鎌倉から、こんにちは

「鎌倉発、韓国ソウルまで。」
徒歩の旅を終えて、あらたなスタート!
鎌倉から日常のあれこれをお伝えしていきます。
春めいてきた朝のウォーキング。足の怪我の調子もよくなったし。

 

 

このところウォーキングをさぼっている。

昨年からの「座り病」からくる膝の調子が良くなかったが、復調したとたんに、

最近、不注意による転倒。左の膝頭を怪我した。完治まで一か月かかる。

このところ三寒四温。だいぶ春めいてきた。

 

 

午後から東京で会議だ。午後から雨模様という予報。

この天気で雨?

ならば出かける前に、朝のうちに少し歩こう。

 

いつもは海沿いの道に向かうのだが、今朝は静かな森林を歩く。

珍しくエフエム横浜の秀島史香「湘南バイザシー」をイヤホンで聞きながらだからだ。

 

 

家から歩いて10分の所に鎌倉市が管理している「広町緑地」がある。

外周コースを歩くと一時間ほどかかる大きな森林地域だ。

 

 

早速、木道を歩いて森に入り込む。

 

 

静かな小道をゆっくりと歩く。

「この先行き止まり」の標識。昔は探検気分で歩けたのだが、今は安全第一。

 

 

「市道峯が原1号線」。大げさな標識だ。

 

 

「マムシ、スズメバチがいます」の標識も。

 

以前は歩いている道の前を蛇が横切っていたこともある。

 

 

林の向こうにいつも歩いている七里ガ浜の海がのぞける。

 

 

さらに歩いていくと、大きく相模湾が現れる。向こうは逗子方面で、三浦半島が見える。

いつもは、この海沿いの道を歩いている。

 

 

富士山を眺望できるポイントに来た。

今日は春霞で見えない。

 

 

小径はだんだんと下っていく。

入口広場の管理棟が近づいてきた。

今日の歩きの終点だ。

 

心地よい汗をかいた。

秀島さんのDJ番組も、そろそろ終わりに近づいている。

 

さて、気分を変えて、東京へ同窓会の理事会だ。

午後の雨は、恵みの雨になるだろうか。

 

 

普段は七里ヶ浜の住宅地の坂道を楽しんで歩いている。

私の好きな景色だ。

 

 

夕方の歩きには、こんな黄金色の景色も楽しめる。

 

月末には私が主催する歩きの企画が2つもある。

鎌倉ーソウル踏破の「記念ウォーク」。

仕事仲間の若いメンバーとソウル関係のシニアで歩く「鎌倉の桜ウォーク」

 

とても楽しみだ。

少しお待ちください。

 

| team-mamiya | from-mamiya「徒歩の話」 | 10:42 | comments(0) | - | - | - |
気候が良くなってきた。少し歩き始めるか。午後は昔の人が歩いた街道の話を聞きに行く。

 

午後に東京に出かける用事があるのだが、気候も良くなってきたので、

少しバラエティーをもって近所を歩いてみよう。

いつものように七里が浜の坂道に向かうのをやめて、久しぶりに江の島の西浜に向かった。
 

日曜日の海辺には、すでに朝から若い人たちがやってきている。

伊豆半島、箱根方面や富士山、丹沢方面は、春霞で靄の中。ほとんど何も見えない。


片瀬川の河口に海から漁を終えた船が波を切って帰ってくる。

 

 

今日は穏やかな海なので、スタンディングボードで沖に出て行く者もいる。

うっすらと富士山が姿を現してきた。


 

片瀬漁港の西プロムナードの突端の釣り場に行ってみる。

白灯台のあたりでは行儀よく、数名の釣りファンが竿を出している。

最近はシロギス、舌ヒラメなどが上がるようだが、今朝は小さなメゴチが入れ食いだった。

釣りのマナーをチェックしているリーダー格のお兄さんとおしゃべりが続く。

漁港の船の出入りには、漁師の仕事の邪魔にならないよう、

行儀よくみんなが糸を巻き上げている。

 


 

