鎌倉から、こんにちは

「鎌倉発、韓国ソウルまで。」
徒歩の旅を終えて、ずいぶん時が経ちました。
鎌倉の事、徒歩の事、その他の事。
鎌倉から日常のあれこれをお伝えしていきます。
200日ぶりの日比谷へ。知らないうちに変わっていた。べらたけ日記。

 

 

野暮用があって、10年関係していていた日比谷の仕事場へ行った。

 

 

オフィスの隣の帝国ホテル、最上階に仕事場のある日比谷シャンテがそびえる様に……。

 

 

「TOKYO MIDTOWN HIBIYA」には、大勢の人々が出入りしている。

 

200日も鎌倉で自粛生活をしていて、ひさしぶりの東京で気がついた。

鎌倉では、人が近くにいない場合は、マスクを外して歩いていた。

行きの横須賀線の車中では客席が空いていても自分のマスクは外さない。

 

新橋駅を降りてJRのガード下横の道を歩いて日比谷オフィスに向かう。

行き交う人々は、すべてマスクをして歩いている。

色とりどりのマスクの大行進だ。

真っ黒なマスクは、どうも気に入らない。

日本人には似合わないと前から感じている。 

この光景を見て、やっぱり、まだ東京は怖いと実感した。

 

 

いつものラウンジからの風景は変わりようがない。

野暮用が済んで、銀座の街でもブラブラしたいが、

電車の空いているうちに鎌倉へ帰ろうと。

 

 

 

新橋に向かうJRガード下に洒落たお店が並んでいる。

道路の側からは、どうやって入るのだろうと考えていたら、途中に入口があった。

中に入って驚いた。

 

 

開店祝いの花が乱立しているではないか。

 

 

それも、ガード下の地下街にふさわしくないおしゃれな店ばかりだ。

この地下街のネーミングはわからないまま新橋駅方面に、歩いていた。

 

 

ごく自然に一人前8000円のステーキの店がある。

なんだ、なんだ。仕事場にいた頃に選んだランチの店とは大違いだ。

 

真ん中の通り道を新橋の出口で出た。

 

 

おしゃれな案内版があった。

真ん中のプロムナードは「OKUROJI」となっていた。

奥路地のことだろう。

帰宅してネットで調べてみた。

 

ひそむ、ひそむ 「HIBIYA OKUROJI」

9・10 Grand Open

 

 

100年の歴史を持つ高架下

日比谷の奥にひそむ、ツウな大人の通い道

そこは明治生まれの煉瓦アーチを活かした、深いこだわりが集う

300mの高架下空間

 

なんとオープンして、まだ1週間もたっていない。

どうりで、すべてのお店の前には蘭の花が、これでもかと華やかに飾ってあった。

 

 

しかし、表の通りには懐かしい昭和の香りのする「新橋ガード下横丁」や、

「銀座裏コリドー」がちゃんと残っている。

 

 

ガードの上を走る湘南電車は、高架下の大変化に気がついているのだろうか。

 

 

どんな客層がこの新しい『奥路地』の店に集うのかなと、思いを巡らし、

新橋で横須賀線に乗った。

 

5時過ぎの電車は、早めの午後とは大違いで、ほぼ満員のラッシュアワー寸前の様相だ。

平日の乗客が、寄り道をせずに湘南に向かって真っすぐ帰宅する姿を見た。

 

このアンバランスはコロナ禍の終息まで続くのだろう。

まだまだ、当分は時間は掛かるのだろう。

当然、帰途は座席に座れずに、読みかけの単行本を広げることはできなかった。

 

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 19:27 | comments(0) | - | - | - |
敬老の日と老人の日の違いってナニ? べらたけ日記。

 

9月になると「老人の日」がやって来る。

ところが「敬老の日」が祝日マークになっている。

この違いはなんだろうと思い改めて調べてみた。

 

「敬老の日」は、主に社会貢献してきた老人を尊敬する日。

「老人の日」は老人福祉に関してまわりの人々が理解を深める日。

他にも、老人の生活を向上させられるよう促進する日でもある。

 

 

「敬老の日」は9月の第3月曜日に設定された日本の祝日。

「老人の日」は祝日ではなく記念日として9月15日に設定されている。

老人福祉法では9月15日から21日までの1週間を老人週間としている。

 

知らなかった。

 

 

 

鎌倉市役所から、記念品として内閣総理大臣のお祝い状と銀杯が届いた。

それも配達希望日の二日前に届いた。

(つい最近までは銀杯は純銀だったが、あまりに対象者が増えたので銀メッキに変わった)

 

こちらは少しでも早く戴きたいなと思っていたので市役所の担当者に連絡してみた。

 

国から神奈川県を通じて市へ該当者の確認作業が4月ごろから始まっていた。

該当者は生年月日が1920年(大正9年)4月1日から,

1921年(大正10年)3月31日までの方。

 

母はまだ99歳だが、国は数え歳でお祝いしてくれる。

ちなみに鎌倉市で今年の百寿該当者は82人だという。

人口17万人の中で82人とは、想像以上に多かった。

鎌倉市は神奈川県でも高齢者比率が最も多い市でもあるようだ。

 

お祝い状(賞状)には

あなたが百歳のご長寿を達成されたことは誠に慶賀にたえません。

ご長寿をことほぐこの日に当たりここに記念品を贈りこれを祝します。

令和2年9月15日 

内閣総理大臣 安倍晋三

 

9月15日は「老人の日」になっている。

市からの猊敢个魴泙┐蕕譴襪澆覆気泙忰

「敬老お祝い品の贈呈について」とある。

 

さっそく二人の妹とホームへ向かった。

いつものアクリル板をはさんだ訪問コーナーで、母に直接、記念品を届けた。

 

 

最初はぽかんとしていたが、筒から大きな表彰状を自ら手にして……。

 

「えっ。ホント!うれしいわ。欲しいと言っても、なかなかもらえるものではない」

賞状をジッと見ながら、とつとつと読み始めた。

最後の牋打椰源悪瓩泙如△靴辰りと声を出して読んでいた。

 

「安倍さんにお礼状を出さないと」

想像していない発言だった。

母は、いつも「お礼はしたの」と聞いてくるのだった。

 

