鎌倉から、こんにちは

「鎌倉発、韓国ソウルまで。」
徒歩の旅を終えて、あらたなスタート!
鎌倉から日常のあれこれをお伝えしていきます。
2019は、もう動き出した。何を目指そうかなと考えています。



【KAMA=TRIPULS】

 

昨年末に鎌倉市が協賛する「セカンドライフ鎌倉」というプロジェクトに参加した。


 

目的は「シニアのための観光スキルアップセミナー」というタイトルだ。

「鎌倉TRIPULS」という1回2時間の合計4回のセミナーだった。

セミナー参加者は55歳以上で、パソコンやネット情報の検索など日常的に慣れている人。

英語の日常会話力がある人に限られた。(別に試験があるわけではないですが)。

【訪日外国人向けに、リアルな「鎌倉日常体験」を提供してみませんか】

あなたならではの、鎌倉ローカル体験ツアーを創ろう!

 

鎌倉市が協賛するから(鎌倉ローカル体験)になる。

このセミナーを通じて参加者のみなさんは、鎌倉にこだわって企画を考えるようだ。

私はこの発想を戴いて、鎌倉にこだわらずに、ユニークな個別アイデアを企画しようと考えた。

 

 

企画ガイダンスは日本語より英語が良いとされる。

とっさに考えたのは、三崎港の古民家に泊まって朝市を見学し、その後城ケ島を散策する。


 

食事は、当然マグロ三昧。この計画を詳細に詰めて宿屋、食堂(料理屋)との詰めを行う。

鎌倉でネットワークを組むよりも、1ヶ月滞在した三崎の仲間の方が融通が効く。

 

【鎌倉ツアー】

 

 

このセミナーで知り合ったイトウユタカさんが、「鎌倉ツアー」という

外国人の方を鎌倉で案内する方々のための「徒歩ツアー体験ツアー」を企画した。

何でも参加するのが、Team MAMIYAの私の習性。

1月13日 北鎌倉に集合した。

 

北鎌倉=華蔵院=建長寺=鶴岡八幡宮=大仏次郎茶亭=幕府跡=ランチ=稲村ケ崎=鎌倉

 華蔵院


 大仏次郎茶亭

私の季節の歩き(七福神、梅、桜、アジサイ、紅葉)とはかなり違うコースだった。

 半僧坊の天狗
 半僧坊大権現 火盗除護符




幕府跡を歩いた。


 大蔵幕府跡(頼朝の私邸跡)

 若宮大路幕府跡


 宇都宮辻幕府跡


幕府が置かれた場所は転々とした。
最初は「大蔵幕府跡」(45年間)。源頼朝の邸宅で大蔵御所とも呼ばれた。
「若宮大路幕府跡」(97年間)、「宇都宮辻幕府跡」(11年間)。約150年続いた。
将軍の私邸と、侍所(軍事警察機関)、問注所(訴訟機関)と政務を行う公的エリアだった。
いずれも幕府跡は鶴岡八幡宮の至近距離にあった。

ほかに塔頭、大六天、安倍清明(陰陽師)、稲村ケ崎では十一人塚など、
メモを取らないとわからない説明があった。

分からないと日本人に対しても説明がつない上に、外国人にはもっと説明がつかない。

言葉が喋れても、コンテンツを理解していないと、説明できない。

「鎌倉検定」でも取得しないと・・・。
 

 

 

それよりも参加者20人のうち大半が【全国通訳案内士】の資格の持ち主だ。

今まで私の周りにいないタイプの方々だ。

それぞれ個性豊かなメンバーだ。何人かは友達になれそうだ。

歩きながら考えた。
鎌倉のおもてなしと、鎌倉のサービス(詳細情報)の違いは何だろう。
海と山と寺社に囲まれた鎌倉。
京都、奈良との違いは何か。
7つの切り通しの意味など、本来の鎌倉の持つ凡そな意味などを、まったりと説明できれば良いかな。

カタコト英語の私は、その方々の誰かにサポートなしでも実行できそうだ。

夕焼けの稲村ケ崎でグループと分かれて帰宅した。

 

【鎌倉七福神歩き】

 

10日の日は元勤務先の仲間と鎌倉七福神(10日夷を訪ねる)を歩いた。

平日でも集まれるシニアの仲間達だ。

 

いつものように北鎌倉駅の円覚寺前に15名の仲間が集合した。

 
 浄智寺(布袋尊)

 

 鶴岡八幡宮(弁財天)

 

 宝戒寺(毘沙門天)

 

 妙隆寺(寿老人)

 

 本覚寺(夷神)