片瀬漁港の浜へ戻ると、昔、若いころに鵠沼の浜で地引網のお世話になった、

『堀川網』の若い衆が軽トラから降りてきた。

「昔は鵠沼の浜で、『堀川網』には、地引網でずいぶんとお世話になりました」

「今年は3月終わりから始めるだよ。3月までシラスが禁漁だしな」と。

「最近は地引一網で幾らくらいになるのですか」

「藤沢市の協定で一式で10万だよ」

「昔は一式6万で、てんぷらの食べ放題で、たくさん揚げてくれたんですよ」

「いまは、てんぷらは別料金だよ。時代だよ。時代!」と彼は自重気に言い放った。


 

そんな会話をしながら「片瀬漁港・鮮魚直販所」の中に入ってみた。




 

さっきより、だいぶ市場の中が賑わってきた。



ムギイカ、丸イカ、アジ、イナダ、さわら、太刀魚と氷漬けになっている。

「春のシーズンになると、もう少し種類が上がってくるんだけどな」と、

魚をさばきながら威勢よく話してくる。

 

10月に移住体験した三崎港の朝市と、少し雰囲気が違った。

なんだかんだで、日曜日の朝に2時間で7キロほど歩いた。

うっすらと体に汗をかいた。そんな季節になったんだ。


 



 

鎌倉の家を出かけるときに情報を得て、皇居で行う天皇陛下御在位30年記念の記帳会場へ向かった。

東京駅から皇居の宮内庁まで歩き、検問所で手荷物検査、セキュリティを受けて記帳会場へ。


 

「神奈川県 間宮武美」と記帳を済ませて、坂下門を出て竹橋へ向かい一橋講堂へ着いた。

東京駅から歩いても大した距離ではなかった。

皇居の周回をマラソン人が、どんどんと横を走り抜けていく。

 

午後からは東京の一橋講堂で行うシンポジウムに参加することになっていた。

『竹内街道・横大路(大道)』〜難波から飛鳥へ日本最古の官道(国道)〜。

いにしえの時代から続く街道浪漫、悠久の歴史を歩く話だ。

夢のある街道の話を聞くことになっている。



 

613年。推古天皇(33代天皇)や摂政の聖徳太子のころの話から始まる。

遣隋使を招いた頃に、幅30mほどの約40キロの難波(堺)から飛鳥へのまっすぐな道。

外交の道、経済の道、信仰の道といろいろな角度で3人の学者さんが話してくれる。

それに先だってゲストスピーカーとして、里中満智子さん、嵐山光三郎さんが加わる。

 

鎌倉−ソウル2328キロを歩いて考えたことを思い出して、

実りある楽しいシンポジウムの3時間だった。

1400年にわたる悠久の街道は、2017年に世界遺産に選ばれた。

 



 

東京駅周辺もちょっと見ないと、すっきりとした景色に変わっていた。
 

シンポジウムの終盤にあたり『竹内街道』今後のビジョンをどうしていくかの議論になった。

里中満智子さんの40キロで思いつくのはマラソン。

いっそ難波から奈良を抜けて伊勢までの駅伝なんて、夢があって楽しいと提案があった。

漫画家の里中さんらしいアイデアと思った。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「徒歩の話」 | 18:11 | comments(0) | - | - | - |
新年の日本橋、石川文洋さんの日本縦断の後半の旅がスタートした。

 
 

1月7日、日本橋は朝から快晴だった。温度は7度。

9時前に石川さんの馴染みの仲間が日本橋に集まってきた。

両国高校の同級生、昔の職場の朝日新聞の仲間たち、
石川さんを追いかけている共同通信の記者さん、

徒歩の旅を映像で追いかけるジンネットのスタッフ、歩く仲間たち、

ベトナム旅行の石川さんのファン仲間たちが三々五々と集まってくる。

石川さんは年末に歩き終わった表情から比べると、全く元気を取り戻して、
見違えるように元気な様子だった。


 

ご縁の深い仲間に加えて、福島からは尺八の名人がやってきた。

徒歩の旅の無事を祈って、アメイジンググレイス、沖縄の芭蕉布、新相馬恋歌を演奏した。



日本橋を背にして記念写真を撮って出発だ。
もちろん見送りだけの人もいる。

 



 

仕事始めの人だかりの中、銀座通りを登山するような恰好の石川さん、真っ赤なダウンジャケットや、

石川さんの周りを取材の報道陣たちが、西に向かって歩きだした。



東京タワーを見ながら写真を撮る石川さん。また、その姿を映像班が撮っている。

 


 