この年代の人々は銀杯という品物より、賞状に敏感に反応するのだと改めて感じた。

確かに幼少の頃の荏原区(現:目黒区)の体育大会での1等賞の賞状や、

後年に始めた布の貼り絵(裂画)で、フジサンケイグループのコンクールで、

戴いた最優秀賞の賞状が大事に保存されている。

 

 

その受賞作品「のうぜんかつら」。

 

「百歳のここまで生きてこれたのは、3人の子供がいたから……」

「みんないい子で、健康な子たちで、私はここまで生きられて、本当にうれしい」

 

このお祝い状を手にした会話はスマホで動画にして、子供たちにも配信した。

 

日に日に年齢相当に体が弱っている今日この頃、

お祝いが間に合って私はホッとしている。

 

なにより9月15日には安倍さんに変わり、

新しい内閣総理大臣に変わっているはずだ。

国の手続きや準備の都合上、安倍さんの名前のママで受賞。

 

 

賞状の紋章は桐の葉。日本国政府の紋章なのだ。

 

母も良く知っている安倍晋三さんからの賞状を頂き、ほんとに喜んでいる。

今日は、いつもより長い面会時間で、想像以上に元気な面会になった。

喋るのをやめて居眠りするように、

いつもの「疲れた」「だるい」が無く、今日はおしゃべりをやめない。

ひさしぶりの会話のやりとりが続いた。

 

少しでも長生きして満100歳の誕生日を迎えてくれることを祈っている。

 

その時は犇綵渋紂覆海箸茵豊瓩箸いμ樵阿自分で宣言した、

猊澗紂覆發發茵豊瓩砲覆襪呂困澄

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 11:53 | comments(0) | - | - | - |
早いもので9月になってしまった。半年、東京へ行っていない。べらたけ日記。

 

 

爛▲検△気弌回遊魚瓩了笋、コロナ禍の中、鎌倉に蟄居状態が続く。

よくも、じーっと根魚(寝魚)のように我慢していられるものだ。

 

誕生日イベントも終わり、また単調で、単調で、単調な毎日が続いている。

 

 

葉山で行う孫の運動会は、無観客に近い子供1人に家族2名と制限がついた。

軒並み幼稚園イベントが中止の中、よく実施を決断したものだ。

応援が出来ずに残念だ。

息子夫婦のビデオレポートが待ち遠しい。

 

 

 

私の小さな頃の思い出に、教室で自分が好きな本を紹介することがあった。

その時に私の選んだ本は「アリババと40人の盗賊」。

とても好きだった。

アリババ、カシム、バグダッド、ひらけゴマという言葉は憶えていた。

 

 

Amazonプライムで、同じタイトルの映画を見つけた。

私が生まれる前に制作された映画だ。

それもハリウッド作品は総天然色映画。ワクワクして鑑賞した。

ところが私の知っていたストーリーとは、全く違っていた。

 

物語はアリババの召使のモルディアナの知恵で、すべて盗賊をやっつけてしまった。

しかし、映画にはモルディアナは出てこない。

 

王家の紋章の首飾りを胸に、アリババは父を裏切った大公に復讐を誓うが、

その大公が嫁にとるのは、幼い頃に愛を誓った許嫁のジャミール。

その父親はカシムであった。

物語ではアリババとカシムは兄弟だった。

 

映画ではアリババと王女ジャミールのラブストリーに変わっていた。

しかし、悪役のカシムの運命は、最後は罰で殺される設定は同じだった。

 

 

ついでに「アラビアンナイト」も同じようにドキドキして見た。

 

 

最近、ブログで父の戦争体験を掲載したが、

父からは、あまり詳しい話を聞いていない。

 

当時の戦争映画を立て続けに見ることにした。

 

 

「独立愚連隊」

当時、劇場では見なかったが、確かに面白かった!

大陸を舞台としているからか、映画のシーンは広がる丘陵など壮大な空間が多かった。

太平洋戦争末期、北支戦線の山岳地帯を舞台とする戦争アクション活劇。

佐藤允が主役。

 

岡本喜八監督は仲代達矢を選んだが「人間の条件」の撮影に入っていたので断られた。

 

 

そこで主役は佐藤允になった。チャールズ・ブロンソンに風貌が似ている。

この映画はモノクロだった。

 

「独立愚連隊西へ」

続いて見たのは加山雄三が登場するが、主役は佐藤允だ。

 

 

こちらは前作よりもコメディタッチの喜八映画になっている。

戦争という悲惨さをコミックに描いた娯楽映画だった。

 

 

「消えた中隊」

続いてAmazonプライムの画面に現れたのが「消えた中隊」。

辰巳柳太郎、島田正吾の新国劇総出演。脚本は黒沢明、菊島隆三の新進コンビ。

 

当時の日活は、裕次郎時代以前の筋の入った硬派の映画作りだった。

驚いた。なんとロケ地は、軽井沢。

当時はこのような荒れ地のシーンが、軽井沢で撮れたのだ。

 

 

「ビルマの竪琴」

これは中学生の頃、劇場で見た映画だった。

監督・市川崑、脚本・和田夏十のコンビ

安井昌二主演。三国連太郎助演。西村晃は脇役だった。

 

ビルマにおける日本軍の戦況は悪化の一途をたどっていた。

日本軍のある小隊では、音楽学校出身の隊長が隊員に合唱を教え込んでいた。

映画の節々で「埴生の宿」が日本語や英語で聞こえてくる。

 

 

なんといっても忘れられないシーンは、

「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ」というインコの声。

この言葉が印象的だった。

 

後に劇場で新国劇の「ビルマの竪琴」を父と見たことがある。

この時の水島上等兵は、島田正吾が演じていた。

 

 

新国劇は、動の辰巳柳太郎、静の島田正吾。

父は極めつけの新国劇ファンだった。

 

 

どちらかというと島田正吾が好きで、

いつも酔うと、島田正吾の物まねを好んでしていた。

 

有り余る時間の中で、これからどんな映画を漂流するのだろうか。

これに加えて、Netflixも、テレビ画面だけでなく、

パソコン画面でも見られるようにした。

 

こんな生活が、いつまで続くのだろうか。

 

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 18:58 | comments(0) | - | - | - |
バカラのショットグラス、とれとれのトウモロコシ、Tシャツ、ビールがやって来た。べらたけ日記。

