鎌倉から、こんにちは

「鎌倉発、韓国ソウルまで。」
徒歩の旅を終えて、ずいぶん時が経ちました。
鎌倉の事、徒歩の事、その他の事。
鎌倉から日常のあれこれをお伝えしていきます。
200日ぶりの日比谷へ。知らないうちに変わっていた。べらたけ日記。

 

 

野暮用があって、10年関係していていた日比谷の仕事場へ行った。

 

 

オフィスの隣の帝国ホテル、最上階に仕事場のある日比谷シャンテがそびえる様に……。

 

 

「TOKYO MIDTOWN HIBIYA」には、大勢の人々が出入りしている。

 

200日も鎌倉で自粛生活をしていて、ひさしぶりの東京で気がついた。

鎌倉では、人が近くにいない場合は、マスクを外して歩いていた。

行きの横須賀線の車中では客席が空いていても自分のマスクは外さない。

 

新橋駅を降りてJRのガード下横の道を歩いて日比谷オフィスに向かう。

行き交う人々は、すべてマスクをして歩いている。

色とりどりのマスクの大行進だ。

真っ黒なマスクは、どうも気に入らない。

日本人には似合わないと前から感じている。 

この光景を見て、やっぱり、まだ東京は怖いと実感した。

 

 

いつものラウンジからの風景は変わりようがない。

野暮用が済んで、銀座の街でもブラブラしたいが、

電車の空いているうちに鎌倉へ帰ろうと。

 

 

 

新橋に向かうJRガード下に洒落たお店が並んでいる。

道路の側からは、どうやって入るのだろうと考えていたら、途中に入口があった。

中に入って驚いた。

 

 

開店祝いの花が乱立しているではないか。

 

 

それも、ガード下の地下街にふさわしくないおしゃれな店ばかりだ。

この地下街のネーミングはわからないまま新橋駅方面に、歩いていた。

 

 

ごく自然に一人前8000円のステーキの店がある。

なんだ、なんだ。仕事場にいた頃に選んだランチの店とは大違いだ。

 

真ん中の通り道を新橋の出口で出た。

 

 

おしゃれな案内版があった。

真ん中のプロムナードは「OKUROJI」となっていた。

奥路地のことだろう。

帰宅してネットで調べてみた。

 

ひそむ、ひそむ 「HIBIYA OKUROJI」

9・10 Grand Open

 

 

100年の歴史を持つ高架下

日比谷の奥にひそむ、ツウな大人の通い道

そこは明治生まれの煉瓦アーチを活かした、深いこだわりが集う

300mの高架下空間

 

なんとオープンして、まだ1週間もたっていない。

どうりで、すべてのお店の前には蘭の花が、これでもかと華やかに飾ってあった。

 

 

しかし、表の通りには懐かしい昭和の香りのする「新橋ガード下横丁」や、

「銀座裏コリドー」がちゃんと残っている。

 

 

ガードの上を走る湘南電車は、高架下の大変化に気がついているのだろうか。

 

 

どんな客層がこの新しい『奥路地』の店に集うのかなと、思いを巡らし、

新橋で横須賀線に乗った。

 

5時過ぎの電車は、早めの午後とは大違いで、ほぼ満員のラッシュアワー寸前の様相だ。

平日の乗客が、寄り道をせずに湘南に向かって真っすぐ帰宅する姿を見た。

 

このアンバランスはコロナ禍の終息まで続くのだろう。

まだまだ、当分は時間は掛かるのだろう。

当然、帰途は座席に座れずに、読みかけの単行本を広げることはできなかった。

 

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 19:27 | comments(0) | - | - | - |
敬老の日と老人の日の違いってナニ? べらたけ日記。

 

9月になると「老人の日」がやって来る。

ところが「敬老の日」が祝日マークになっている。

この違いはなんだろうと思い改めて調べてみた。

 

「敬老の日」は、主に社会貢献してきた老人を尊敬する日。

「老人の日」は老人福祉に関してまわりの人々が理解を深める日。

他にも、老人の生活を向上させられるよう促進する日でもある。

 