 御霊神社(福禄寿) 


 長谷寺(大黒天)

 

 

ここで七福神参りは終了し、いつものように鎌倉駅に戻り「川古江家」で酒宴になる。

 

鎌倉市はオリンピックに関して、フランスのホスピタルシティーに決定した。

この後、年間2000万人の鎌倉市の観光客が、どこまで増えるのだろうか。

ところが、観光客が鎌倉市に落としてくれる金額は平均で3500円という。

訪問客を増やさずに、3500円をさらに+1000円〜2000円落としてもらうインフラを、

早急に考える必要がありそうだ。

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 21:53 | comments(0) | - | - | - |
新年の日本橋、石川文洋さんの日本縦断の後半の旅がスタートした。

 
 

1月7日、日本橋は朝から快晴だった。温度は7度。

9時前に石川さんの馴染みの仲間が日本橋に集まってきた。

両国高校の同級生、昔の職場の朝日新聞の仲間たち、
石川さんを追いかけている共同通信の記者さん、

徒歩の旅を映像で追いかけるジンネットのスタッフ、歩く仲間たち、

ベトナム旅行の石川さんのファン仲間たちが三々五々と集まってくる。

石川さんは年末に歩き終わった表情から比べると、全く元気を取り戻して、
見違えるように元気な様子だった。


 

ご縁の深い仲間に加えて、福島からは尺八の名人がやってきた。

徒歩の旅の無事を祈って、アメイジンググレイス、沖縄の芭蕉布、新相馬恋歌を演奏した。



日本橋を背にして記念写真を撮って出発だ。
もちろん見送りだけの人もいる。

 



 

仕事始めの人だかりの中、銀座通りを登山するような恰好の石川さん、真っ赤なダウンジャケットや、

石川さんの周りを取材の報道陣たちが、西に向かって歩きだした。



東京タワーを見ながら写真を撮る石川さん。また、その姿を映像班が撮っている。

 


 

「泉岳寺をお参りしたい」と石川さんが資料の地図を見ていった。

若いころに一度お参りしたことがあるだけだと。

田町を過ぎて、高輪ゲートウエイ予定地のあたりに目的地はある。

浅野内匠頭長矩、大石内蔵助など義士たちが眠っている。

大石内蔵助の前で記念写真。

 

いちいち記念写真を撮るのは、石川さんの歩きのペースの邪魔にならないか。

参加した仲間たちは、徒歩の記念になり、かなりうれしいのだ。

こういうことから、早く解放させてあげたい。と思ったりする。

 


 

 

品川駅では途中参加の友人も合流し、旅の装備をサポートしている

mont−bell(モンベル)のオフィスへ寄った。
 

 


 

 

ここでも記念写真だ。
 

 


 

 

そのビルの下のレストランで全員一緒にランチを取ることができた。

午後は御殿山の先から品川宿を抜けて、旧東海道を大森海岸駅まで歩く。
 

 

 
 

 

途中の商店街は平日昼というのに、珍しく賑わっている。
 

 


 

 

そこへ品川ケーブルテレビの若いスタッフとばったり出会い5分間の取材を受けた。

「品川宿のある旧東海道を歩きたくて」と話す石川さんの徒歩の旅を聞き、

若いスタッフは、想像できない旅の凄さに言葉を失った。
 

 


 

 

最後は鈴ヶ森刑場跡に寄った。丸橋忠弥、八百屋お七、天一坊が処刑されたという、

江戸の処刑史上重要な遺跡だ。

 

大森海岸駅前の今夜の宿のホテルに着いた。

 

そのあとは、みんなが待っていた石川さんとのいっぱいの打ち上げだ。

近くの居酒屋で一杯が二杯、3時間のも及ぶ宴会になった。

こうしてお祭りの第一日目は、無事に終わった。

 


 

 

「湘南の近くでは一緒に歩きたい」と、この計画を伺ったときは、

そう石川さんに伝えた。

打ち上げの前に「明日からは一人で歩きたい」とみんなに伝えたので、

私は納得して、その気持ちを十分に尊重し、翌日からの伴走徒歩はあきらめた。
これまでの北海道、東北、関東の徒歩の石川さんの映像を見ると、

私の時もそうだったが、一人で歩く姿が日本縦断踏破という言葉がぴったりと似会うと思う。


年末の日本橋到着の日も、新年の日本橋出発の日も、馴染みの方々に囲まれて歩く姿は、

一種のお祭りイベントだった。
翌日からは映像カメラマンと石川さんひとりの徒歩の旅を、

私はしばらく静かに見守りたいと思った。


いつかお祭りの日は是非、みなさんと一緒に歩きたいと思う。

たぶん、箱根峠を越えるあたりで、数人がサポートするかもしれない。

 