「泉岳寺をお参りしたい」と石川さんが資料の地図を見ていった。

若いころに一度お参りしたことがあるだけだと。

田町を過ぎて、高輪ゲートウエイ予定地のあたりに目的地はある。

浅野内匠頭長矩、大石内蔵助など義士たちが眠っている。

大石内蔵助の前で記念写真。

 

いちいち記念写真を撮るのは、石川さんの歩きのペースの邪魔にならないか。

参加した仲間たちは、徒歩の記念になり、かなりうれしいのだ。

こういうことから、早く解放させてあげたい。と思ったりする。

 


 

 

品川駅では途中参加の友人も合流し、旅の装備をサポートしている

mont−bell(モンベル)のオフィスへ寄った。
 

 


 

 

ここでも記念写真だ。
 

 


 

 

そのビルの下のレストランで全員一緒にランチを取ることができた。

午後は御殿山の先から品川宿を抜けて、旧東海道を大森海岸駅まで歩く。
 

 

 
 

 

途中の商店街は平日昼というのに、珍しく賑わっている。
 

 


 

 

そこへ品川ケーブルテレビの若いスタッフとばったり出会い5分間の取材を受けた。

「品川宿のある旧東海道を歩きたくて」と話す石川さんの徒歩の旅を聞き、

若いスタッフは、想像できない旅の凄さに言葉を失った。
 

 


 

 

最後は鈴ヶ森刑場跡に寄った。丸橋忠弥、八百屋お七、天一坊が処刑されたという、

江戸の処刑史上重要な遺跡だ。

 

大森海岸駅前の今夜の宿のホテルに着いた。

 

そのあとは、みんなが待っていた石川さんとのいっぱいの打ち上げだ。

近くの居酒屋で一杯が二杯、3時間のも及ぶ宴会になった。

こうしてお祭りの第一日目は、無事に終わった。

 


 

 

「湘南の近くでは一緒に歩きたい」と、この計画を伺ったときは、

そう石川さんに伝えた。

打ち上げの前に「明日からは一人で歩きたい」とみんなに伝えたので、

私は納得して、その気持ちを十分に尊重し、翌日からの伴走徒歩はあきらめた。
これまでの北海道、東北、関東の徒歩の石川さんの映像を見ると、

私の時もそうだったが、一人で歩く姿が日本縦断踏破という言葉がぴったりと似会うと思う。


年末の日本橋到着の日も、新年の日本橋出発の日も、馴染みの方々に囲まれて歩く姿は、

一種のお祭りイベントだった。
翌日からは映像カメラマンと石川さんひとりの徒歩の旅を、

私はしばらく静かに見守りたいと思った。


いつかお祭りの日は是非、みなさんと一緒に歩きたいと思う。

たぶん、箱根峠を越えるあたりで、数人がサポートするかもしれない。

 

60歳の2328キロと80歳の約3500キロの意味は大きく異なる。

この信念とその重みは、やはり憧憬に値すると思った。

 

*)1月13日(日)24:55 NNN系ドキュメント。

    石川文洋さんの徒歩の旅の北海道、東北、日本橋までの前半のドキュメンタリー。

    是非ご覧ください。

| team-mamiya | from-mamiya「徒歩の話」 | 23:39 | comments(0) | - | - | - |
石川文洋さんと一緒に歩きました。宗谷岬から沖縄の那覇まで日本縦断。80歳の再挑戦。

 
 

 

戦場カメラマンの石川文洋さんは「日本縦断 徒歩の旅」=65歳の挑戦=(岩波新書)

80歳の今年にふたたび実践している。

今年の7月8日、宗谷岬を出発した。関東に来るのはいつだろうと思っていた。

前回は日本海側を歩き、今回は太平洋側を歩いて、同じ徒歩の旅に再挑戦している。

石川さんとは60歳の時「鎌倉ーソウルの徒歩の旅」で同じ日本海側を歩いて、

偶然、続いて2軒も石川さんと同じ宿に泊まったり、

萩の手前で偶然同じおばあさんと30分もおしゃべりしたり、

そんな共通体験をしたことから、12年前からお付き合いが始まった。


 

