鎌倉から、こんにちは

「鎌倉発、韓国ソウルまで。」
徒歩の旅を終えて、あらたなスタート!
鎌倉から日常のあれこれをお伝えしていきます。
最近、地元の生活で、心がけている数々のエピソードです。

 

若いころの坂の登り方は見よう、見まねで、誰でもが少しでも上を目指して坂を登っていくことが出来た。

しかし、この年代になり一度登った坂の下り方は、だれも教えてくれない。

人それぞれの下り方を見つけないといけないのだ。

坂を下りながら、日常の広告人生活で経験した毎日を思い出し、駆け上がっていた頃の数々のエピソードの記憶を蘇らせながら、坂を下ってくるのも捨てたものではない。

執筆中の作品のあとがきだ。

 

最近、この著作の出版が決まり、編集部とのやり取りの毎日を過ごしている。

三年近く右往左往して書き下ろしてきた作品なので、ほぼまるごと内容は採用されている。

現在は(て、に、を、は、誤字、脱字)の類の修正中だ。

後はノンフィクションなので実名の方に、内容の再確認をしている。

その反応が楽しく勇気づけられて、新たに加筆したりしている。

あっという間に時間が過ぎていく。これも楽しい。

 

 

夏の間は、起き抜けの朝のウォーキングで、午前中から書斎か、

 

 

近所のファミレスにパソコン持参で文章作成を心掛けた。

そして夕方からは、近所の銭湯でサウナを楽しむ。帰宅して飲むビールがうまい。

 

 

最近はだんだん陽が短くなってきたので、朝のウォーキングを夕方のウォーキングに変えた。

海辺を歩くと、秋のつるべ落としのように、西の空が真っ赤に染まり、雲が芸をしている。

 

 

一日中机に向かっていたので、夕方ウォーキング。

海に出ると、大きなワニが口を大きく開けて何かを狙っている。

サーファーのみなさん!気を付けて!

 

フェイスブックで、たわいの無いヒトコトをアップした。100に近い(いいね)を戴いた。

 

 

この半年間、朝食はキャベツの千切り、さいの目にしたタマネギを炒めて、目玉焼きを乗せ、

マヨネーズ少々に、軽くソースをかけた糖質制限食を続けている。

 

 

昼は普通にサンドやラーメンで適当に糖質を取っている。

 

 

夜は適量の酒(ビール、ウィスキー)に肉、魚、野菜で納める。

このところ、お米は食べるのは、外食以外は家では極めて少ない。

これで体重が3キロ弱減った。念願の減量ができたのだ。

なんといってもヘモグロビンAICが7を切って6.5も切り始めた。

こんな素人療法が血糖値に良い効果をもたらしたのだ。

「その辺で止めておいて、低血糖も困るので」と医者に言われた。

 

余談になるが、毎年1123日、全国の神社において新嘗祭が行われる。

天照大御神はじめすべての神様に新穀をお供えして、

神様の恵みによって新穀を得たことを感謝するお祭りだ。

新嘗祭のうち新天皇が即位して最初のものを大嘗祭という。

 

神道の我が家では、大津米の新米を用意してあったので、我が家流の新嘗祭を行った。

ひさしぶりの米、それも新米。

 

 

佃島で求めた昆布とワカサギの佃煮、錦松梅を添えての新米は、あまみを抑えたおいしさだった。

久しぶりに米のうまみを感じた。

なにも足さない。なにも引かない。そのものの味を楽しんだ。

 

東京の仕事場に出かける回数も激減したので、鎌倉の秋を楽しんでいる。 

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 17:44 | comments(0) | - | - | - |
KOBSハイキングは混成チームで豊洲新市場見学から佃島、月島と秋の一日散策。

 

恒例の大学のクラブ仲間との秋のハイキング企画。

今回は1年後輩の豊洲市場内の「センリ軒」3代目店主の川島進一君のお世話になった。

 

 

 