 

「高橋さんに感謝しないと、いけないですよ」と、小ぶりの段ボールを書斎に持ってきた。

 

「あなた宛ての宅配だけれど『苦しいよ!早く出してくれって』って声が聞こえたの」

「とれとれのトウモロコシを段ボールから早く出してあげたの」と。

「あらら、底にドリアやリゾットのプレゼントもあるわ」さらに驚いている。

「高橋さんは、ちゃんとあなたの体を考えているのよ。全部、糖質想いだわ」

「糖質想いのチキンドリアのミートドリアも。ほんとうに、いい友達ね」

 

これは家人との会話である。

今年も真夏に私の誕生日がやって来たのだ。

 

 

まず、配達日指定でバカラのショットグラスが来た。

誕生日カードには、メッセージがない。

 

 

次に段ボールにいっぱいの、爐箸譴箸讚瓩離肇Ε皀蹈灰靴。

自家製のブルーベリーも入っていた。

 

バカラのショットグラスも、トウモロコシも送り主は高橋さん。

ひとりは有楽町のバカラの店から。

もう一人は信州原村の家庭菜園から。

ひとりは爛轡礇き瓩聞盒兇気鵝

もう一人は倏血漢瓩旅盒兇気鵝

二人は、ほとんど同じ同年代だ。

 

誕生日の日にちをずらして、息子たちや孫たちの襲来だ。

「おじいちゃん。ユーチューブ(YOUTUBE)ばかり見ていると馬鹿になるよ」

トッキーが歩きながら、偉そうに言う。

いつも(かあか)か(とおと)に言われているに違いないと思ったが、

いきなり大人っぽい発言だ。

 

 

「オセロをやっているときはトキオに大事な手を教えないで」

兄のKip君もトッキーも、あるマスに石を置くと、かなりの石が反転して、

それぞれの色の石に逆転する展開になるところだった。

二人はかなり真剣勝負だ。

 

かつてKip君との勝負で四隅のマスを全部取ったにもかかわらず、

2点差で負けたことがある。

 

「何か食べたいものはあるの」と家人の質問に

「おにく!!」と二人が揃って言う。

「おじいちゃんの家は、オモチャは楽しいけれど、料理は大人系だぁ」

と、言っていたKip君は、もう大人系のリクエストだ。

 

 

「夕方になったので、海辺まで買い物に行きましょう」

と家人、長男家族と次男のウォーキングになった。

 

 

湘南モノレールの「湘南江の島駅」のルーフテラスで夕方の景色を楽しんだ。

最近覚えた犲觝躾Л瓩龍だ。

朱鷺が羽を広げた時に見える色。薄黄色に一筋の桃色が走る。

 

帰り道の路地裏で長男の地元の友だちが、庭で酒盛りをしていた。

「やぁ、やぁ」とその仲間に息子と一緒に混ざってしまった。

 

 

私も10分ばかり、缶酎ハイのご相伴にあずかった。

息子たちは地元の友だちが多い。

東京育ちの私にはない、いつもの地域社会だ。

大人になっても、そのまま関係が続いているのだ。

 

 

家に帰ったら、風呂でさっぱりの後は、さっそく誕生日食事会だ。

お肉を焼き、お赤飯、マグロのトロ丼。

 

 

満腹になったところで、誕生日のキャンドルタイム。

今日はキャンドルを吹くのは、当事者の私になった。

トッキーはいつもこの役を演じたいと譲らなかったが、

少しは大人になったのか、今日は譲ってくれた。

 

 

そして、サプライズのプレゼントタイム。

 

 

HELLY HANSENのTシャツを戴いた。

 

Kip君は9歳。トッキーは6歳。

二人の成長は早い。アッと言いう間だ。

 

 

食事前に私の書斎に来たKip君に『僕たちの広告時代』を見せた。

「漢字が多くて、ぜんぜん読めな〜い」と。

「Kipが、この本を読めるようになるまで、ちゃんと取っておくからね」と。

いつになったら、ちゃんと読めるようになるのだろうか。

 

 

たぶん『鎌倉ーソウル2328キロを歩く』を先に読むだろう。

 

翌日の午後。

「ごめん。困った事になってしまった」

「ちょろっと、誕生日の夕方に海で飲んだ話をしてしまったの」

「誰に?」

「その人からお誕生日のプレゼントが来たの」と家人がひとこと。

 

 

22日の誕生日の夕方、ずっと家飲みなので、たまには外食しようかと。

しかし、週末の江の島の海辺のこ洒落た店は、若者たちで3密状態でNG。

東浜の堤防に赤飯とおつまみとお酒で、海風にあたって飲んだ。

浜で家族が遊ぶ花火と、遠くの空で、かすかに雷光が見えていた。

 

一橋大学の教授のミホコさんからのプレゼントだった。

それは、ベルギービールのヒューガルデンだった。

昔、パリ旅行をしたとき、アパルトマンに持って帰って、

夕陽を見ながらよく飲んだブランドだ。

 

 

今夜はグッと冷やしたビールをこのグラスで楽しもう。

 

しかし、まだ76歳になった気がしない。まだまだ己を耕していかないと……。

耕己高齢者だから。コロナ禍で新しい日常生活が続く。

 

 

前回のブログで、気になっていた父母の結婚式の写真が、ようやく見つかった。

戦地から戻った父は、故郷の伊勢神宮の外宮の近くにある「猿田彦神社」で式を挙げた。

昭和18年10月10日の事だ。

 

 

母の母(その)は既に鬼籍に入ったので、

長男の賢一郎と長女の八重が母代わりに出席した。

 

妹たちも写真が見つかって喜んでくれた。

 

まだコロナに注意。熱中症に注意。

頑張って、前向きに生きていきましょう。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 23:52 | comments(0) | - | - | - |
13日は存命ならば104歳の父の誕生日。母が書いた手紙。べらたけ日記。

 

 

私は小さい頃、父親から爐戮蕕燭鵜瓩噺世錣譴討い拭

べらべらしゃべるおしゃべりな武美だから爐戮蕕燭鵜瓩覆里澄

父が亡くなって37年が経った。

存命であれば8月13日に104歳を迎える。

 

「お父さんが亡くなって3年になりますね。

戦争という大変な時代を過ごしたようですが、

息子さん思いのいいお父さんでしたね」

 