お住まいが上諏訪なので八ヶ岳農場で行った『農場写真展』」の審査員長をお願いしたり…。

今回は、かねてから関東に近づいたら一緒に歩きましょうと約束していた。

2日前に「浅草の雷門」から9時に歩きはじめるという連絡があった。

石川さんは、ゆっくりした歩きであまり長い予定を立てない。

従って、みんなさんに迷惑を掛けないように一寸刻みで連絡が入る。

この日は日本橋をゴールにして、今年の最後の歩きになるという。

なんとか予定を空けて、浅草に向かった。
 

 
 

 

雷門の前では多くのマスコミが取材をしていた。
 

 


 

 

今日は卒業した「両国高校」の友人たちが雷門に来ている。

後で訪問する両国高校やゴールの日本橋に多くの同期生が集まってくる。
 

 


 

 

今日は晴天の空にくっきりとスカイツリーが、どこからでも、よく見えるのだ。

文洋さんも立ち止まってスカイツリ―を撮っている。
 

 

 

11キロのリュックを背負ってみた。
そのずしりとした重みは、私の旅の時の重さを思い出させた。

 

 

横網町にある震災記念堂に寄った。

1923年(大正12年)の関東大震災の被害にあった方々の遺骨が納められている。

また第二次世界大戦の一連の大空襲で被害にあった方々の遺骨も納められている。
 

 


 

 

 親水公園でツーショット。
 

 



 

 

両国高校では平成21年に夜間部が廃校になった。

その同級生たちが祀った記念碑を囲んで当時の仲間が集まった。





 

清澄公園を抜けて、みなさんの待つ日本橋へ向かった。


 

「道路元標」の前で記念写真。


 

文洋さんは、とりあえず年内の歩きを、ここで中断して上諏訪で健康診断や正月を休んで、

新年になったら、ここ日本橋から再び徒歩の旅に向かう。

私は「鎌倉ーソウルの徒歩の旅」を80歳で再挑戦できるか考えてみた。

おそらく、体力気力では文洋さんにはかなわないと思った。

 

 

翌日は豊多摩高校野球部の先輩と同期が「東京六大学OB会(六球会)」の試合で、

慶應義塾野球部OBとして、神宮球場で試合に出るので応援に向かった。



 

石丸元旦さん(81歳)はサード。吉田正敏(74歳)は投手として出場する。

吉田君は3回無失点で明治を抑えた。あっぱれ。
ネット裏で考えた。
もしもこの野球部のユニホームを貸してもらえたら絶対にグラウンドに立ちたい。

昔、高校野球の一年の夏の大会で、この神宮のグランドでサードに立ったのだ。

あの長嶋茂雄と同じ位置で守ったのだから。

 

 

その翌日、私は表参道の宣伝会議「提案営業力養成講座」で教壇に立った。

広告会社の若者の前で「広告営業の役割について」2時間の講義をしたのだ。

 フェイス・トゥ・フェイスの大事さを熱っぽく語った。

 


日本縦断も、神宮球場も、宣伝会議の教壇でも……

「老兵は去らず。まだ消え去らないのだ」。

 

| team-mamiya | from-mamiya「徒歩の話」 | 22:32 | comments(0) | - | - | - |
初秋のハイキングは武蔵野の面影を追い、緑の玉川上水の源流歩き。

 
 

「たまには湘南以外で企画してよ」

先輩から痛いところをつかれました。

 

そして考えました。

武蔵野の面影を追いかけて、玉川上水の源流を川沿いに歩きました。



 

まずは小作緑地公園


 

車の来ない道を歩く

青梅線の「小作(おざく)駅」から出発して、最後は二つ隣りの「福生駅」まで。

ゆっくり歩いて、約13キロのハイキングになった。

 

今回は同じ幹事だった佐藤真一さんを偲びながら歩きます。

彼は1年上級で同じ「制作」に所属してラジオドラマのシシナリオを書いていました。

仕事はテレビ朝日のディレクターとして、昼ワイドなどを仕切っていました。

最近は大人しい性格でしたが、頼りになる幹事でした。

ハイキングの下見のよき相棒でした。合掌



 

 

阿蘇神社。

推古天皇9年(901年)創建と伝わる羽村最古の社だ。

地元の方が七五三のお祝いをしていました。代々氏子だそうだ。

仲間は遠巻きにかわいい子供の儀式を眺めていました。

 


 

神社の前で記念写真。


 

すがすがしい風を受けながら、青空一杯の堤防道を歩く。

ここで少年野球を見ながら軽いランチタイム。

 
 

 