60歳の2328キロと80歳の約3500キロの意味は大きく異なる。

この信念とその重みは、やはり憧憬に値すると思った。

 

*)1月13日(日)24:55 NNN系ドキュメント。

    石川文洋さんの徒歩の旅の北海道、東北、日本橋までの前半のドキュメンタリー。

    是非ご覧ください。

| team-mamiya | from-mamiya「徒歩の話」 | 23:39 | comments(0) | - | - | - |
平成最後の正月。しばらくは「平成最後の…」が続く。Team MAMIYAの今年は……。



あけまして、おめでとうございます。今年のブログの中でよろしくお願いします。

 

ちゃんと目覚ましを掛けていたが、家族のドタバタという音で目が覚めた。

「まずい!6時半だ!」

一気に起き上がり着替えを済ませて、すでに準備の済んだ家族と浜へ向かった。

いつもは自分が真っ先に家族を起こすのだが……。

私の目覚ましは6時37分に鳴った。(とんでもない!間違った)。

 

 

既に浜にはたくさんの人が出ていた。


 

しかし、逗子方面の三浦半島にはどっかりと雲がかかっている。

少し上には雲の切れ目がある。

初日の出は、かろうじて期待できる。

 

定刻の6時52分になっても陽は見えない。


 

7時を過ぎて雲の切れ目から真紅の太陽が輝きながら陽を放った。

シャッターを切りながら、何度も拝んだ。

近くには家人、長男家族4人と次男がいる。
 

家族みんなが揃って浜に出るようになったのは3年前の元旦からだ。

長男家族が葉山から大晦日に我が家に泊まるようになり、次男も東京からやってきて、

全員で浜に出るようになった。その孫は7歳と4歳になっている。

 

 


 

初日の出を拝んだ後は、浜辺を腰越に向かって歩く。


 

「小動神社」で初詣参りだ。

 

一旦、帰宅して朝の元旦の儀式だ。

 


 

大晦日の夜から元旦の朝も、にぎやかに家人のお節料理に、祝い酒で賑やかだ。

孫にとっても「大人系」の料理に満足げに付き合っている。

 

長男のKip君は「腰越のじいじの家は、オセロがあって楽しいけど、食べるものは(大人系)」と言われて、

それ以降、家人はメニューに気を使った。 

お節料理はそうはいかない。

正月の儀式を次世代に、次々世代に伝えていかねばならない。

家人の努力には頭が下がる。

車2台で母の「田谷の里」へ行くので酒は我慢したが、

「車でなく、バスと電車で行けば問題ない」と逆転の発想。お神酒に手を付けた。

 

 

田谷にはTeam MAMIYAの97歳のゴッドマザーの母がいる。
ひいおばあちゃんとひ孫の久しぶりの対面だ。

少しのお節を持参して、一階のホールでお正月の膳が始まる。

2時間近く、一緒に懇談。ホールで長男とは、また缶ビールを戴いた。

記念写真を撮り、それぞれ帰宅する。

 



 

2日の大きな目的は「鶴岡八幡宮」の本殿でのご祈祷だ。

家人と次男の三人に加えて、三の鳥居で偶然に家人の友人に会い、

一緒に祈祷を受ける事にした。

1時間の間、控室でのご祈祷の待機、本殿に上がりご祈祷。

しんしんと冷える控室と本殿だったが、ありがたい時間だった。

 

3日は午後江の島神社のお参りが待っている。

こんな風に我が家の三が日は過ぎていく。

平成の間にやり遂げたい願いもあるが、

4月には「広告業界生活50年」を迎え、5月には「新元号」になり、

8月には「元気」高齢者から「光輝」高齢者になる。

はたして、今年はどんな2019年になるのだろう。

 

7歳の孫のKipの言葉。


 

「じいじは、オセロの白で四隅を押さえたけれど、安心しすぎて負けたんだ」

私は2年ぶりにKip君とオセロを戦った。

順調にゲームを進めたが、31対33で負けた。こんなことがあるのだろうか。
(右列二列目の4段目のよっつ目は、上面が反射して白に見えるが、実は黒なのだ)。

 

4歳の孫の言葉。


 

「この黒いレゴをアップロードすると、潜水艦がパワーアップするよ」

大晦日に一緒に入った風呂の中で湯に浮かせたレゴの潜水艦の黒いボタンを押した。

「とおとが教えてくれたの」と聞くと「自分で考えた」だって。

 