「センリ軒」は大正3年創業の築地市場の老舗の市場では有名な喫茶店だ。

お寿司屋が多い中で唯一のコーヒー、サンドウィッチ、シチューが戴ける店で、

マスコミにもよく取材されている人気店だ。

最近は豊洲移転に伴い豊洲にも築地より少し大きめの店を出したのだ。

 

彼は毎朝3時に息子(4代目店主)と豊洲店に入り、早朝4時には開店、昼過ぎまで営業している。

早朝は市場関係者が主なお客だが、豊洲店は観光客で行列になる。

 

川島君が都の職員による市場案内係を準備してくれた。いいハイキング企画になりそうだ。

 

ところが多くの元気な常連参加者が、最近の連続大雨で行事が延期されて、

このハイキング企画に参加できなくなった。

朝になって4名が体調不良で急遽欠席となった。20名参加が15人近くに減ってしまった。

いつもの元気なハイキング仲間を誘っておいてよかった。

 

 

市場は朝が早いので、新交通ゆりかもめ「市場前」駅改札に10時集合。

「センリ軒」の川島君に挨拶して市場内見学だ。

 

 

 

都のスタッフが水産卸市場を観光客が入れない場所の見学を含めて、水産卸売り場棟をくまなく案内、屋上緑化広場まで2時間近く案内していただいた。

 

 

 

その後、環状2号線から豊洲大橋をわたり、晴海運河、朝潮運河を眺めながら歩く。

 

 

トリトンスクエアにある「さくらの散歩道」のガーデンで軽いランチ&おしゃべりタイム。

大学のクラブと地元仲間との交流タイムになった。

雲を突くような高層マンションの真ん中に、緑とテーブルとベンチは、ほっと息をつける空間だ。不思議な情景が続くのだ。

ランチの後は朝潮運河の佃水門を過ぎ相生橋を渡ると、すぐに古い町並みの佃3丁目に到着する。

佃島だ。

 

 

石川島重工が移転した後に大川端リバーシティーとして再開発され、立ち並ぶ木立を抜けると佃公園、住吉神社、灯台、渡し舟の桟橋跡がある。

ごく狭いエリアにひときわ過密な人と人の暮らしぶりが見え隠れする。

 

 

 

その中にわずか3軒だが老舗の佃煮屋が残っている。

私は食品添加物の含まれていないことを確認して、お土産に佃煮を100gの3点を購入した。

どっしりとした結構なお土産になった。

 

 

この地域は、ほんとうに高層マンションと古い町並みが交差する都会の不思議な空間だ。

 

 

近くの月島のもんじゃ通りの一角に、会社時代の後輩の家族の店がある。

現役時代によく宴会などでお世話になった「もんじゃ勝どき」。

ここを貸し切り、打ち上げをさせて頂いた。

今日の参加者は、シニア(半分以上が後期高齢者)にも関わらずよく飲む。

飲み放題にして助かった。

 

 

 

ここで解散したが、私も含めて数名は夜の新橋の地下街バーでハイボールとワインで1時間の延長戦。

 

 

今週は前号にアップしたように原村500km往復旅行、孫の七五三で回転ずし60皿食事会。お皿の数は息子たちとのお酒も含まれる。

そして前日の学園の創立86年記念パーティーに評議員として来賓で招かれ、たらふく飲ませて頂いた。

 

今朝の出がけに家人の見送りの声は、

「あなたはスケジュール入れすぎ。少し年齢を考えて行動すれば。転ばないように。良い一日を」

ありがたい一言だった。

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 13:10 | comments(0) | - | - | - |
秋になると運動会で忙しい。忙しいけれど楽しい。晴れたらいいな。

 

 

幼稚園の(年中)さんと(小学校3年生)になった孫がいる。

二人とも家の中ではゲーム好きのやんちゃな男の子だ。

 

 

上の孫にある時、

「おじいちゃんの腰越の家はオセロやレゴがあって楽しいけど、料理は大人系だからな」

と、言われたことがあった。ドキッ!