羽村堰(はむらぜき)。多摩川からの第一水門(取水口)の構造が分かる。

この「堰」は「投渡堰」と呼ばれ、今も昔も変わらぬ手法で取水が行われている。

 

 

玉川上水は承応2年(1653年)に工事が始まり指揮を取った玉川兄弟は、

羽村から四谷大城戸(現在の新宿)まで約43キロを僅か8ヶ月で完成させた。

 

私はその下流の下高井戸という町で生まれた。桜上水と言って桜の季節は見事な景観だった。

その頃は水流も滔々と流れて、上流ではあの太宰治も身を投げた事で有名な川だ。
 

 

 

玉川を渡って右岸を1キロ戻ると「羽村市郷土博物館」。

羽村と玉川上水の歴史、堰の仕組みが詳しくわかる。

羽村は長編小説「大菩薩峠」で有名な中里介山の生地だ。

羽村堰の近くの水車小屋で生まれたという説がある。
 

 


 

しばらくは玉川上水の流れを見ながら歩く。

 



 

宮本橋まで来ると「田村酒造場」がある。幻の酒「嘉泉(かせん)」の製造元。

タイミングよく酒造りの説明を伺うことができた。

数年前に天皇、皇后が酒蔵を見学されて、オーナーの家で休憩されたと……。

 

 

名誉ある話だと展示館に飾られた写真を紹介してくれた。

 

 

 

前日に作り替えた「杉玉」が青々と下がっていた。

「杉玉」は新種の酒が出来た知らせで新しい杉で作った玉を軒下に下げるのだ。

 

小作駅から多摩川に出て、玉川上水をゆっくりと歩くハイキングは、天気に恵まれて

印象的な歩きになった。

 

 

立川まで移動して予約した店で、おしゃべり&飲食タイム。

いつも集まる常連の仲間は元気な先輩後輩。

何杯も酒をお変わりして、夜の更けるのも忘れたようだ。

 

なお、11回続いた「三崎生活」レポートは、しばらくお休みです。

何か新しい進展があれば、レポート復活します。

| team-mamiya | from-mamiya「徒歩の話」 | 12:56 | comments(0) | - | - | - |
朝の気温は23度。歩くのにもってこいの季節になりました。

 
 

穏やかな朝の海です。
朝の気温は23度。歩くのにもってこいの季節になりました。

この夏は異常な暑さと、ひざの具合が悪く、しばらくウォーキングはサボっていました。

早速、坂道専門の七里が浜の住宅地を中心に歩きます。



 

いきなり浜上山の住宅街。坂道を上がります。




 

住宅街を抜けると134号線に抜ける下り道。

 

 

鎌倉高校前駅の手前で地元の「毎日歩き」の太田さんに久しぶりにお会いしました。

少し雑談タイムです。

 

太田さんは高度成長とバブルの頃の有名商社マンで退職して既に20年。

韓国への出張も多く話が通じます。

雨でも毎日歩くのです。継続は力だと、いったん止めると続かないので毎日歩く。

一日1万5000歩目標。(約10キロですね)

20年で記録によると1億1700万歩、歩いているそうです。

最終目標は1億2000万歩。あと300万歩です。一日1万歩でも300日。

太田さんは歩いた距離よりも、歩数が大事なようです。

私は「鎌倉ーソウル2328キロ」。歩数より距離を頭に入れます。この違いです。

大事なのは歩数です。ソウルへの旅の合計歩数はどうなるのでしょうか。

著書では毎日の距離の合計は計算されていますが、毎日の歩数の合計は記録されていません。
機会があれば80日分の歩数も計算してみます。
毎日の歩くコースは変えているようです。
稲村ケ崎往復、手広往復、新林公園往復、江の島往復とバリエーションを変えています。

 


 

こちらは鎌倉高校前駅をさらに七里ヶ浜駅にむかい。

途中から階段道を住宅街に上がります。坂、坂、坂です。




 

江ノ島の見える丘に来ます。

最近、右側の白い家の方とも知り合いになりました。





 

坂を下りてくると鎌倉高校前駅の踏切です。


 

『スラムダンク』で有名になったこの踏切は台湾の方に取っては聖地です。

午前中から毎日たくさんの観光客で大混雑になります。
きわめて危険な状態です。


 