 

「敬老の日」は9月の第3月曜日に設定された日本の祝日。

「老人の日」は祝日ではなく記念日として9月15日に設定されている。

老人福祉法では9月15日から21日までの1週間を老人週間としている。

 

知らなかった。

 

 

 

鎌倉市役所から、記念品として内閣総理大臣のお祝い状と銀杯が届いた。

それも配達希望日の二日前に届いた。

(つい最近までは銀杯は純銀だったが、あまりに対象者が増えたので銀メッキに変わった)

 

こちらは少しでも早く戴きたいなと思っていたので市役所の担当者に連絡してみた。

 

国から神奈川県を通じて市へ該当者の確認作業が4月ごろから始まっていた。

該当者は生年月日が1920年(大正9年)4月1日から,

1921年(大正10年)3月31日までの方。

 

母はまだ99歳だが、国は数え歳でお祝いしてくれる。

ちなみに鎌倉市で今年の百寿該当者は82人だという。

人口17万人の中で82人とは、想像以上に多かった。

鎌倉市は神奈川県でも高齢者比率が最も多い市でもあるようだ。

 

お祝い状(賞状)には

あなたが百歳のご長寿を達成されたことは誠に慶賀にたえません。

ご長寿をことほぐこの日に当たりここに記念品を贈りこれを祝します。

令和2年9月15日 

内閣総理大臣 安倍晋三

 

9月15日は「老人の日」になっている。

市からの猊敢个魴泙┐蕕譴襪澆覆気泙忰

「敬老お祝い品の贈呈について」とある。

 

さっそく二人の妹とホームへ向かった。

いつものアクリル板をはさんだ訪問コーナーで、母に直接、記念品を届けた。

 

 

最初はぽかんとしていたが、筒から大きな表彰状を自ら手にして……。

 

「えっ。ホント!うれしいわ。欲しいと言っても、なかなかもらえるものではない」

賞状をジッと見ながら、とつとつと読み始めた。

最後の牋打椰源悪瓩泙如△靴辰りと声を出して読んでいた。

 

「安倍さんにお礼状を出さないと」

想像していない発言だった。

母は、いつも「お礼はしたの」と聞いてくるのだった。

 

この年代の人々は銀杯という品物より、賞状に敏感に反応するのだと改めて感じた。

確かに幼少の頃の荏原区(現:目黒区)の体育大会での1等賞の賞状や、

後年に始めた布の貼り絵(裂画)で、フジサンケイグループのコンクールで、

戴いた最優秀賞の賞状が大事に保存されている。

 

 

その受賞作品「のうぜんかつら」。

 

「百歳のここまで生きてこれたのは、3人の子供がいたから……」

「みんないい子で、健康な子たちで、私はここまで生きられて、本当にうれしい」

 

このお祝い状を手にした会話はスマホで動画にして、子供たちにも配信した。

 

日に日に年齢相当に体が弱っている今日この頃、

お祝いが間に合って私はホッとしている。

 

なにより9月15日には安倍さんに変わり、

新しい内閣総理大臣に変わっているはずだ。

国の手続きや準備の都合上、安倍さんの名前のママで受賞。

 

 

賞状の紋章は桐の葉。日本国政府の紋章なのだ。

 

母も良く知っている安倍晋三さんからの賞状を頂き、ほんとに喜んでいる。

今日は、いつもより長い面会時間で、想像以上に元気な面会になった。

喋るのをやめて居眠りするように、

いつもの「疲れた」「だるい」が無く、今日はおしゃべりをやめない。

ひさしぶりの会話のやりとりが続いた。

 

少しでも長生きして満100歳の誕生日を迎えてくれることを祈っている。

 

その時は犇綵渋紂覆海箸茵豊瓩箸いμ樵阿自分で宣言した、

猊澗紂覆發發茵豊瓩砲覆襪呂困澄

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 11:53 | comments(0) | - | - | - |
早いもので9月になってしまった。半年、東京へ行っていない。べらたけ日記。