以来家人は、大人系料理に加えて鶏のから揚げ、ポテトフライ、私は薬味なしの肉だけの餃子づくりを試みたりした。

最近は冷静な少年になり、当たり前に(べったり感)はなくなった。一人の少年へと歩み始めた。下手なことは言えない。気を遣う。

下の子は、顔を合わせると「おじいちゃん」と、まだなついてくる。

道を歩いていても、「クルマだ」というと、しっかりと手をつないでくる。かわいい盛りだ。

二人の孫は、当たり前だが、とても仲がいい。

私には男兄弟がいなかったので、うらやましい思いで眺めている。

 

 

自分の二人の息子の運動会に言った思い出が、あまりない。入学式、卒業式の参加した思いも少ない。

「当り前じゃない、仕事最優先だったからね」家人の一言だ。

時代が違うとはいえ「運動会なので、会社休みます」とは自分でも言わなかったし、部下に申告されても、いい顔はしなかった。

 

 

爺婆になって、必ず時間を作って運動会や文化祭には参加している。

孫の運動会では男親の多いことに驚く。保護者全員がスマホをもって、わが子を撮影している。

下の子は上の子と同じ曲で「お遊戯」をしている。「かけっこ」「つなひき」「ゆうぎ」「たまいれ」とプログラムを送ってくれるので注目する時間が、よくわかる。

玉入れはどこに居るかわからないが、たぶんこっちだなと思い大きな声で応援している。

幼稚園の園庭は小さいので、孫がどこにいるか、よく見える。

 

 

 

小学校の場合は、そうはいかない。1年生から6年生まで大きなグラウンドでの競技だ。

なかなか、孫がどこにいるかはわかりにくい。

 

 

上の孫の出番は「ダンス(Hero)」「障害物走」(競)の字がない。個人だからだ。

「綱引き」「団体競技」(ここには「競」が付いている。団体だからだ。

その都度、観客席を離れてグラウンドに近いところで写真が撮れそうな場所移動する。

全員同じ運動着に赤白の帽子。見分けがつかない。唯一運動靴の色を追いかけることになる。

やっと撮れたカットを紹介する。

 

 

幼稚園の運動会は午前中で終わるので、一緒に近くのお好みの食堂へ行きランチを済ませる。

 

 

小学校の運動会は午後まで続くので校庭の隅に手作りのお弁当を広げて輪になって食べるのだ。

とにかく良い天気に恵まれて、幸せ感のあふれた運動会が終わるのだ。

とにかく帰りのバスでは居眠りするほど、心地よい疲労感を覚えて帰宅することになる。

 

 

近々、下の子の七五三を迎える。

お兄ちゃんの紋付き袴のサイズ合わせをしている。

鶴岡八幡宮での行事に、今から楽しみな爺さんなのだ。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 22:38 | comments(0) | - | - | - |
日吉で50年記念イベント、新宿で10年記念イベント。すべて積み重ねの結果ですね。

 

 

10月20日の日曜日は、朝から日吉キャンパスに向かった。

母校の「連合三田会」が行われるのだ。

卒業生(三田会会員)15000人以上が午前午後に集まってくるイベントだ。

クルマや海外旅行の豪華賞品が当たり、有名タレントの公演や有名選手のトークショーもある。

 

 

そこで行われる記念式典に卒業50年の我々は「塾」から招かれた。

 

 

受付でご招待がわかる名札カードや特製クォーツ時計などの記念品を戴いた。

会場の日吉会堂は卒業50年(110三田会)以外にもたくさんの三田会会員で満席状態だ。

開会宣言に続き、塾旗登壇、掲揚、「慶応讃歌」「塾歌」斉唱。

 

 

スクリーンには今回のスローガンである伝統と革新をテーマに

「Legacy&Future」=共に讃えん社中の絆=

 

 

