のレポート役で活躍中のアナウンサー藤田大介さん(55期)。

現役の3年生女子アナがアシスタントです。



 

山下名誉教授の会長挨拶、佐藤事務局統括による一年の活動報告の後、続いて会計報告・監査報告、
現役活動報告がスムースに進行しました。


 

今回のイベント企画は「〜それぞれの慶早戦〜 朝早くからの応援ご苦労様です」。

放研は神宮の六大学リーグ戦で裏方としてサポートしてきた長い歴史があります。

どの年代はどんなことをしていたか、実行委員会で調べて内容を取材し登壇の交渉した結果、

とても楽しい企画になりました。




 

年初の実行委員会で企画した時は予想もしなかった想定外の現実になったのです。

春季シリーズで母校は勝ち点4で優勝。27年ぶりの秋季春季の二連覇を成し遂げました。

慶早戦で勝利すれば完全優勝となるはずだった。

現役はその熱戦ぶりをダイジェストにまとめ会場ホールで先輩達に披露してくれました。

会場でスクリーンを見ながら、先輩後輩がまるで実戦を楽しんいるような錯覚になったのです。


 18期の板橋雅子さん、東雅子さん
 

50年前の「神宮球場で始めての女性場内アナウンス」の話です。

当時は六大学の野球部の男性が毎年順番に場内アナウンスを担当していて、

母校の担当の順番の年に神宮球場から女性でお願いしたいという事で、さっそく放研にお鉢が回ってきた。

当時、野球の(野)の字も知らない18期の女子大生二人が当日神宮へ。あわてたスタッフは、1は投手、
2は捕手、3は一塁手と懇切丁寧に教えてくれました。

翌週は別の18期の女子大生二人が神宮へ。「先週教えた二人は?」と不思議がり、再びスタッフは1は投手と、同じことを教えた後で「いちいち大変なので、先週と今週の4人だけにして」とお願いされた。
アナウンス部長の女子アナが毎週全員が貴重な経験をするという考えは頓挫したという。


 

そんな中、当時一年生から活躍していたのが明大の投手(星野仙一)、法大の捕手(田淵幸一)。

そこで、「9番ピッチャー星野君**高校」、「4番キャッチャー田淵君**高校」
というアナウンスになった訳です。

50年前の事ですが良く覚えていましたが若い後輩はどこまで具体的にその凄さを理解してくれたのか心配です。
(ちなみに、この出来事は当時のスポーツ新聞の記事になり、放研三田会のアーカイブ資料として残しました)。


43期、61期の若い後輩の頃になると試合前の応援合戦のMC(セレモニーの司会役)、つまり応援席の学生を元気づける役ですが、どのような活動だったかのレポートです。

歴代の女性アナがダッグアウトの上で、大声をあげて声援するのです。いろいろな経験を話してくれました。

最後は慶早戦の3回戦でMCを務めた現役女子アナ君が、ステージで迫力ある実演をしてくれました。
(調べると、当時「バンド合戦」として僕らの20期の女子アナがMCに立っていた事実が判明しました)。

 
 
ステージで記念写真です。

さて会場を変えて生協食堂を借り切っての第二部の懇親会です。

現役を交えて150人ほどの大宴会です。

現役の一年生で未成年は胸に「U20」のマーク、お酒を飲ませません。



 

ここでも活動報告があります。「就職活動相談会」の報告。
先輩OBが現役の就活メンバーに「エントリーシートの書き方」「働く意味」などを指導します。 


 

「ハイキング部会」の報告。3分のはずが5分以上に。
楽しかったあのときのハイキング、きつかったあの時のハイキングと、止まりません。


 

「ゴルフ部会」の報告も3分のはずが、負けずと5分以上に。
運営メンバーの後輩たちは、元気な先輩のコメントオーバーを許しています。




そのあとも、会場内はにぎやかに懇談が続きます。
私も記念写真を撮ってもらいました。




 

最後は恒例の「丘の上」「若き血」を全員が肩を組んで歌います。

現役代表のエールです。


 

総合司会の藤田大介さん、和歌山の事件の中継から、台風のレポートの合間に、母校のイベントの総合司会。
急な取材仕事が入らないように特別休暇を取ってのボランティア精神豊かなお仕事(?)ありがとう。
本当にすべてに配慮した進行、お疲れ様でした。