この坂は日坂(にっさか)と言って、坂名の由来については、

鎌倉時代の武将・新田義貞が鎌倉攻めのおりにこの坂道を通ったことから

「新田坂」と名付けられたのですが、いつの頃からか、

それが「日坂」と変わっていったというのが有力説です。

 

なお「日坂」という名前については、この坂道が南に向いて日当たりがよいことから

「日の坂」と書いて日坂となった説が有力です。
また、坂道を歩いていると、山を掘って交通路として開いた切通し独特の景観も楽しめます。

ここは有名な鎌倉の七切通しとしては数えられていませんが、

新田義貞が生きていた時代から存在する古くて由緒ある坂道であることは確かなことでしょう。

 

 

この日坂を腰越中学校方面に下っていくと、もうじき我が家です。

約5キロですが坂道が多くて、脚に負荷がかかり、いいトレーニングになります。

 


という事で明日は、「セーリングワールドカップ江の島大会」でにぎわう江の島へウォーキングします

江の島の白灯台までは、ほぼ7キで平坦な道です。
今日は歩き終わっても、膝は痛くなりません。
この調子で、改善されると良いのですが……。 

 

| team-mamiya | from-mamiya「徒歩の話」 | 13:15 | comments(0) | - | - | - |
「私の企画案がまずかった。ごめんなさい」。たった5人のハイキング。でも充実した歩きでした。



「私の企画案がまずかったんです。ごめんなさい」。

横須賀駅に集合した大学のハイキング仲間への第一声だった。

今日は晴れた!恒例の初夏のハイキング。しかし、通常は20名前後の参加者が居るのだが、

翌週末の「放研三田会総会」が続き、2週連続の放研三田会のイベントが重なり、

常連メンバーも含んで多くの不参加者が出たのだ。

生憎、幹事のひとりが健康上の都合で、私が一人幹事役で立ち回ることになった。

結果的には2人の当日キャンセルも含めて今回のハイキング参加者は私含めて5名になってしまった。

今回は横須賀の街散策で、海を渡り無人島の猿島散策も楽しもうという企画だ。


 

駅前のヴェルニー記念館の見学からスタートだ。

横須賀造船所を建設したフランス人のヴェルニー氏の功績を称えて、蒸気を動力としてハンマーを,

持ち上げ落下させる大きなスティームハンマーの陳列が楽しめる。

明治初期に導入したようだ。



 

次にランチでにぎわうまでには、ちょっと早いが「どぶ板横丁」を散策。

シンボルのTシャツも売っている。


 

徒歩30分で三笠公園に到着、日露戦争で知られた戦艦「三笠」の前に東郷平八郎司令長官の像がある。

早速5人の記念写真だ。逆光の割には良く撮れた。


 

11時半の連絡船に乗り、猿島を目指して船は進む。

かつては軍の要塞として使われた猿島は、今では豊富な自然と歴史的な建造物が残された無人島だという。

BBQを楽しむ家族連れ、若者たちで浜は賑わっている。


 

Welcomeの桟橋に降りて、さっそく島の中心部、旧要塞施設が並ぶ切通しを抜けて,
島の中央部へすすみます。




フランス積みの煉瓦造りのトンネルがある。中には砲台地下施設がある。



 

山の頂上にある司令塔施設に繋がる階段。



 

続いて砲台跡に繋がるトンネル。島の中には4,5か所の砲台跡がある。


 

海をバックに砲台跡で記念写真。


 

この後30mも下る階段を降りて、日蓮洞窟を見学する。蒸し暑い中、汗ダクダクの見学だった。



 

この後、島の中心部の散策路を下ったり登ったりで観音崎が望める広場でひと休憩。


 

向こう岸の山の上には防衛大学が見える。


 

乗船前に海を覗くと、本当に澄んだ海岸だ。思わず泳ぎたくなるような気持ちにさせる。


 

2時間ほどの猿島散策を楽しみ、船上のさわやかな風に吹かれて三笠桟橋へ戻る。

島の連絡船の最終便は5時である。

『もしも乗り遅れた方は連絡ください。その場合は別途料金を戴きます』

横須賀市の条例で猿島には泊まることは出来ない。火器の持ち込みもできない。
BBQなどは島の管理下で行う。
中には悪質な連中もいると聞き、その場合は警察が出動するか、
連絡船会社の場合のチャーター船手配はペナルティーで、
約8万円の請求のケースもあるという。