福沢諭吉先生の大きな肖像画を背景に長谷山塾長の挨拶だ。

ラグビーW杯やオリンピックを例に挙げて数々の卒業生のスポーツ界での活躍を讃えて、

最近オックスフォード大学を訪問した時のエピソードとして。

「私たちの大学は良い学生と良い先生で成り立っている」との学長の言葉に対して、

「私たちの塾は良い学生と良い先生、それに良い卒業生に恵まれている」と返したという。

 

 

この後「若き血」「丘の上」斉唱で30分の式典は終了した。

「丘の上」は早慶戦(慶早戦)に勝った時にだけ歌い、「塾歌」は酒を飲んだら歌わない。

厳しいルールだ。

各三田会では乾杯の前にしか歌わないというエピソードもあるくらいだ。

 

 

続いて日吉キャンパスの中央にある大学食堂棟で学部別の懇親会が用意されている。。

ここで多くの友人たちと出会うことになる。

50年ぶりに会う仲間もいる。

 

 

 商学部M組、

 

片岡ゼミ(マーケティング)、放送研究会の仲間たちだ。

 

 

この会場でも塾長などの祝辞があり、応援指導部の指揮のもと「塾歌」「慶応讃歌」「若き血」を、

ワグネル・ソサエティー男性合唱団のリードで歌った。

今日はお酒を飲んでの「塾歌」も特別に(あり)だった。

懇親会の後は放送研究会の仲間と軽くいっぱい飲んで解散した。

 

この後は、新宿に移動だ。

豊多摩高校野球部OB会の創立10周年を祝う会が待っている。

「クルーズクルーズ」というコンテンポラリ―ダイニングで、個室パーティー、マイク、映像やベランダもついている店を予約してある。

ご招待の歴代の監督4名を含めて、卒業3期から一番若い70期までの仲間約80人が集まった。

70年の歴史の中で我々の15期は、ほとんど上から数えて7番目だ。

 

 

会場には歴代のユニフォームなどが展示してある。

一番古いユニフォームで15期はグランドで吠えていたのだ。

 

 

驚いたことに開会の辞の後にすぐ集合記念写真。お帰りまでにプリントで受け取れるサービスだという。

 

 

五代目会長の谷中さんの開会挨拶、祝辞、乾杯に続いて、一番上の池田初代会長(3期)のお祝い演目「かっぽれ」が始まった。

机上のプランでは(どうかな)と思ったが、おめでたいイベントの開幕にぴったりだった。

中でも各年代が登壇して自分の時代と野球部をテーマに、簡単な挨拶が大いに楽しく受けた。

 

 打者は吉田、次打者が私。神宮球場だ。

 

中学でどこ守っていた?との先輩の声に「サードです」に

「ちょうどよかった、サードは空いている」ということで1年生からレギュラーになれたとコメントした。

たった18名のチーム。都立受験校の野球部では不思議な話ではない。

高校3年でキャプテンになり、当たり前のように大学入試の準備は遅れた。

当然のように浪人。人より多い2浪だ。

今は60人ほどの部員になっている。かなりすごいチームになっている。

 

 

夏の大会の西東京でベスト8になった監督の挨拶の裏話が興味あった。

淡々とコメントする姿に好感を持てた。

平岩先生(監督)、ありがとう。

増島先生(助監督)、ありがとう。

 

 

 

ちなみに、この10周年イベントのスローガンは、昨年、広報担当理事の私の急ごしらえのアイデア。

「今も夢追う豊多摩球児 笑顔で迎える10周年」

スローガン通りに豊多摩野球部史上初のベスト8になった。

 

 

 

そして若いメンバーが、たくさん参加してくれた。

 

 

〆の言葉は前会長で今でも6大学OB戦で、神宮球場で投げている吉田前会長の閉会挨拶だった。

 

 

最後はいつものように慶応応援指導部で鍛えた15期の鬼頭君のエールで終わった。

楽しい3時間のイベントは和やかなうちにあっという間に終了した。

 

朝11時半から、1時間の異動を挟んで18時半まで、よく飲んだ。。

午前も午後も節目の記念イベントで楽しく、満喫した一日に感謝です。

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 16:22 | comments(0) | - | - | - |
1年ぶりの一泊ゴルフ。軽井沢は紅葉だった。でも、すぐにも台風がやってくるぞ。