 

私が営業部長に昇格したお祝いに、渥美清さんから代官山の小川軒に呼び出された。

まるで映画の寅さんのようにしみじみとした口調でぽつりと言われた言葉だ。

 

当時藤沢に住んでいた父親を、ある時に何かの打ち合わせで、

大船の松竹撮影所へ案内したことがあり、

撮影の合間に楽屋で父は渥美さんと二人きりで話した事があったのだ。

 

『僕たちの広告時代』の読後感を友人が送ってくれた。

貴兄が幼児時代に「べらたけ」と父親に呼ばれたが、大人になってから

仕事で努力した結果、お父様に渥美さんとの二人だけの思い出という、

良い土産を与えて大変良い話だと思いました。

ありがたい視点の友人の読後感だった。

 

 

父は伊勢の船江地区で大きな商家を営んでいた実家に次男として育った。

 

 

父の父(元助。後の貞次郎)30歳で亡くなった。

 

 

何でもかんでも長男主義の古い家系で、父は自分の母親(しず)に対して、

「何も財産はいらないが、教育だけはちゃんと欲しい」と言った。

 

 

宇治山田の高等商業学校を経て名古屋高等商業学校(現在の名古屋大学・商学部)に入学。

 

 

名古屋高等商業学校ではバレーボールの主将。

真ん中で優勝カップを持っている。

 

 

「多のしかり志 学生生活」と砂文字。

 

 

そして三井生命に就職した。

 

 

当時、同じ課に入社早々の母がいた。

日本橋の三井ビルには、関連企業がたくさん入っていた。

社員食堂へ行くと、関連企業の男性が母を注目し爛潺校旭罩瓩噺世錣譴訛減澆世辰拭

 

 

母の(その)さん。

 

父は一目散に母(しず)と連名で、母(九十代)の母(その)と長兄(賢一郎)へ、

求婚の手紙を送った。

母(九十代)の気持ちを十分に確認もしないで行った行動だった。

それ程、他の三井マンにとられたくないという気持ちがそうさせたのだろう。

 

 

父はその後、士官候補生として従軍した。

 

 

熊本陸軍教導学校で士官候補生として学び、北支へと転戦した。

 

 

陸軍歩兵見習い士官として中国河水省上陸。

 

 

李香蘭(山口淑子)の慰問を受けたこともある。

 

以降、陸軍少尉として第23大隊本部教育隊へ着任。

また、陸軍中尉として軍司令部に出向、山東省特務機関副官を任命される。

その後、北支で部隊を転属し、五年後には釜山港から門司港へ到着。

 

 

この張店駅発行の切符が無かったら、私の人生もなかった。我が家の命綱だ。

 

その後静岡の聯隊で招集解除。

 

 

私の手元には父の5年にわたる「軍歴表」がある。

日本へ帰還した時は陸軍中尉として調布飛行場隊第3隊長として、

警備再招集されたが、それで戦争は終わった。

 

 

兄の和一(のちの貞次郎)と。

 

 

すぐに地元の伊勢神宮の外宮の近くにある「猿田彦神社」で式を上げた。

昭和18年(1943年)10月10日の事だ。

写真は、どこかに仕舞忘れた。家のどこかにあるはずだ。

 

 

 

最初に親子で住んだ場所は東京、杉並区の下高井戸だ。

私はそこで生まれた。

 

 

私の産土神は「下高井戸八幡神社」になる。

 

 

4年前の父の誕生日に、お世話になっているホームで書いた母の日記だ。

 

「お父さん、お誕生日おめでとう。100歳になりましたよ。

一緒に迎えられなくて残念です。でも百歳になったのですよ。

私は九拾五歳になりました。

元気に過ごして、これからは自分なりに楽しさを見付けて、

皆と楽しく暮らして参ります。

見守っていてくださいね。

元気がなによりと思い、これからも子供たちと楽しく余生を過ごして参ります。

見守っていてくださいね」

 

この手紙をSNSで妹たちに送ると「読んでいて涙が出てきた」と。

 

母は今、99歳5か月という年齢相応の病で治療のために入院中だ。

いま車椅子での日常が復活するようリハビリ中という。

現在、病院は面会謝絶。

 

 

いつものようにホームでアクリル板越しで会うこともできない。

 

私の家系は父親が伊勢育ちのために神道なのだが、

季節的にお盆の頃には、このような故人を偲ぶブログもありだと思う。   

 

母は佐渡の生まれだ。

幼少の頃、父(精一)をなくした。

母親(その)と子供たち6人は、佐渡から東京の荏原区に転居した

 

この話は、別のタイミングで書きたい。

 

私の所属する句会での「リモート吟行句会」の兼題が犧甘篭禮圻瓩世辰拭

現在、会員間で23日までは選句中なので、投句しなかった句を2句詠んでみた。

 

 

赤玉の首飾り買う母娘秋 武舟

 

 

 

旅の秋赤い襷のたらい舟 武舟 

 

投句した5句については、また後日に説明したい。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 15:38 | comments(0) | - | - | - |
いつも見るもの、はじめて見るもの、はじめて(?)逢う人。べらたけ日記。

 

【いつも見るもの】

 

  

 

我が家の巨匠の作品は、18年目の奉納になります。

 

鎌倉の爐椶鵑椶蟶廚雖瓩蓮∨菁立秋の前日から8月9日の源実朝の誕生日まで

鶴岡八幡宮境内で行う。

鎌倉在住の画家、書家、学者などの著名人が揮毫した作品(ぼんぼり)が飾られる。

ぼんぼりの掲揚は実朝の誕生日の「実朝祭」に書画を奉納したことで始まった。

ことしは4日間で、毎日晴天の中で行われた。

鎌倉在住や関係著名人の400点の作品が、ほぼ所定の場所に展示されている。

我が家の巨匠の作品も、著名人でもないのに、

なぜか、いつも参道の中央付近に奉納展示されている。

 

以下は常連の方々が奉納された一部の作品を列挙する。

 

 

宮崎緑さん

 

ワダエミさん

 

宇佐美恵子さん

 

中村獅童さん

岡田武さん

 

竹中直人さん

 

養老孟司さん

 

黒岩祐治県知事

 

松尾崇鎌倉市長

十文字美信さん

 