 


 

この後、横須賀中央駅を抜けて「自然・人文博物館」で、横須賀で化石が見つかったナウマンゾウの
骨格模型などを見学し、懇親会の店に向かった。



最後の中央公園に登ることは、パスして生ビールが早く飲みたいと。

 

約11キロの徒歩のハイキングの後はうまい魚と冷たい生ビールで、
時間の立つのを忘れるように、楽しい打ち上げになったことは言うまでもない。
昨年の秋のハイキングは秋の台風の影響で、前日に中止決定だった。
梅雨の合間の長雨の中、わずかな一日だけのの快晴。我々5人にとってはラッキーな一日であった。

 

次回は参加者が20名復活のコース案を考えてある。

武蔵野の玉川上水沿いを歩く企画で、今日のように登り坂、下り坂のないコースになるはずだ。

乞う!ご期待だ。

 

| team-mamiya | from-mamiya「徒歩の話」 | 14:30 | comments(0) | - | - | - |
角を曲がると、旅がはじまる。知らない道歩きました。

 
 

平日の朝、湘南は朝から日本晴れ。早速短パンで歩き始めました。

今日は、坂道中心に歩くので七里ヶ浜住宅街を歩きます。

134号線を七里ヶ浜高校とプリンスホテルの間の坂道から上ります。

振り向くと青い海が見えます。


 

日蓮の雨乞いの池の前に来ました。ここから住宅街へ急な坂道になりますが、

いつもは通り過ぎる左の道へ入ります。


 

「角を曲がると、旅がはじまる」永六輔さんの言葉だ。


 

ここは車や人通りの少ない登り坂が続きます。


 

ひたすら上ります。

「この先行き止まり」が気になりますが、歩いているには関係ないでしょう。


 

まだまだ登ります。ここに生活しているお年寄りはどうしているのでしょう。


 

急な階段を降りると、江ノ電の側道。いつもの道にでた。

すぐ近くの細い生活道路を、踏切を越えて登ります。


 


 

階段をゆっくり上ります。

陽のあたる坂道。(石坂洋次郎の小説)石原裕次郎が主演の映画。

この道は少しイメージが違います。

 

右手には太平洋が見えます。


 

電信柱には七里が浜2丁目とあります。いずれにしても近くの町内には違いない。


 

いつも住宅街に出て来た。


 

アジサイが咲き始めています。


 

目の前は、いつもの江の島。白灯台が見える。

家から白灯台まで往復1万歩。7キロの場所だ。


 

海が開けて見えます。朝陽の中で好きな場所のひとつです。


 

見おろすと134号線の走る海。


 

坂を下ると鎌倉高校駅。


 

踏切にはどこかの国の観光客がたくさん集まっている。

住人には大変迷惑な話だ。

 

しかし、私がソウルに住んでいた頃は日本からオバチャン達が「冬のソナタ」の

人気場面の高校の正門に、このように平日もたくさん集まってきたことを思い出す。

歴史は繰り返すのことわざの通りだ。気にしない、気にしない。

 

さぁ、シャワーを浴びたら東京に出かけるぞ。

 

| team-mamiya | from-mamiya「徒歩の話」 | 14:02 | comments(0) | - | - | - |
一人でハイキングの下見。迷った挙句に横須賀の街散策、海を渡り猿島へ。

 
 

大学のクラブ、放研三田会のハイキング。昨年の秋のハイキングは雨で中止。
半年ぶりのハイキング企画になります。今回は幹事団の事情に寄り、下見から幹事は私が一人です。

あっちにしようか、こっちにしようかと散々迷った末に「横須賀の街」にしました。


 

JRの横須賀駅を降りると、目の前はもう横須賀軍港。大きな軍艦が見えます。



 

ヴェルニー公園の木道を歩くと桟橋越しに「横須賀製鉄所(現在の横須賀造船所)」が見えます。

対岸に開けるドライドッグは、当時は欧米先進国にも負けないもので、

現在も現役の造船所として利用されている。



 

平日の午前中の「どぶ板通り」は、人通りもなく、シャターがまだ締まっていて、静まり返っている。

大きなエキゾチックな看板。

更に進むと米軍横須賀基地のゲート警備室を横目に、更に歩くと三笠公園に着く。

戦艦「三笠」のある広場には東郷平八郎司令長官の大きな像が我々を迎えてくれる。



 