 

 

大学のクラブ仲間の同期I君の軽井沢の家に泊まって2日間のゴルフ企画。

今年もプレー費がシニアにやさしい料金になってからの計画だ。

いつも10月中旬に開催される。小田原、新宿、鎌倉から同期の友が集まってくる。

朝9時ごろに軽井沢駅集合であれば、東京から新幹線で1時間。

そんなに苦労する時間帯ではないが、何か交通に問題があって迷惑をかけたくない。

今年は前日の予定に余裕があり、前泊を希望した。

信濃追分駅に19時半過ぎに到着の予定で出かけた。

 

 

新幹線での食事は「ハレ」と「ケ」でいえばコンビニ弁当ではどうもね……。

東京駅の雑踏の中であわてて駅弁を選ぶのならば、地元の好みの弁当がいい。

18時4分の(はくたか573号)の自由席。

さっそくお弁当とアルコール、読書用の本を並べる。

久しぶりの新幹線だ。

あっという間に到着。地元の信濃追分駅は懐かしい。

会社のHクラブという保養所で研修所がある懐かしい駅だ。

家族で宿泊したこともあり、研修では受講生として、講師として何度も来た。

一晩目はI君ご夫妻とお酒を飲みならおしゃべりタイム。

 

 

第1日は「中軽井沢クラブ」。10時半のスタートだ。

私はいろいろな事情が重なって1年ぶりのゴルフになる。

不安いっぱいの第1打。ドライバーはまっすぐ飛んだ。

「ナイスショット!」

「やだねぇ〜、飛んでねぇ〜!!」と私。

1年ぶりは、嘘だろ!」仲間の第一声だ。

その後もナイスショットだけは、ずいぶんと続いた。

しかしゴルフは、やっていないとアプローチやパターでボロが出る。

仕方ない。と自分も納得する。

 

 

浅間山も見事な姿を見せている。

 

第1日は無事にドングリの背比べ状況で、和やかに終了した。

さて酒宴の前にスマホの天気予報を見ると、先ほどまで翌日は終日小雨の予報が、夕方まで曇りに変わった。

「普段の行いがいいと、やっぱり違うね」と喜ぶことになるが、さて、どうしよう。

早朝に目が覚めた仲間たちに、

「18ホール無事にラウンドする目標を、無事に帰宅するをゴール目標にしよう」と提案。

 

 

結果は仲間も了解して、ハーフで終了。風呂と食事を済ませて早々に帰途につく。

 

しかし、せっかくだから「地元で棚から消えたカセットボンベがあれば買いたい!」と。

クルマで近くのホームセンターへ行くと、既に棚から消えて完全に売り切れ。

 

 

逆に「養生用テープ」が、まだ山ほどあり、使い方をテレビで見ていたので3本ゲットした。

目の前の大型スーパーへ移動すると、非常用食品を求める客でいっぱいだ。

頭は危機管理での食品選びに違いない。

売り場の隅で「イワタニのカセットボンベ」が2段の棚に並んでいる。

意表を突かれた思いで3本セットを購入した。

 

50分待って東京行の新幹線(自由席)に一番前に並んで友人と並んで座れた。

東京行は想像通り、すぐに満席立ち席になった。

 

ゴルフ用の雨合羽を取り出して用意していたが、地元の駅から家まで土砂降りの雨が、10分間の霧雨になっていた、ラッキー。夕方6時には無事帰宅できた。

 

 

家では家人が既にガラス窓に養生用テープを貼り込んでいて、私のやることがほとんどない。

 

 

ガスボンベも常備されていた。

また、借りができたなと自戒した。

 

しかし、全員が70歳を超えた仲間が、終日馬鹿を言いあい楽しくプレーをできる幸せをかみしめている。

健康に感謝だ。

 

今日は朝からテレビのニュースを流したままにしている。

 

 