この子たちとちゃんと遊べるのは、いつまでなのだろうかと、

うれしくも複雑な感じの正月だった。

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 12:07 | comments(0) | - | - | - |
三崎のイベント「第3回 いしいしんじ祭」に、飛び入り参加しました。


 

 

いしいしんじ、という作家がいる。大阪出身で50歳前後の音楽好きのビール好き。

現在は京都に在住だが、2001年から2010年まで三浦半島先端の港町、

三崎で魚屋さんの家を借りて住んでいた。

その「まるいち魚店」が舞台になった三崎でしか書けない小説を書いたという。

2013年に「三崎いしいしんじ祭」を開いたのは、三崎という土地への、せめてもの恩返しのつもりだった。

今回の3回目は「ただいま、三崎」「おかえり、いしいさん」と。

いしいしんじのゆかりの土地。三崎の商店街を中心に小さなブックフェア、トークイベント、ライブ、パフォーマンスなど一日限りの3回目のお祭りが開かれた。

三崎の「本と屯(たむろ)」のオーナー、ミネシンゴさんが、いしいさんと初めて共同主催で開いたのだ。

 

かねてからの別件をキャンセルして、私はこのお祭りイベントに、当日チケットで参加した。

つまり、若い人達の集まるイベントにオジサンが混ぜてもらった。

 


 

 

この日に三崎に来たのは、本当は別の目的もあった。

来春から始める予定の外国人を三崎に招く個人的インバンド企画。

「三崎の朝市見学と、三崎銀座散策、城ケ島散策のために古民家宿泊の二日間」の打ち合わせがあった。

宿としての古民家の宿泊条件の打ち合わせ。食事の「店」のメニューと金額の打ち合わせだった。
 

 


 

 

三崎の仲間の「とおるさん」と「中川さん」と細かい打ち合わせを行った。

この打ち合わせの中で、週末開催に加えて二人から平日開催のアイデアが飛び出した。

 


そこで早朝の食堂の取材も必要になった。

「三崎魚市場食堂」にも寄って食事体験となった。
 


 

 

ランチに比べて早朝6時から始めるメニューは、1000円以下の安価なので安心した。

 


 

 

全ての取材と打ち合わせが終わり、午後からのお祭りイベントに参加した。

想定外の小雨のためのイベントが室内に移動した「出張ニジノ音楽祭」が始まっている。



 

次は酒宿山田の大広間で「小さなブックフェア〜贈り物にしたい本〜」を覗いた。
ここも無料会場だ。


 

なんと3年前に学芸大学で開催したサンパウロの友人の「ドキュメント映像イベント」で、

意気投合した鎌倉人の出版社「港の人」Uさんがいたのだ。
隣に座っていた新潮社の編集長Yさんは、15年前から週末移住のメンバーだった。
だから、ここに座っているのだ。



そのあとイベント会場の「三崎館本店」の大広間に移った。
主催者のミネシンゴさんの司会で本日の後半のイベントが始まった。


 

「湯浅学の音楽ライブ」が30分間。



いしいしんじさんだ。


 

「その場小説」は(いしいさん)が壇上で声を上げながらアドリブで30分の小説を書く。

タイトルは「のじ」。三崎仲間の野地さんのことを書いた。
大きなB3の紙に鉛筆で書き始めた。
全部で5枚の小説を書いて、あとでコピーで1枚を、会場のみなさんがお土産で戴いた。

 

私が戴いた原稿の3枚目の冒頭は、

「……次に電話のあったのはその翌年でした。「いしいさ〜ん」心なしか元気のない声でのじくんはいった。
英霊が、ぼくに「のんちゃん、またイオージマ」と聞きました。……



 

最後のイベントは「三崎談話(トークイベント)」





 

いしいしんじ×矢野優×石田千×戌井昭人×湯浅学。コンサートの出演者の、
飛び入りもあり楽しいトークがにぎやかに飛び交った。

 

最後は「三崎港 蔵」で、いつものように一杯飲んで帰途につくことにした。
料理人の福本さんや中川さんが待っているからだ。


 

カウンターの隣りの方から(極上のからすみ)を「この季節、とてもおいしんですよ」とすすめられた。
遠慮したが、何回もすすめられたので一口戴いた。


 

「旬の魚の焼き魚」を、せっかくだからと中川さんからサービスで戴く。
魚と大根の煮物が突出しだった。



 

カツオの塩辛と、ウツボのから揚げ。さっぱりした味にこりこり感が素晴らしかった・


 