この三笠は日露戦争で一躍世界的にも知られる軍艦で、

戦艦そのものが博物館になっている。本番の時には内部に入ることになるでしょう。

 

 

三笠公園から海を眺めると、少し先に緑あふれる島が見える。




 

東京湾に浮かぶ唯一の無人島「猿島」だ。かつて「東京湾要塞」のひとつで砲台や弾薬庫、司令部などが置かれていた。

船で10分ほど乗ると、周囲1,5キロの島に着く。ここで島一周の散策とランチを予定している。

今日は、雲行きが怪しいので、猿島の下見はパスする。
 

案の定、一転黒い雲が現れて、雷と同時に大粒の雨になった。

下見を休止してラーメン屋に飛び込んだ。
ざっつと一雨過ごすと、晴れ間が見えたので横須賀中央駅の北側にある「中央公園」に向かった。

横浜市自然・人文博物館の見学をする。


 

ナウマンゾウの化石や、大きな水槽の中には35年前に相模湾で捕獲された
ミツクリザメの標本が展示されている。



 

江戸時代の両市の生活がジオラマ風に展示されている。

天気が良くなったので中央公園に行ってみた。

横須賀市街が一望でき、海には猿島も見える。




 

中央公園を下ると、懇親会場が待っている。本番では仲間と共に海の幸を肴に楽しい一献が待っている。

| team-mamiya | from-mamiya「徒歩の話」 | 16:39 | comments(0) | - | - | - |
いつもの徒歩に合わせて、冗談のように、わずかな字数で「間宮林蔵」を思っていました。

 

  

いつもの徒歩の写真とソウルへの徒歩の旅のシーンのコラージュです。
歩きながら13年前の大変な行動を思い出しています。
間宮林蔵は、もっと大変な歩きで偉業を成し遂げました。


こちらは太平洋。方向が違うので樺太は見えません。


 

間宮隼人は関東に攻め入る豊臣秀吉に対峙した北条軍勢を

海から守る間宮水軍の将であることはあまり知られていない。
間宮林蔵の7代前の先祖に当たります。



  

あの秀吉であれば一夜で城ができてしまったと北条軍勢は思ってしまったのでしょう。

一夜城の戦いに負けた北条方の間宮水軍はぐるりと房総半島を経て一気に常陸国の海岸に船を捨てて、

隼人は筑波郡上平柳村で帰農した。(ここが大事なところです)。



鎌倉からソウルへ続く134号線。海はありますが……。

 

安永9年、なんとこの地の農家に生まれたのが間宮林蔵である。

隼人の7代後の子孫であると前述した。
幼いころから利発な子と言われ、地元では有名であった。

わずか13歳にして役人の下僕として、普請役人と共に江戸に出ることになったのです。

 

 

江戸で測量技術や地図作成術を覚え24歳にして東蝦夷地、南千島の測量に従事し、

その後、海峡地帯を突破して、ついに間宮海峡を発見するのでした。わずか30歳の時だった。

私が鎌倉からソウルまで2328キロを踏破したのは、倍の年齢の60歳の時だった。



 

 


 

 

林蔵は、その功を褒められて役職についた。

私のソウルへの徒歩の旅は外務省の「日韓正常化40周年」の記念行事に認定されたのですが……。

マスコミにも取り上げられて、一人旅が大げさな話になってしまったのです。

 

 

 


 

江戸に戻っての林蔵は、公の職を離れて、
全国を歩き回り異国船渡来の見聞内偵の仕事のために隠密的な生活を送っていた。

晩年は「シーボルト事件」に巻き込まれて表だった役目から離れた。
 

 

一方、伊能忠敬は幕府の命により日本全国を測量し「大日本沿海興地全図」を作成したが、

忠敬の死後も林蔵は地図を書き続け、その日本地図の大半を完成したことは世にあまり知られていない。
 

64歳、江戸の深川でその生涯を閉じた。

 

 

天保15年2月26日の事だ。

今でいう1844年。その100年後に私は生まれた。

 

私は間宮林蔵の子孫かどうかは大きな謎である。

いつかは、その謎を解かねばならない。(続く)

| team-mamiya | from-mamiya「徒歩の話」 | 14:02 | comments(0) | - | - | - |
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