さらに後輩で60期の天野裕真君、65期の山崎真君も、日本テレビの若手アナウンサーとして
活躍しています。(山崎さん、今日テレビで見ましたよ)。



 

実行委員長の35期の星野さん、お疲れ様でした。

一部プロデューサーの40期の高橋さん、いい企画をありがとう。

二部プロデューサーの45期の山口さん、50期の永井さんお疲れ様でした。

 

放研三田会の運営のコアメンバーの世代交代で、ますます組織がパワーアップしました。

 

18期も若い佐藤博之さんに事務局運営を世代交代して数年。
本当に若いネットワークが広がりパワーアップしました。
老兵は死なず、ただ消え去るのみ。
最近は事務局担当補佐の黒子として会の運営を楽しくサポートしています。

さて二次会は、古希前後のシニアメンバー23人(17期から21期)と三田仲通りの一番奥にある
いつもの店に流れ込みました。

更にお店をかえて残った12名が11時過ぎまで飲んで喋って、しぶといシニアパワー炸裂の夜でした。

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 17:56 | comments(0) | - | - | - |
「私の企画案がまずかった。ごめんなさい」。たった5人のハイキング。でも充実した歩きでした。



「私の企画案がまずかったんです。ごめんなさい」。

横須賀駅に集合した大学のハイキング仲間への第一声だった。

今日は晴れた!恒例の初夏のハイキング。しかし、通常は20名前後の参加者が居るのだが、

翌週末の「放研三田会総会」が続き、2週連続の放研三田会のイベントが重なり、

常連メンバーも含んで多くの不参加者が出たのだ。

生憎、幹事のひとりが健康上の都合で、私が一人幹事役で立ち回ることになった。

結果的には2人の当日キャンセルも含めて今回のハイキング参加者は私含めて5名になってしまった。

今回は横須賀の街散策で、海を渡り無人島の猿島散策も楽しもうという企画だ。


 

駅前のヴェルニー記念館の見学からスタートだ。

横須賀造船所を建設したフランス人のヴェルニー氏の功績を称えて、蒸気を動力としてハンマーを,

持ち上げ落下させる大きなスティームハンマーの陳列が楽しめる。

明治初期に導入したようだ。



 

次にランチでにぎわうまでには、ちょっと早いが「どぶ板横丁」を散策。

シンボルのTシャツも売っている。


 

徒歩30分で三笠公園に到着、日露戦争で知られた戦艦「三笠」の前に東郷平八郎司令長官の像がある。

早速5人の記念写真だ。逆光の割には良く撮れた。


 

11時半の連絡船に乗り、猿島を目指して船は進む。

かつては軍の要塞として使われた猿島は、今では豊富な自然と歴史的な建造物が残された無人島だという。

BBQを楽しむ家族連れ、若者たちで浜は賑わっている。


 

Welcomeの桟橋に降りて、さっそく島の中心部、旧要塞施設が並ぶ切通しを抜けて,
島の中央部へすすみます。




フランス積みの煉瓦造りのトンネルがある。中には砲台地下施設がある。



 

山の頂上にある司令塔施設に繋がる階段。



 

続いて砲台跡に繋がるトンネル。島の中には4,5か所の砲台跡がある。


 

海をバックに砲台跡で記念写真。


 

この後30mも下る階段を降りて、日蓮洞窟を見学する。蒸し暑い中、汗ダクダクの見学だった。



 

この後、島の中心部の散策路を下ったり登ったりで観音崎が望める広場でひと休憩。


 

向こう岸の山の上には防衛大学が見える。


 

乗船前に海を覗くと、本当に澄んだ海岸だ。思わず泳ぎたくなるような気持ちにさせる。


 

2時間ほどの猿島散策を楽しみ、船上のさわやかな風に吹かれて三笠桟橋へ戻る。

島の連絡船の最終便は5時である。

『もしも乗り遅れた方は連絡ください。その場合は別途料金を戴きます』

横須賀市の条例で猿島には泊まることは出来ない。火器の持ち込みもできない。
BBQなどは島の管理下で行う。
中には悪質な連中もいると聞き、その場合は警察が出動するか、
連絡船会社の場合のチャーター船手配はペナルティーで、
約8万円の請求のケースもあるという。

 


 

この後、横須賀中央駅を抜けて「自然・人文博物館」で、横須賀で化石が見つかったナウマンゾウの
骨格模型などを見学し、懇親会の店に向かった。



最後の中央公園に登ることは、パスして生ビールが早く飲みたいと。

 