 

 

爛▲検△気弌回遊魚瓩了笋、コロナ禍の中、鎌倉に蟄居状態が続く。

よくも、じーっと根魚(寝魚)のように我慢していられるものだ。

 

誕生日イベントも終わり、また単調で、単調で、単調な毎日が続いている。

 

 

葉山で行う孫の運動会は、無観客に近い子供1人に家族2名と制限がついた。

軒並み幼稚園イベントが中止の中、よく実施を決断したものだ。

応援が出来ずに残念だ。

息子夫婦のビデオレポートが待ち遠しい。

 

 

 

私の小さな頃の思い出に、教室で自分が好きな本を紹介することがあった。

その時に私の選んだ本は「アリババと40人の盗賊」。

とても好きだった。

アリババ、カシム、バグダッド、ひらけゴマという言葉は憶えていた。

 

 

Amazonプライムで、同じタイトルの映画を見つけた。

私が生まれる前に制作された映画だ。

それもハリウッド作品は総天然色映画。ワクワクして鑑賞した。

ところが私の知っていたストーリーとは、全く違っていた。

 

物語はアリババの召使のモルディアナの知恵で、すべて盗賊をやっつけてしまった。

しかし、映画にはモルディアナは出てこない。

 

王家の紋章の首飾りを胸に、アリババは父を裏切った大公に復讐を誓うが、

その大公が嫁にとるのは、幼い頃に愛を誓った許嫁のジャミール。

その父親はカシムであった。

物語ではアリババとカシムは兄弟だった。

 

映画ではアリババと王女ジャミールのラブストリーに変わっていた。

しかし、悪役のカシムの運命は、最後は罰で殺される設定は同じだった。

 

 

ついでに「アラビアンナイト」も同じようにドキドキして見た。

 

 

最近、ブログで父の戦争体験を掲載したが、

父からは、あまり詳しい話を聞いていない。

 

当時の戦争映画を立て続けに見ることにした。

 

 

「独立愚連隊」

当時、劇場では見なかったが、確かに面白かった!

大陸を舞台としているからか、映画のシーンは広がる丘陵など壮大な空間が多かった。

太平洋戦争末期、北支戦線の山岳地帯を舞台とする戦争アクション活劇。

佐藤允が主役。

 

岡本喜八監督は仲代達矢を選んだが「人間の条件」の撮影に入っていたので断られた。

 

 

そこで主役は佐藤允になった。チャールズ・ブロンソンに風貌が似ている。

この映画はモノクロだった。

 

「独立愚連隊西へ」

続いて見たのは加山雄三が登場するが、主役は佐藤允だ。

 

 

こちらは前作よりもコメディタッチの喜八映画になっている。

戦争という悲惨さをコミックに描いた娯楽映画だった。

 

 

「消えた中隊」

続いてAmazonプライムの画面に現れたのが「消えた中隊」。

辰巳柳太郎、島田正吾の新国劇総出演。脚本は黒沢明、菊島隆三の新進コンビ。

 

当時の日活は、裕次郎時代以前の筋の入った硬派の映画作りだった。

驚いた。なんとロケ地は、軽井沢。

当時はこのような荒れ地のシーンが、軽井沢で撮れたのだ。

 

 

「ビルマの竪琴」

これは中学生の頃、劇場で見た映画だった。

監督・市川崑、脚本・和田夏十のコンビ

安井昌二主演。三国連太郎助演。西村晃は脇役だった。

 

ビルマにおける日本軍の戦況は悪化の一途をたどっていた。

日本軍のある小隊では、音楽学校出身の隊長が隊員に合唱を教え込んでいた。

映画の節々で「埴生の宿」が日本語や英語で聞こえてくる。

 

 

なんといっても忘れられないシーンは、

「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ」というインコの声。

この言葉が印象的だった。

 

後に劇場で新国劇の「ビルマの竪琴」を父と見たことがある。

この時の水島上等兵は、島田正吾が演じていた。

 

 