わたせせいぞうさん

 

蛭子能収さん

 

それぞれの作品の前でみなさんの足を止めて、一言感想を漏らしている。

欧米系の外人さんも見入っていました。

いつもの「ぼんぼり祭り」も無事に幕を閉じました。

 

【はじめて見るもの】

 

 

小田急線の片瀬江の島駅はオリンピックを控えて全面リニューアルした。

新しい試みは駅ナカと駅ソトに、水族館の水槽で泳ぐ魚たちが見える。

 

 

2つの改札口の中央には「クラゲ水槽」を設置した。

駅に降り立つ乗降客が本物のクラゲの泳ぐ姿を楽しめる。

 


駅ソトには大型のデジタルサイネージを設置。

海の生き物たちを映像で紹介している。

通称エキスイと呼ばれる

スタッフは毎日必ずエキスイへ行き、クラゲの状態に問題ないか、

水温測定をしてクラゲに適した水質になっているかの確認をしているという。
もちろん、毎日餌もあげている。

 


2012年の我が家の巨匠の爐椶鵑椶蟶廚雖瓩鮖廚そ个靴討れますか。

この作品は「海に浮かぶクラゲ」がテーマでした。

えのすいで見た光景を、独自の奉納絵にしたのでしょう。

 

駅ソトに同時展示するアイデアは、どうでしょう。駅長さん。

 

【はじめて逢う(?)人】

 

 

前号まで報告して来た通り、何年ぶりかで岡田サリーさんと初めて爛螢▲訛侈稔瓩できた。

今月7日から16日まで長谷の由比ガ浜通りの交差点付近の爛灰筌ヤ瓩箸いΔ店で、

爛汽衄哭瓩箸いξ彁イベントを開催中だ。

 

 

おしゃれな店で、料理人のご本人とおしゃべりしながら飲食が楽しめる。

 

 

店内には姉の岡田美里さんの「自家製ジャム」も置いてある。

ここに行けば、必ずサリーさんに逢えるという訳だ。

 

 

開店した日、ぼんぼりに灯が入る前に、お店に行ってみよう。

 

 

チャットで約束した鎌倉人のサリーさんへ自著の、

「鎌倉―ソウル2328キロを歩く」(講談社+α新書)を差し上げた。

 

店先でサリーさんの仲間たちとも立ち飲みでワインを一杯。

(やべっちさん)一行5人は、同じく七里の住人仲間で、早々に爛汽衄哭瓩僕茲討い燭里澄

 

 

そのあと、鎌倉駅まで2キロ近く、由比ガ浜通りを一緒に歩いて移動した。

私は爐椶鵑椶蟶廚雖瓩虜酩覆鬚罎辰りと撮影し終わり帰宅のために駅に向かった。

近道のため小さな路地に入り、アッと驚いた。

 

 

さっき鎌倉駅で別れた(やべっちさん)一行が、オープンドアの店でテーブルを

囲んでいるのが見えた。

私もビール1杯だけ参加して、密状態で記念写真を。

(なべっちさん)とはフェイスブック友だちになった。

 

翌々日、ロングウォーキングの途中で長谷の海側の小径を歩いていると、

「あれ!なんで!!」

 

 

オープンドアのイタリアンの店先のデッキテーブルに(やべっちさん)ご一行がいた。

「3連休なので、自分たちへのご褒美で昼から飲んでいるんですよ」と

サリーさんから始まる、3密を避けての変なご縁が続きそうだ。

 

サリーさんから

「ちょうど開店早々で、バタバタしてる時で、あまりお相手できずにすみませんでした」

「16日までやっているので、またゆっくりいらしてください」と。

 

 

次回お会いする時には、ヘアメイクのお仕事で関係のある、

『僕たちの広告時代』も差し上げる約束をした。

本文にたくさん出てくる眞木準さんとは、家族的にお世話になったと聞いたからだ。

ご縁がご縁を結ぶ話は、東京へ行かない毎日、鎌倉でも増え続ける。

 

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 19:10 | comments(0) | - | - | - |
ちょっと話し掛けてみると意外なことが分かった。べらたけ日記。

 

私の出版パーティのためにキープしていた表参道の格好のホール(180人規模)が、

折からのコロナ禍で維持が出来なくなったと連絡があった。

延期の延期で10月末に仮の予定にしてあったホールだ。

先方事由なので私に課せられていた、こちらからのキャンセルした場合の

ペナルティチャージからは解放された。

 

しかしその会社のもう一つ(110人規模)のホールは、維持しているが、

いまは予約を受け付けていない。

仮に開催が可能になったら、その段階で一から契約をすることになった。

その場合は企画自体変更して、お客様が主役のパーティにしようと考えている。

一体、いつになったら、実施できるのだろうか。

 

 

いつものように近くのファミレスの片隅で、同人誌の提出原稿を推敲していた。

ひと段落ついて、奥のトイレに向かった。

 

 

お店の片隅に日頃は見かけない高齢者の一団がいた。

しゃれた雰囲気の方々がキャッキャとスマホの写真に向かってしゃべっていたのだ。

ちょうど海外の孫とスマホのフェイスタイムで、楽しく喋っているようだった。

と、一人のご婦人が他の4人の仲間のスナップを撮ろうとしてアングルを決めていた。

 

おせっかい屋の私は

「僕が撮りましょうか」と。

「ちょうどロンドンにいる孫に送りたいのでお願いします」

お客がほとんどいない時間帯だったので、そのまま私もおしゃべりに参加した。

 

「どちらからいらしたのですか、ずいぶん楽しそうで」

「逗子の小坪から。海から少し上がったところで、みんな近所なんです」

「この店はワイハイ環境がいいので、よく来るんです」

「逗子の渚橋のそばにもワイハイ環境の良い店があるのですが、

 最近テレワークの若者が多くて」

「ここも、小坪から車では結構近いので、たまにきます」

しばらく話しが弾んだ。

 

私がこの店で『僕たちの広告時代』を執筆していた話をしたら、

傍らの紳士が多くの書籍を書いている方と分かった。

元新聞記者で大学の教授経験のある方だった。

(帰宅してネットで調べたら、数えきれないほどの書籍を書いていることが分かった)

 