約11キロの徒歩のハイキングの後はうまい魚と冷たい生ビールで、
時間の立つのを忘れるように、楽しい打ち上げになったことは言うまでもない。
昨年の秋のハイキングは秋の台風の影響で、前日に中止決定だった。
梅雨の合間の長雨の中、わずかな一日だけのの快晴。我々5人にとってはラッキーな一日であった。

 

次回は参加者が20名復活のコース案を考えてある。

武蔵野の玉川上水沿いを歩く企画で、今日のように登り坂、下り坂のないコースになるはずだ。

乞う!ご期待だ。

 

| team-mamiya | from-mamiya「徒歩の話」 | 14:30 | comments(0) | - | - | - |
3年ぶりの和光学園同窓会。前回のパーティーは海外で欠席し、「マミタケはなぜ来ない!」と。

 



「マミタケはなんで来てないの!」

前回のパーティで、私は事情により欠席をしました。
英語の谷岡みち先生が「マミタケはなんで来ていない!」と後日仲間に教えられた。
なので、帰国後にすぐさまクラス仲間数名と先生のお宅近くでランチをしました。

今回は元副会長で評議委員の私は絶対に欠席できない。が、谷岡先生は欠席だった。

6月2日、新宿のヒルトンホテルで和光学園の3年ぶりの同窓会が開かれました。
「マミタケ」とは和光学園時代のニックネームです。今でいう「キムタク」と同じ氏名を略した呼び方です。
昔は榎本健一さんを「エノケン」と呼びました。若い方はわからないでしょうね。



 

受付で、ひさしぶりにやっちん(田辺靖雄さん)に会いました。
ひとクラス下のやっちんは毎回欠席せずに参加しています。

現在は「日本歌手協会」の8代目会長として8年目。
初代は東海林太郎さんが会長で、藤山一郎さん、ディックミネさんと続き、前任者はペギー葉山さんです。
やっちんも、大変重い役目で、今は大変な貫録です。

 

 

西尾会長の挨拶です。同窓会法人化の意味をやさしく説明していました。

懇談が始まり、我がテーブルは1級下の仲間で満席。私のクラスは私一人なので一緒に座りました。


 

やっちんのクラス担当だった吉崎高弘(当時)先生を囲んで記念写真です。僕より10歳年上です。


 

酒豪の吉崎さんも今日は控えめでした。

西尾さんは同窓会会長、私たちと同じく卒業生枠の評議委員会の理事です。


 

河野さんは画家で評議委員です。いつも会議では隣に座ります。
茅ヶ崎なので夜遅く終わる「評議委員会」では、車で鎌倉まで送ってくれます。
いつもありがとうです。


 

ひげの高田さんも画家で評議委員です。
和光は音楽家の三枝成彰さん、彫刻家の船越桂さん、映画監督の根岸吉太郎さん、

女優の佐々木愛さんなど、多彩な方々が周りにたくさんおります。


 

和光の昔の思い出があふれて来ます。


 

小学校の入学式。経堂の校門の庭です。終戦間もないころのレトロな時代を感じさせますね。



文化祭で「ぼくらのみこしだ」。私の絵が飾ってあります。



読書会で「アリババと40人の盗賊」を読んでいます。



運動会のひとコマですね。手前はワンタン(渡瀬さん)



中津川の遠足。菅井君(ニットキン)と川島君(カバ公)。



小学校の卒業式は新しい正門前で。男の子はジャケットでネクタイ姿もだいぶいます。



中学では軽井沢のキャンプです。男の子はクラス仲間の別荘の庭にテントを張ってねました。

後列の一番右に20代の背の高い吉崎高弘先生が居ます。
後年は武蔵野美術大学の副学長を勤めました。




なんといっても一番の思い出は千葉の館山での遠泳合宿です。
写真は中3の夏、限られたメンバーで6kmの沖ノ島遠泳です。
後列の左から3人は先輩の遠泳コーチです。
中学に入りプールで25mしか泳げなかった私が、1年生でいきなり3kmの鷹の島遠泳に加わり。
2年3年生では6kmの沖ノ島遠泳。
3年生の時は台風が近づいて悪天候なので、遠泳メンバーを絞り私が遠泳隊長でした。

予定より大分少ないメンバーで泳ぎました。水温がとても低かったことを覚えています。
この遠泳合宿はいまでも無事故で続いています。



 