どうも我が家を含む東海、湘南方面に台風がやってくる。

とにかく、被害が最小であってほしいと祈るばかりだ。

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 15:06 | comments(0) | - | - | - |
横浜の空は久しぶりに青い空だった。桑ちゃんのヨットに元気な仲間が集まった。

 

 

短かった夏もそろそろ終わりに近いある日、恒例の桑ちゃんの「バターボール号」に仲間が集合した。

元勤務先の同僚の桑ちゃん(桑原明さん)の親しい仲間が、涼風に吹かれてしのぎやすい一日、横浜のヨットハーバーに集まった。

恒例のクルージングとBBQパーティーだ。

 

以前は元勤務先の少人数で始めた船上パーティーだったようだが、

いまではクリエーター仲間にマーケティング仲間、さらにプロモーション仲間が集まる。

その中で営業出身者は、なんと私だけなのだ。

 

メンバーのメッセンジャーに1ケ月前から集合連絡が来て、

徐々に常連の参加連絡が増えた。

ところが、ラグビーW杯テストマッチの関係、親の介護、大学の会議、突然の体調不良と数名の不参加表明があり、昨年より少ない10名となった。

私も既に赤坂で元勤務先とのランチ会食が決まっていて、2時間以上遅れての参加になった。

こうして船上でにぎやかに集まるのは、もう何年続いているのだろうか。

 

この日も午後から日本晴れになった。

 

 

全長25フィートのバターボール号を桟橋に接岸し、パーティー用のデッキ(ウキ桟橋)が準備された。

BBQ用のテーブルやチェアがセッティングされ、持ち寄りの得意料理が並んだ。

 

 

2時間遅れた私にも、ちゃんとアラスカで釣ってきたキングサーモンのステーキも残しておいてくれた。

飲み始めたら、全員の最近のトピックスのショートスピーチが始まり話題は尽きない。

とにかくおしゃべりの得意なメンバーだ。しゃべり出したら止まらない。

 

今回は常連の睦美さんのオフィスのバイトちゃんの睦さんが参加。

 

 

素敵なダブル(むつみ)さんに人気が集中した。社長の睦美さんは、今日はおとなしい様子。

 

 

一番若いバイトちゃんの底抜けに明るい笑顔に、おじさんたちはニコニコとアプローチ。

あっという間にビールが無くなり、ワインも何本も空いていく。時間が経つのも忘れる。

キングサーモン、チキン、野菜のマリネとレストラン並みです。

 

 

日が暮れる前に、少しヨットを外海にクルージングだ。2回に分けて船出した。

 

 

先に帰る仲間を優先して、最後まで飲むつもりの私は2回目のクルーズに参加。

バイトちゃんも一緒に。

 

 

オーナーの桑ちゃん。

 

 

 

夕方になり、三々五々と仲間が帰っていく。帰る前にみんなで記念写真だ。

 

 

飲む人間は、まだ飲んでおしゃべりをしている。

最後まで残るのはなぜか毎年同じような仲間だ。

既に開始から7,8時間たっている。

後ろ髪を引かれるようにヨットハーバーを去る。

 

 

今夜も飲みすぎによるトラブルもなく、無事解散になった。

 

 

とにかく、後期高齢者、もとい「好奇(心)高齢者」が数名参加している。

とにかく底抜けに元気な仲間だ。

そうだ私も、数日前までは前期高齢者、もとい「元気高齢者」だったのだ。

なのに何も変わらない毎日だ。

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 19:25 | comments(0) | - | - | - |
600字エッセイが産経新聞の第1面「朝晴れエッセー」で掲載が決まりました。

 

私の母は佐渡で生まれた6人兄姉だ。

 

母方の先祖は「佐渡の金奉行」に関わっていたという。

その後、代々裁判所の仕事に関わり、母の父親の精一は相川の街で登記事務所の仕事をしていたという。

母の母方の仕事は両津で廻船問屋を営んでいた。

 

 