陶芸家の澤田痴陶人の絵付けをした徳利に杯で熱燗を楽しんだ。 
 

イベント責任者で多忙のミネシンゴさんとは、ゆっくり話せなかった。
想定済みだったので、年が明けたらまた三崎に来ようと思う。


ということで、今回も「三崎から、こんにちは」になってしまった。
本年も毎回ブログにおいでになった方々へ。
平成最後の年の暮になりました、みなさま、良いお年をお迎えください。

来年も「鎌倉から、こんにちは」でお会いしましょう。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 21:10 | comments(0) | - | - | - |
あの「慶楽」が12月28日で閉店だ。行列になる前に並ばなければならない。

 
 

「慶楽」は昭和25年(1950年)から営業開始した。

小説家の池波正太郎など文壇のお客様も懇意にしていた。

我々店の近くの広告会社、大手新聞社などのサラリーマンがランチに愛用していていた人気の店だ。

その昔は丸の内界隈にはエアラインが多く、パイロット、スチュワーデスなど、
航空会社のスタッフにも人気があったそうだ。

 

私は1973年からだから、あしかけ45年も通ったことになる。

先輩後輩たちは「チャーハンランチ」が多かったが、私は「もやし汁ビーフン」が好きだった。

「タイ式焼きそば」も3回に1回は食べていた。



 

ある日曜日、江の島でバッタリ会った会社の後輩から、

「あの慶楽が閉店ですよ」と。

「厨房のスタッフがいなくて閉店。毎日店の前が行列で入れないそうです」

早速、翌日11時過ぎに店の前に行った。一番の客だ。
11時半に店に入れてもらった。いつもの懐かしい店内だ。






 

店の張り紙には「昭和25年(1950年)から営業……。ビルの改装と、
昨今の飲食業界の変化など、昔気質の料理店の運営を続けていくことが、
今後、困難になると判断し、
一旦閉店と……」

何か腑に落ちない文面だ。

 

ランチ時間には、私のすぐ後には、既に店に入れない客で行列になった。

後輩の国際担当常務が飛び込んできたので相席にした。

とにかく、その日はいつもと違う「かき油焼きそば」に挑戦した。


 

「かき油焼きそば」は昔小松菜だと思ったが、今はレタスになっている。
 

一度、夜の慶楽を楽しみたいと予約を聞くと、2階と3階は最終日まで満席という。
それも、予約料理はコースで6000円で、お決まりのメニューという。
欲しい品物は追加での計算になるという。

 

一階は並んだら入れるという。早速、後輩を誘っていく事にした。

 

 

その日も4時半から一番で並んだ。



 

テーブルに乗らないほどメニューを頼んだ。

牛バラの柔か煮、カキ油の牛肉レタス炒め、焼売、春巻き、もやし炒め、タイ式焼きそば、チャーハン。




 

これがタイ式焼きそば。



 

紹興酒を瓶のまま熱燗で。この後は追加注文が出来ないルールだという。焦った。

レタスに牡蠣油がたっぷり使われているのもいつもの味だ。 

取りあえず、紹興酒のおかわりしながら、時間をかけて料理を満喫した。


 

隣りには、元職場の後輩が来ている。

 

会社を卒業したあとも、大勢の集まりは「慶楽」を選んでいた。




 

今年の春は大学のクラブ「放送研究会」の同期が15人も集まった。福岡から、浜松から。

このメンバーとは現役時代から、幾度もこの店で集まった。

 

私がソウルから帰任し定年退職の時には、サントリーチームが3階を借り切り25人が祝ってくれた。

思い出がたくさん詰まった店だ。

 

張り紙に「一旦閉店・・・」が気になり、オーナーに聞いたが「・・・」。

一番の番頭さんの様なAさんが、
「このスタッフはみんなクビ(全員終了)なの」と寂しげに言う。

 

昨日、母の施設で会った私の姪の旦那さんが、このオーナーのクー(區)さんの二男と友達だと判明した。

偶然のタイミングで、偶然の話になった。少し最新の内部事情を聞く事が出来た。

……残念な話だ。



昔から何かと無理なお願いにちゃんと融通をつけてくれた(あおきさん)。
お店がなくなっても、いつまでもお元気でね。
 

最終日の28日は、ランチ狙いで早めに(また一番で)並んで「もやし汁ビーフン」が、
思い出のメニューになるはずだ。

これが本当の〆のオーダーになるだろう。(お店に入れればね)。

そのあとはお店の近くにある仕事場での納会がある。
ランチで、最後の紹興酒を一杯戴いてから納会に向かおう。

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 10:00 | comments(0) | - | - | - |
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