中学の卒業式では、親と一緒の写真です。
小さな写真ですがいまでも誰のお母さんか、はっきりわかります。

男女あわせて28名の小さなクラスでしたから。

 

ここに2007年の同窓会の写真があります。11年前ですね。少し若いです。


 

今回はクラスでは私一人の参加でしたが、この回はクラスの仲間が数人参加しました。
私の右がなんでも知っているので(じいさん)、そして大場こと(おばちゃん)、
長谷部(はんぺん)、カバ公。前列はセイコとミナミ。

 



この時も田辺君(やっちん)と並んで同じテーブルに座りました。


 

ステージではミッキーカーチスがやっちんを呼んで、ミニコンサートを行ったのが印象的でした。



今回のこのメンバーは次回も参加するでしょうが、次回は多分3年後です。
同窓会事務局幹事は、メンバーの維持拡大が大変なテーマです。

若手への世代交代がカギですね。

どこも同窓会、OB会の悩みは共通しています。

 

| team-mamiya | from-mamiya『和光学園』の話 | 23:04 | comments(0) | - | - | - |
5月の最終日曜日。高校15期D組のクラス会だよ。今年もよく集まった。


 

 

5月27日(日)。5月の最終日曜日は年に一度の高校15期D組のクラス会です。

今回は四谷三丁目のとある企業の四谷クラブの御座敷に集まった。

公認会計士のTS君。まだ現役ですが、最近は時間に余裕を持てて、

ゴルフや囲碁、合気道に力を入れているとのこと。

会場を押さえてくれたので代表して乾杯の音頭です。はじめから仲間の顔は笑顔に満ちている。
 

 


 

 

スピーチの一番バッターは、昨年は珍しく事情ありで欠席だったKY君。
 

 


 

 

房総の館山の隠れ家の部屋には、彼のたくさんの著作が並んでいる。俳人、農夫、作家。

いまの私にとっては、とても羨ましい活躍ぶりである。

 

幹事で司会のYF君が、うっかりスピーチの内容は「病気」と「孫」の話は禁止と言い忘れて、

早速、仲間のスピーチは体の具合と孫の運動会などの話が続いた。

 


 

 

私は昨年から始めた大学という名の学校での勉強の話と、
健脚の私が、電車に乗り遅れまいと走り、道で転んで手で体を受け止め、
大変な目にあった話でみんなの受けを狙った。
最近、特に右足が上がりきれずに、突っかかることがある。
そんな人が、いきなり走ってはいけないのだと。

また、書斎でパソコンい向かって座りすぎて「腰部捻挫」という珍しい怪我になった話も付け加えた。

私のスピーチは(怪我)の話で(病気)の話ではないと言い張った。

 


 

 

記念写真。男性7名、女性9名の合計16名。

このところ、大体こんな人数になってきた。参加者は、やっぱり元気な仲間で、
参加するメンバーは固定的になってきた。

今日はスピーチをする仲間の顔のアップ写真だけを撮っていたので、ブログにしにくい。

仲間の元気な姿と変わらない容姿を思い出して、最近のクラス会の写真をピックアップしてみた。どうだろうか。

 


 

 

2017年は小石川後楽園で、幹事が部屋を押さえてくれた。
 

 


 

 

クラス会にはもったいないほどの庭園である。
 

 


 

 

この日のビッグイベントは登山家で釣り名人のYT君が、
この日のために遠海の深海で釣れる紅鮟鱇(べにあんこう)を持参して、刺身におろしてくれた。
プロ並みの手さばきである。

 

 


 

 

記念写真は久しぶりに屋外で撮りました。

 

2016年は、5年続けての新宿プリンスのトリアノン。5月の最終日曜日にトリアノン集合。
誰もが、覚えやすいというアイデアだ。

 

 


 

 

毎年解散時に一年後の予約を取るので、幹事は助かります。
 

 


 

 

手を振り回しながら、この日は何を話したのかな。もう忘れた。

 


 

 

 

2015年。トリアノン。

いつものメンバーが集まった。

 

2014年

同じくトリアノン。いつものメンバーが元気に集まった。
 

 

 

2013年

同じくトリアノン。私が幹事だった。席の予約は1年前のクラス会の後で済ませてある。

みなさんのスピーチは「病気」と「孫」の話題は禁止で始めたところ、みなさん工夫して考えたので、

たくさん楽しい話題が飛び出しました。
 

 


 

 