新国劇は、動の辰巳柳太郎、静の島田正吾。

父は極めつけの新国劇ファンだった。

 

 

どちらかというと島田正吾が好きで、

いつも酔うと、島田正吾の物まねを好んでしていた。

 

有り余る時間の中で、これからどんな映画を漂流するのだろうか。

これに加えて、Netflixも、テレビ画面だけでなく、

パソコン画面でも見られるようにした。

 

こんな生活が、いつまで続くのだろうか。

 

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 18:58 | comments(0) | - | - | - |
バカラのショットグラス、とれとれのトウモロコシ、Tシャツ、ビールがやって来た。べらたけ日記。

 

「高橋さんに感謝しないと、いけないですよ」と、小ぶりの段ボールを書斎に持ってきた。

 

「あなた宛ての宅配だけれど『苦しいよ!早く出してくれって』って声が聞こえたの」

「とれとれのトウモロコシを段ボールから早く出してあげたの」と。

「あらら、底にドリアやリゾットのプレゼントもあるわ」さらに驚いている。

「高橋さんは、ちゃんとあなたの体を考えているのよ。全部、糖質想いだわ」

「糖質想いのチキンドリアのミートドリアも。ほんとうに、いい友達ね」

 

これは家人との会話である。

今年も真夏に私の誕生日がやって来たのだ。

 

 

まず、配達日指定でバカラのショットグラスが来た。

誕生日カードには、メッセージがない。

 

 

次に段ボールにいっぱいの、爐箸譴箸讚瓩離肇Ε皀蹈灰靴。

自家製のブルーベリーも入っていた。

 

バカラのショットグラスも、トウモロコシも送り主は高橋さん。

ひとりは有楽町のバカラの店から。

もう一人は信州原村の家庭菜園から。

ひとりは爛轡礇き瓩聞盒兇気鵝

もう一人は倏血漢瓩旅盒兇気鵝

二人は、ほとんど同じ同年代だ。

 

誕生日の日にちをずらして、息子たちや孫たちの襲来だ。

「おじいちゃん。ユーチューブ(YOUTUBE)ばかり見ていると馬鹿になるよ」

トッキーが歩きながら、偉そうに言う。

いつも(かあか)か(とおと)に言われているに違いないと思ったが、

いきなり大人っぽい発言だ。

 

 

「オセロをやっているときはトキオに大事な手を教えないで」

兄のKip君もトッキーも、あるマスに石を置くと、かなりの石が反転して、

それぞれの色の石に逆転する展開になるところだった。

二人はかなり真剣勝負だ。

 

かつてKip君との勝負で四隅のマスを全部取ったにもかかわらず、

2点差で負けたことがある。

 

「何か食べたいものはあるの」と家人の質問に

「おにく!!」と二人が揃って言う。

「おじいちゃんの家は、オモチャは楽しいけれど、料理は大人系だぁ」

と、言っていたKip君は、もう大人系のリクエストだ。

 

 

「夕方になったので、海辺まで買い物に行きましょう」

と家人、長男家族と次男のウォーキングになった。

 

 

湘南モノレールの「湘南江の島駅」のルーフテラスで夕方の景色を楽しんだ。

最近覚えた犲觝躾Л瓩龍だ。

朱鷺が羽を広げた時に見える色。薄黄色に一筋の桃色が走る。

 

帰り道の路地裏で長男の地元の友だちが、庭で酒盛りをしていた。

「やぁ、やぁ」とその仲間に息子と一緒に混ざってしまった。

 

 

私も10分ばかり、缶酎ハイのご相伴にあずかった。

息子たちは地元の友だちが多い。

東京育ちの私にはない、いつもの地域社会だ。

大人になっても、そのまま関係が続いているのだ。

 

 

家に帰ったら、風呂でさっぱりの後は、さっそく誕生日食事会だ。

お肉を焼き、お赤飯、マグロのトロ丼。

 

 

満腹になったところで、誕生日のキャンドルタイム。

今日はキャンドルを吹くのは、当事者の私になった。

トッキーはいつもこの役を演じたいと譲らなかったが、

少しは大人になったのか、今日は譲ってくれた。

 