横にいた小柄の女性は写真家。元フラッシュの専属カメラマンでビートルズ来日の時の

プライベート写真をたくさん撮ったことで有名な方だった。

親会社の出版社の元編集担当役員(私の親友)を良く知っていた。

学者さんと写真家さんと、さっそく交わした名刺でメール交換が始まった。

 

「僕が撮りましょうか」のひとことが無かったら、この話は永久になかった話だ。

何か、あたらしいお付き合いが始まりそうだ。

 

 

「たまには孫に会いたいな」と。

「大きな西瓜をもって、自家製のこんにゃくを届けて遊んで来たら」と家人が言う。

さっそく長男の家に連絡をすると

「Kipはまだ学校で、昼には戻って来るけど、そのまま遊びに行ってしまうと思います。

下のトッキーは家にいますから、どうぞ遊びに来てください」

 

 

大きな西瓜を持って秋谷海岸の家に行くと、なぜか子供たちの大きな声が聞こえる。

結局、Kip君は友だち4人を呼んで、リビングで大きなスクリーンでゲームの真っ最中。

おじいちゃんの私を見向きもしないで、キャッキャと仲間たちとゲームに熱中している。

小4ともなればおじいちゃんよりも友達を選ぶ。当たり前だ。

 

トッキー君はリビングにいない。どこかに隠れているようだ。

 

 

「トッキーは、どこだ。おじいちゃんを迎えに海岸まで行ったのかな」と。

しばらくかくれんぼが続いた。

年長さんのトッキーは、まだ、そんな可愛さを持っている。

 

 

夜に長男から、食後に西瓜ジュースで乾杯したとLINEで写真が届いた。

 

「愛の不時着」以来、その流れで次に「梨泰院クラス」へ継続視聴になる傾向だが、

私は「アルハンブラ宮殿の思い出」に走った。一気に16話2シリーズを見続けた。

 

その後はしばらく、Netflixの韓流ドラマを避けて、読書に走り、映画は日本映画に戻っていた。

 

 

同じころ韓国に赴任していたFB友だちが、最近「梨泰院クラス」にはまっている。

 

 

「キム専務は、私の好みだ」という書き込みが多い。

確かに女性の主人公より、ひときわいい味を出している。

この専務の行方が気になる。会長の後継者になるのか?

 

 

登場する人物が多く、ほとんど知らない俳優たちだ。

 

 

人脈図とプロフィールをつくって、頭に入れなおして見ている。

 

 

現役当時、梨泰院にあるハミルトンホテルだ。

赴任時には、よくここのサウナに行ったものだ。

ホテルのロビーは待ち合わせに便利だった。

 

今週になって、2日間で一気に9話まで見てしましった。

 

しばらくはまりそうだ。

あと7話だけになった。

その次はどうするか思案している。

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 16:50 | comments(0) | - | - | - |
コロナ禍が、ますます拡大されていくようだ。鎌倉蟄居は150日を超えた。

 前回のブログに「フェイスブックで61年目の偶然の出会い」の事をアップした。

そのブログ内容をFBにアップしたら、

岡田三姉妹がそれぞれのFB仲間へシェアをしてくれた。

 

 

元々の私の仲間への発信に加えて、ネットワーク力の強い三姉妹のおかげで、

想像以上のアクセス数に跳ね上がった。

 

 

当日アップのブログのアクセス数が、わずか数日間で約800アクセスになり、

ブログ全体が10日間でのアクセス数が4300アクセスになった。

わずか10日で、ひと月分に近いアクセス数に近づいた。

これは、たいした影響力だ。

 

新しい読者が過去のブログにも多くの訪問をしてくれたわけだ。

ハワイの日本語を読む人も、新読者になったに違いない。

 

 

こんな勢いで自著『僕たちの広告時代』も売れるとご機嫌なのだが……。

 

三姉妹とのそれぞれのチャットでも、さらに新しい発見があった。

ジュリーさんのHPのプロフィールで、彼女がオアフ島からマウイに移り、

彼女自身がモデルとなったエッセイ小説を知った。

 

 

「カイマナヒラの家」(池澤夏樹:集英社刊)を近くの図書館で、

取り寄せ一気に読んだ。

 

文中の「冷蔵庫の中の写真」に出てくる青年ケンタさんとは、

名前は違うが実在の人間として、昔、ハワイロケの時に会っている。

ヨットを東京からホノルルへ一人で搬送する仕事。

シングルハンドの話を、昔ハワイで、実際に本人から聞いたことがある。

 

最近、昔話でハワイロケの事を話す時は、シングルハンドのことを話した。

それを聞いた仲間たちは、全員が驚いていた。偶然の話で実話だ。                                                                    

 

サリーさんのFB友だちに、鎌倉の我が家に、実家が近い青年を見つけた。

長男の地元のクラスメイトで、サリーさんのサーファー友だちのIppei君。

 

 

鎌倉の九品寺の近くで蕎麦屋をはじめて、いまは伊豆半島に店を移転した。

その店をサリーさん家族が、最近訪問してその時の記念写真を送ってくれた。

 

 

鎌倉在住のサリーさんとは、近々リアル面会をして、

「鎌倉ーソウル2328キロを歩く」を、差し上げる約束をした。

人生いろいろ。楽しみいろいろだ。

 

そんな毎日、日常の楽しみも、家人のおかげで増えた。

 

 

毎日、便利に飲むコーヒー。

普段は豆から粉に挽いたコーヒーをドリップして飲む。短時間で簡単だ。

 

 

仕入れた生のコーヒー豆を、10gか20g狎り上手瓩貌れて火であぶる。

左右に微妙なスピードで揺らす。

いわゆる、ゆっくりと焙煎するのだ。

 

 

4,5分経って、豆がパチパチと跳ねてきたら、香りを嗅ぎながら、

適当なタイミングで直火から外す。

このタイミングは、経験が必要だ。

しばらく豆の温度を冷やさなければならない。

 

 

それを専用のミルで細かく粉にする。そのタイミングも重要だ。

それを、いつものようにドリップする。

簡単に人前で披露するが、言ってみれば狄与浸お猿

こういう時間も、十分に掛けられる。

自粛生活の一つの楽しみになった。

 

 

もう一つの増えた楽しみは、ホットサンドメーカーで挟む楽しさ、

焼く楽しさを覚えた。

薄切りの食パンに、とろけるチーズを挟んで焼く。これは簡単な方法だ。

 