私の話は、鎌倉市と韓国の安東市との姉妹都市提携が迫っていた頃で、

8年がかりでの夢の達成を語っていたと思う。
 

 

 

2012年

 

新宿プリンスホテルのトリアノンをはじめて幹事が予約したのだ。

みなさんが、いろいろな方面から集まるので、やはり新宿は便利な街なのだろう。幹事のお手柄だ。
 

 


 

 

二次会に向かう途中でオープン撮影の記念写真。

二次会は都庁の北側でティールームのオーナーAKさんのお店で貸切。

ケーキとコーヒーでゆっくり二次会を愉しんだ。

  

2011年

幹事は苦労して企業のクラブを予約したと思います。

席は結構バラバラのレイアウトだった。

苦心して二次会は、ミンアが一緒に話せる、ちゃんとしたレストランだった。

 

この頃からクラス会は1年おきではなく、毎年開催しようとなった。

仲間の年齢は65歳だった。

いわゆる前期高齢者になったのだ。

(私は”元気高齢者”と名付けているが、なかなか流行らない)。

 

2007年

杉並のとある町のレストランだった。
 

 


 

 

私は韓国の赴任を終えて2年後、久しぶりに参加した思い出がある。

 

2005年の5月の最終日曜日に行ったクラス会は、ちょうど鎌倉=ソウル2328キロを踏破して、

ソウルでNHKラジオに出演していた。なので不参加だった。

 

参加するメンバーは何故か元気だ。とにかく、よく喋る。よく飲む。

50人のクラスで退職後は25名前後の参加者だったが、最近は15名〜18名の参加者にとどまっている。

しかし、何かの原因でハンデキャップを課せられた仲間も、何とか平気な顔して参加してくる。

ノンアルコールか、ウーロン茶でも、二次会、三次会と、ほとんどが帰らない。
毎回、札幌から参加する人気者のSM君が来ているので、大体三次会まで残っている。
時間にすると、12時から夜の8時くらいまで老々男女が帰らない。

 

来年の幹事は私に決まった。2014年以来、5年ぶりの幹事だ。

とにかく、楽しいクラス会をマネージメントしたいと思う。

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 20:52 | comments(0) | - | - | - |
角を曲がると、旅がはじまる。知らない道歩きました。

 
 

平日の朝、湘南は朝から日本晴れ。早速短パンで歩き始めました。

今日は、坂道中心に歩くので七里ヶ浜住宅街を歩きます。

134号線を七里ヶ浜高校とプリンスホテルの間の坂道から上ります。

振り向くと青い海が見えます。


 

日蓮の雨乞いの池の前に来ました。ここから住宅街へ急な坂道になりますが、

いつもは通り過ぎる左の道へ入ります。


 

「角を曲がると、旅がはじまる」永六輔さんの言葉だ。


 

ここは車や人通りの少ない登り坂が続きます。


 

ひたすら上ります。

「この先行き止まり」が気になりますが、歩いているには関係ないでしょう。


 

まだまだ登ります。ここに生活しているお年寄りはどうしているのでしょう。


 

急な階段を降りると、江ノ電の側道。いつもの道にでた。

すぐ近くの細い生活道路を、踏切を越えて登ります。


 


 

階段をゆっくり上ります。

陽のあたる坂道。(石坂洋次郎の小説)石原裕次郎が主演の映画。

この道は少しイメージが違います。

 

右手には太平洋が見えます。


 

電信柱には七里が浜2丁目とあります。いずれにしても近くの町内には違いない。


 

いつも住宅街に出て来た。


 

アジサイが咲き始めています。


 

目の前は、いつもの江の島。白灯台が見える。

家から白灯台まで往復1万歩。7キロの場所だ。


 

海が開けて見えます。朝陽の中で好きな場所のひとつです。


 

見おろすと134号線の走る海。


 

坂を下ると鎌倉高校駅。


 

踏切にはどこかの国の観光客がたくさん集まっている。

住人には大変迷惑な話だ。

 

しかし、私がソウルに住んでいた頃は日本からオバチャン達が「冬のソナタ」の

人気場面の高校の正門に、このように平日もたくさん集まってきたことを思い出す。

歴史は繰り返すのことわざの通りだ。気にしない、気にしない。

 

さぁ、シャワーを浴びたら東京に出かけるぞ。

 

| team-mamiya | from-mamiya「徒歩の話」 | 14:02 | comments(0) | - | - | - |
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