 

そして、サプライズのプレゼントタイム。

 

 

HELLY HANSENのTシャツを戴いた。

 

Kip君は9歳。トッキーは6歳。

二人の成長は早い。アッと言いう間だ。

 

 

食事前に私の書斎に来たKip君に『僕たちの広告時代』を見せた。

「漢字が多くて、ぜんぜん読めな〜い」と。

「Kipが、この本を読めるようになるまで、ちゃんと取っておくからね」と。

いつになったら、ちゃんと読めるようになるのだろうか。

 

 

たぶん『鎌倉ーソウル2328キロを歩く』を先に読むだろう。

 

翌日の午後。

「ごめん。困った事になってしまった」

「ちょろっと、誕生日の夕方に海で飲んだ話をしてしまったの」

「誰に?」

「その人からお誕生日のプレゼントが来たの」と家人がひとこと。

 

 

22日の誕生日の夕方、ずっと家飲みなので、たまには外食しようかと。

しかし、週末の江の島の海辺のこ洒落た店は、若者たちで3密状態でNG。

東浜の堤防に赤飯とおつまみとお酒で、海風にあたって飲んだ。

浜で家族が遊ぶ花火と、遠くの空で、かすかに雷光が見えていた。

 

一橋大学の教授のミホコさんからのプレゼントだった。

それは、ベルギービールのヒューガルデンだった。

昔、パリ旅行をしたとき、アパルトマンに持って帰って、

夕陽を見ながらよく飲んだブランドだ。

 

 

今夜はグッと冷やしたビールをこのグラスで楽しもう。

 

しかし、まだ76歳になった気がしない。まだまだ己を耕していかないと……。

耕己高齢者だから。コロナ禍で新しい日常生活が続く。

 

 

前回のブログで、気になっていた父母の結婚式の写真が、ようやく見つかった。

戦地から戻った父は、故郷の伊勢神宮の外宮の近くにある「猿田彦神社」で式を挙げた。

昭和18年10月10日の事だ。

 

 

母の母(その)は既に鬼籍に入ったので、

長男の賢一郎と長女の八重が母代わりに出席した。

 

妹たちも写真が見つかって喜んでくれた。

 

まだコロナに注意。熱中症に注意。

頑張って、前向きに生きていきましょう。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 23:52 | comments(0) | - | - | - |
13日は存命ならば104歳の父の誕生日。母が書いた手紙。べらたけ日記。

 

 

私は小さい頃、父親から爐戮蕕燭鵜瓩噺世錣譴討い拭

べらべらしゃべるおしゃべりな武美だから爐戮蕕燭鵜瓩覆里澄

父が亡くなって37年が経った。

存命であれば8月13日に104歳を迎える。

 

「お父さんが亡くなって3年になりますね。

戦争という大変な時代を過ごしたようですが、

息子さん思いのいいお父さんでしたね」

 

 

私が営業部長に昇格したお祝いに、渥美清さんから代官山の小川軒に呼び出された。

まるで映画の寅さんのようにしみじみとした口調でぽつりと言われた言葉だ。

 

当時藤沢に住んでいた父親を、ある時に何かの打ち合わせで、

大船の松竹撮影所へ案内したことがあり、

撮影の合間に楽屋で父は渥美さんと二人きりで話した事があったのだ。

 

『僕たちの広告時代』の読後感を友人が送ってくれた。

貴兄が幼児時代に「べらたけ」と父親に呼ばれたが、大人になってから

仕事で努力した結果、お父様に渥美さんとの二人だけの思い出という、

良い土産を与えて大変良い話だと思いました。

ありがたい視点の友人の読後感だった。

 

 

父は伊勢の船江地区で大きな商家を営んでいた実家に次男として育った。

 

 

父の父(元助。後の貞次郎)30歳で亡くなった。

 

 

何でもかんでも長男主義の古い家系で、父は自分の母親(しず)に対して、

「何も財産はいらないが、教育だけはちゃんと欲しい」と言った。

 

