
皆さん、覚えていますか?
3月31日掲載の「鎌倉から、こんにちは」。
3月は講演が3回。おしゃべり3時間。鎌倉、浜松、静岡と楽しく韓国の話をしました。
あの時、3月11日(土)は浜松市で「韓国と私」の講演の前夜、大学時代の仲間が4人で集まりました。

家業の「魚の卸業」で商売を大きくしたM.Y君(左)。
河合楽器を早期退職し、絵画の世界に入ったT.T君(右)
やはり稼業で紙関係の会社の会長K.T君(下の右端)
それぞれ60歳半ば越して、充実した毎日を送っている。
05年、ソウルへの徒歩の旅の時も、鎌倉を出て1週間。
初めての休息の地は、浜松であった。
この時の拙著(49P)にはこうあります。
夕方には浪人時代、大学時代を通じての友人M.Y君と会いT.T君とおいしい魚をご馳走になった。
M君は地元で家業の魚の卸業を手広くやっているほか、市のロータリークラブの活動でまだまだ多忙な毎日を過ごしている。
T.T 君とM.Y君と私は同世代だが、とにかく三人三様の人生だ。結局はこれから、どういう生きてゆくのかを考えずにはいられない一日だった。
もちろん今すぐには判断がつかないが、とにかく明日からも私の旅は続いて行く。
それ以降も折あるごとに連絡を取り合っていました。
3月10日(金)の浜松での会食でもご馳走になった。
割烹料亭、カウンターバー、クラブと深夜まで久しぶりの訪問者(私)を歓迎してくれた。
そんな彼(M.Y君)がいきなり鬼籍に入るとは。
一報を受けたときは、狐につままれたような気分だった。
私と飲んだ後はハワイ旅行や地元のゴルフ。
1週間前には地元のゴルフコンペで優勝したという。
ご子息が家業を継ぎ始めて、これからだというのに・・・。
浜松へお通夜に飛んで行き、奥様、ご子息とゆっくりとお悔やみの機会を得た。
ご子息の書いた「御会葬御礼」を帰りの新幹線で読み始めた。
『人一倍仕事に仕事に励み、よく遊び、満ち足りた人生を謳歌した父。
エネルギッシュなだった父の周りには、いつも沢山の友人が集い、明るい話題に笑い声が絶えませんでした。・・・』。
この書き出しで始まる挨拶文は、型どおりの内容ではなくご子息の目を通した父を敬う気持ちがあふれていました。
がらがらの深夜の新幹線の中で思わず涙してしまった。
共通の友人のT.T君と新幹線を待つ間、M.Y君の通ったお店で彼が最近キープした酒を、
女将に出してもらいM君を前におすそ分けして戴いた。
M.Y君と3人で飲んだ酒は、久しぶりに酔いがまわる酒だった。







竹林の細い道






沖合に釣り人。


私は筆ペンで。
母は硯に墨をといて丁寧に書いています。

原村・中新田(深叢寺の桜)






残り2個を買い求め、味の確認。



日本の原風景のような里の櫻。
柴平の桜
夕暮れ迫る弘妙寺の桜




八ヶ岳と桜

山門にかかる櫻は見事でした。































大きなパネルです。
父上と一緒にバージンロードを歩きます。