 

自分で発見したのが「パンケーキの粉」にココアパウダーを混ぜて、

はちみつを垂らす。

 

 

中身にはサラミソーセージを薄く輪切りにして、バター少々、

爐箸蹐韻襯潺奪スチーズ瓩魘瓦鵑如∧厂3,4分で焼く。

 

 

裏表、適当な時間で焼くと、自己流パンケーキの出来上がり。

結構おいしかった。

 

このほかに、いつもの一日一回のウォーキング、読書、軽い執筆作業、

アマゾンプライムか、Netflix での映画鑑賞。

こんなことしていると、いつの間にか一日が終わる。

 

ほんとうに、いったい、いつまで続くのだろうか。

 

そんな時、鎌倉市役所から母あての葉書が来た。

 

 

内容は母の(百寿のお祝い)だ。

総理大臣からのお祝い状と銀杯が届くという。

母は99歳だ。しかし猊桓の祝い瓩蓮⊃瑤┷个任笋辰突茲襦

気がつかなかった。

 

 

小2の時の私がクレパスで書いた日記。

8畳間の和室で肋膜を患って、長い間寝たきりの母親。

父からは、「この38度線の戸を開けて部屋に入ってはいけない」

38度線という言葉も知らない頃の事だ。

 

女学校の頃も寝たきりが多くて、体の強くなかった母が、

その後は、母として元気に活躍した,こんにちまでの長い道のりだ。

 

 

母に、このことを伝えると「いやだ、まだ私は99歳よ」と笑って答えた。

昔は記念に犇眷姚瓩届くと聞いたが、現在100歳以上の人口が約7万人、

昨年の対象者が、約3万7000人という。

金杯が銀杯になるはずだ。

 

では、では。

 

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 19:11 | comments(0) | - | - | - |
フェイスブックが結んだ61年ぶりの偶然の出会い。

 

下の妹のクラスに(かなはら)さんという転校生が入ってきた。

 

 

当時の世田谷にあった『和光学園』は小さな学園なので親同志もすぐに仲良しになった。

三浦半島の油壷の隣に諸磯湾があり、ある時(かなはら)さんが、

「そこに別荘があるのでお使いください」と。

 

 

夏休みの間、しばらく家族揃って利用させてもらったことがある。

私がちょうど中学3年の時だ。次の妹が中学1年生、下の妹が小学5年生だった。

 

 

(かなはら)さんのお隣にタレントのE・H・エリックさんの家族が住んでいた。

 

その隣は、俳優の三船敏郎さんの別荘だった。

諸磯湾を挟んで、山の上に駐日アメリカ合衆国大使のライシャワーさんの家が見えた。

 

諸磯に滞在中にエリックさん家族に誘われて、私たちはBBQパーティーに参加した。

その家には、かわいい3姉妹がいたが、当時はそれだけの思い出に終わった。

 

 

ちなみに3姉妹の叔父さんは、俳優の岡田眞澄さんだ。

 

その後、何十年経ったのだろうか、その3姉妹のみなさんとのかかわりが徐々に出てきた。

私がサントリ―ビールの広告撮影でハワイに行った時にお世話になった現地コーディネーター。

 

そこのコーディネーターメンバーに『岡田ジュリー(珠里)』さんがいた。

岡田ジュリーさんはE・H・エリックさんの長女で有名だ。

なんと、あの頃のかすかな思い出話に花が咲いた。

ビール広告が結んだ偶然の出来事だった。

その後、私はLA、NYでの撮影が多くなり、ジュリーさんとも、そのままになった。

 

次にご縁が復活したのは、広告会社を引退した後、コピーライターの眞木準さんに、

紹介されたサンアドからフリーになったディレクターの(とみざわ)さん。

 

私が博報堂を退職した頃(とみざわ)さんは交通遺児救済のための、

プロジェクトを進めていて、眞木さんからサポートしてと紹介された。

若くして亡くなるまでお付き合いが続いた。

その奥さまがヘアメイクなどの仕事をしているエリックさんの3女の『岡田サリー』さんだった。

広告業界の仲間も多いという。

その頃は不思議なご縁と受け止め、直接にはお会いもしていない。

 

『岡田美里』さんはタレント、エッセイスト、実業家。直接存じ上げないが、

上のお嬢さんが和光学園に通っていた。

私は先輩卒業生であり、現在は学園の評議員、同窓会理事であまり無関係とはいえない。

 

(サリーさんから、このブログ記事を読んで、自分のお嬢さんたちも世田谷の和光幼稚園、

和光小学校の卒業生と連絡があった。和光学園がつないだご縁にもなるのだ)。

 

ある日、友人のFBにジュリーさんが(いいね)をしていたのを見つけた。

さっそくFBの友達申請をすると、ハワイから5時間の時差を超えて、

すぐに友達申請を承認してくれた。

 

 ジュリーさんのFB

 

気がつくと美里さんも、サリーさんもFBで発信していることが分かった。

すぐに、3姉妹の2人の妹さんにも友達申請を出した。

ジュリーさんの薦めもあって、美里さん、サリーさんからも、すぐに承認の知らせが入った。

美里さんは東京在住だということも分かった。

 

「間宮さん、ご無沙汰しています。サントリーのCMの時のことをよく覚えています」

さっそく、うれしいお返事が来た。

 

美里さんのFB

 

 

サリーさんのFB

 

偶然に始まったジュリーさんとのFB関係が、さらに美里さん、

サリーさんとの偶然を生んだ。

 

なんとさらに偶然なのは、サリーさんのFBには鎌倉在住とある。

サリーさんとチャットの結果、私の家から江ノ電で一駅の毎日のウォーキングコースの近くに、

ご自宅があることが判明した。こんな偶然なことって、あるのだろうか。

 

 

サリーさんのご主人の(故:とみざわさん)は、

私たちが立ち上げたペンギンキャラクターのカンビールの広告が終了して、

数年後に眞木準さん、戸田正寿さんと組んで「キンカンのど飴」のCMをつくった。

その時のディレクターだ。

これも、キャラクターが結んだ不思議なご縁だ。

これだから、いつまでも経っても人生は楽しい。

 