 

宇治山田の高等商業学校を経て名古屋高等商業学校(現在の名古屋大学・商学部)に入学。

 

 

名古屋高等商業学校ではバレーボールの主将。

真ん中で優勝カップを持っている。

 

 

「多のしかり志 学生生活」と砂文字。

 

 

そして三井生命に就職した。

 

 

当時、同じ課に入社早々の母がいた。

日本橋の三井ビルには、関連企業がたくさん入っていた。

社員食堂へ行くと、関連企業の男性が母を注目し爛潺校旭罩瓩噺世錣譴訛減澆世辰拭

 

 

母の(その)さん。

 

父は一目散に母(しず)と連名で、母(九十代)の母(その)と長兄(賢一郎)へ、

求婚の手紙を送った。

母(九十代)の気持ちを十分に確認もしないで行った行動だった。

それ程、他の三井マンにとられたくないという気持ちがそうさせたのだろう。

 

 

父はその後、士官候補生として従軍した。

 

 

熊本陸軍教導学校で士官候補生として学び、北支へと転戦した。

 

 

陸軍歩兵見習い士官として中国河水省上陸。

 

 

李香蘭(山口淑子)の慰問を受けたこともある。

 

以降、陸軍少尉として第23大隊本部教育隊へ着任。

また、陸軍中尉として軍司令部に出向、山東省特務機関副官を任命される。

その後、北支で部隊を転属し、五年後には釜山港から門司港へ到着。

 

 

この張店駅発行の切符が無かったら、私の人生もなかった。我が家の命綱だ。

 

その後静岡の聯隊で招集解除。

 

 

私の手元には父の5年にわたる「軍歴表」がある。

日本へ帰還した時は陸軍中尉として調布飛行場隊第3隊長として、

警備再招集されたが、それで戦争は終わった。

 

 

兄の和一(のちの貞次郎)と。

 

 

すぐに地元の伊勢神宮の外宮の近くにある「猿田彦神社」で式を上げた。

昭和18年(1943年)10月10日の事だ。

写真は、どこかに仕舞忘れた。家のどこかにあるはずだ。

 

 

 

最初に親子で住んだ場所は東京、杉並区の下高井戸だ。

私はそこで生まれた。

 

 

私の産土神は「下高井戸八幡神社」になる。

 

 

4年前の父の誕生日に、お世話になっているホームで書いた母の日記だ。

 

「お父さん、お誕生日おめでとう。100歳になりましたよ。

一緒に迎えられなくて残念です。でも百歳になったのですよ。

私は九拾五歳になりました。

元気に過ごして、これからは自分なりに楽しさを見付けて、

皆と楽しく暮らして参ります。

見守っていてくださいね。

元気がなによりと思い、これからも子供たちと楽しく余生を過ごして参ります。

見守っていてくださいね」

 

この手紙をSNSで妹たちに送ると「読んでいて涙が出てきた」と。

 

母は今、99歳5か月という年齢相応の病で治療のために入院中だ。

いま車椅子での日常が復活するようリハビリ中という。

現在、病院は面会謝絶。

 

 

いつものようにホームでアクリル板越しで会うこともできない。

 

私の家系は父親が伊勢育ちのために神道なのだが、

季節的にお盆の頃には、このような故人を偲ぶブログもありだと思う。   

 

母は佐渡の生まれだ。

幼少の頃、父(精一)をなくした。

母親(その)と子供たち6人は、佐渡から東京の荏原区に転居した

 

この話は、別のタイミングで書きたい。

 

私の所属する句会での「リモート吟行句会」の兼題が犧甘篭禮圻瓩世辰拭

現在、会員間で23日までは選句中なので、投句しなかった句を2句詠んでみた。

 

 

赤玉の首飾り買う母娘秋 武舟

 

 

 

旅の秋赤い襷のたらい舟 武舟 

 

投句した5句については、また後日に説明したい。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 15:38 | comments(0) | - | - | - |
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