ジュリーさんのFB承諾から始まった、メッセンジャーのチャットで二日以内の出来事だ。

それも日本とハワイの5時間の時差を超えて様々なチャットで、それぞれの情報交換が始まった。

 

 

3姉妹のFBにあった昔の3人と最近の3人の写真。

上の写真は、私たちが諸磯で会った頃だろう。

同じポーズでの最近の写真だ。相変わらず仲がよさそうだ。

 

皆さんに写真掲載の了解を取ると、すぐに了解が出た。

一番家の近いサリーさんとは、いつかコロナ禍が安定したら、

鎌倉でリアル面会ができることを楽しみにしている。

 

 

「良く会った。良く喋った。また会った。そして、またよく喋った」

こうしてゼロから築く人間関係。これが自著『僕たちの広告時代』のキーワードだが、

フェイス・トゥ・フェイスではないFBを通じてのSNSで、

一瞬に61年ぶりの人間関係が復活することもある。

 

SNSが結ぶ人間関係の復活にも感謝だ。

 

 

 

一昨年、私が三崎に短期移住した時に、諸磯湾まで30分歩いて思い出の地を尋ねた。

 

 

近くにいらした漁師さんに聞くと、

「エリックさんの家はもうないよ。三船さんの家は、たまに息子さんが来ているよ」と。

 

 

昔の場所へ行くと(かなはら)さんとエリックさんのお宅は、既に無くなっていた。

 

 

お隣の三船さんのお宅あたりを散策していると、家から三船史郎さんが出てきた。

正確には初対面なのだが、短い時間、昔話をさせて頂いた。

「昔のことを、よく覚えていましたね」と、ツーショット。

この写真も3姉妹と共有したことは、言うまでもない。

 

サリーさんから、最近ジュリーさんが来日した時のお揃いの写真を提供してくれた。

 

 

(*)岡田3姉妹、ジュリーさん、美里さん、サリーさんからの了解のもと、

   本文に実名と画像を紹介をさせていただきました。

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 10:52 | comments(0) | - | - | - |
新型コロナ禍、仮隠居なのか、仮隠退なのか、仮蟄居なのか、ジッとしているしかない。

 

むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。

おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。

このところ、おじいさんは山でしばかりをしていません。いえにいます。

おばあさんは、川でせんたくをするだけでなく、

おじいさんのために、せっせとおいしいごはんをつくっていました。

 

「アジ、さば、回遊魚」の私が根魚のように、じっと鎌倉で蟄居している。

蟄居という字は読めるが、なかなか空では書きにくい文字だ。

とにかく、「家の中に閉じこもって外出しないこと」というシンプルな理解で良いと思う。

啓蟄という季語があるが、「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる事」。

 

 

つまり「冬籠りの虫がはい出る」と歳時記にある。

別に「隠居」という言葉がありますが、その意味は家督を譲り、定職をはなれて閑居する事。

私には「家督」という相続するほど大袈裟なものはない。

隠居には、それまであった立場などを他人に譲って、自らは自由な生活を送る事

最近風に言えば「世代交代」ともいえる。隠退は世に隠れ、現役を退くとある。

これまでの数年、いろいろな活動において「役割の断捨離」という気持ちで、

「世代交代」をしてきた。

閑居」は世事から身を引いて、のんびり暮らす事。

とにかく、辞書をひっくり返してみても、どの言葉も自分になかなか当てはまらない。

なぜならば、いきなり起こったコロナ禍だからだ。

 

しかし、東京へ行かなくなって、既に150日になる。

1回だけ半日東京へ。表参道の宣伝会議の講義に行った以外は、ずっと鎌倉だ。。

いきなり降って湧いた「新型コロナウィルス」禍は、「アジ、さば、回遊魚」の行動に、

大きく影響を与えた。

少し前までは、このような行動を続けられる自分を信じられないと、思っていた。

現実には150日も鎌倉に閉じこもっていることになる。

 

 

前回は韓流ドラマの「愛の不時着」16話を見続けた話しを書いた。

北の将校役を演じた主役のヒョン・ビョンが出ている「アルハンブラ宮殿の思い出」16話を、

今度は見続けることになった。

「愛の不時着」は北の将校を南の財閥の女性社長との愛の葛藤。意外な結末だった。

 

「アルハンブラ宮殿の思い出」は、投資会社の代表であるユ・ジヌ(ヒョン・ビョン)が、

ビジネスでスペインのグラナダに訪問し、

チョン・ヒジュ(パク・シネ)が運営する古いホステルに泊まることになり、

奇妙な事件に巻き込まれるストーリーを描くサスペンスロマンスドラマ。

 

 

この3週間は、毎日、Netflix にかじりつきだ。

何しろ倏笋襪曚瓢間がある瓩らだ。どうしよう。

 

先日123日ぶりに半日、宣伝会議の講義のために東京へ行った。

横須賀線「新橋駅」で下車して、改札へ向かう階段を昇っていると、

目の前の、この階段の景色が、つい、昨日見た景色のように感じられた。

それは、本当に長い間、私の日常の景色だったからだ。

目に焼き付いているシーンなのだ。

 

一体、この不思議な感覚は何だろう。

 

だったら、この間、鎌倉で過ごしてきた毎日の犁憶瓩浪申茲惺圓辰討靴泙Δ里世蹐Α

毎日の犁憶瓩、指の間からさらさらと落ちで行く砂のようだった。

 

 

まるで頭の中の砂時計の砂が、静かに落ちていく風景がよぎった。

この、不思議な感覚は何だろう。

 

 

この150日間に鑑賞した約40本の外国映画、加えて「愛の不時着」16話、

「アルハンブラ宮殿の思い出」16話。

いろいろな映画のシーンが、頭の中を一瞬のように交錯して砂時計の砂のように消えていった。

 

「GOTOキャンペーン」について賛否が分かれている。

冷房と暖房を一度に使うようだと批判する人がいる。

「東京問題」なのか「国の問題」なのか。

私は、しばらくは根魚のように、ジッと、海の底でおさまっているしかないのだろうか。

 

  

 

 

 

もし私が、次に動きだしたら、楽しい画像をみなさまに、お届けするでしょう。

もう少しの我慢ですね。

| team-mamiya | from-mamiya「鎌倉の話」 | 12:23 | comments(0) | - | - | - |
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