六人の兄姉の長男は賢一郎、長女は八重、次男は二朗と、ここまでは普通だ。

ここからは父の精一は、何を考えたのか、三男は三四吾(みよご)、次女はなんと六七代(むなよ)と続く。

末っ子の母は残った九と十で九十代(ことよ)となった。

 

 

昔ならばNHKの「私の秘密」に出演できそうな逸話だ。

母は子供のころから十代でも二十代でも名前は九十代だったのだ。

多分回りの友人から、からかわれたりして困ったに違いない。

 

母の小さな頃の写真は長男の賢一郎さんの家が水害に合い、

すべて流されてしまったので手元にはない

 

 

両親が若い頃は、いつも家族で小旅行をしていた。

 

 

大きくなって自分の布の貼り絵の作品は(琴代)や(古都世)にし、

後年は自分の作品の篆刻は小さな赤い布に白抜きで(九)という一文字を抜き文字にしていた。

 

 

8年前の自分の90歳の誕生会に集まった子供達、孫達十数名の家族たちに向かって挨拶をした。

「ようよう九十代という名前の通りの九十歳になりました。これからも元気に生きていきます。

よろしくお願いします」と。

その後、九十八歳の誕生日の時の挨拶が、

「皆様のおかげで元気にこの歳を迎えました。もしも私が百歳になったら、名前を変えようと思います。百代(ももよ)に。かわいいでしょう」

と子供達や孫達を驚かせた。百代とは、今にしては実現性が高い話だ。

 

 

最近、私が「百代の後は一年ごとに名前を変えるの」と尋ねると、

「ずっと百代でいいの。次はあの世(あのよ)なんだから」

 

 

最近は車椅子の生活になったが、母の「次はあの世」の言葉に。その洒落っ気に驚いた。

 

ほぼ同じような内容のエッセーが近々の産経新聞の第1面「朝晴れエッセー」に掲載が決まった。

600字にまとめたエッセーになっている。

ぜひ、ご覧ください。

 

 

そういう私は最近、「後期高齢者」になった。

 

ちょうど11年前の64歳を迎える年の4月に後期高齢者制度が制定された。

それまでの「老人保健制度」が廃止されて、代わりに後期高齢者医療制度が始まった。

 

これは75歳以上の人が加入する医療制度で、75歳の誕生日を迎えると、

それまで加入していた国民健康保険や健康保険などから後期高齢者医療制度に移るのだ。

特別な手続きをする必要はなく、誕生日と同時に自動的に

国保から脱退&後期高齢者医療制度に加入となるという。

 

当時私は、当たり前のように前期高齢者に区分され、七五歳までの間は当時加入していた

勤務先の保険を特例退職者として継続して従来どおり受けることになった。

 

 

 

しかし前期高齢者という国の定めには、どうも気持ちがしっくりしない。

広告業界の仕事も、地元の韓国某市との姉妹都市提携活動も、

八ヶ岳農場の農場音楽祭などの活性化活動と、

現役気分で元気な気持ちで続けていきたいと考えていた。

 

 

だから前期ではなくて「元気高齢者」と名乗った。

 

そして今、同じ思いで私は後期高齢者ではなく、気持ちは「高貴高齢者」とか「光輝高齢者」を目指したい。

 

 

しかし、むしろまだまだ若い好奇心を保ちながら生きていく「好奇高齢者」を目指しても良い。

 

 

国の区分は一体どういう基準で決めたのだろうか不思議だ。

父を36年前に67歳で見送ったが、母はホームで車椅子生活だが98歳で気持ちはとても元気だ。

 

ところが、誕生日の翌日に54年来の学生時代の友人が病と闘い、ついに鬼籍に入ってしまった

友人たちと共に、お通夜と告別式に参列しお見送りをした。

さすがに、我が人生の行く先を考える機会になった。

 

しばらくは7歳若い家人にも迷惑を与えるかもしれないが、彼女は私以上に元気高齢者なのだ。

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 14:35 | comments(0) | - | - | - |
野球部のOB会、勤務先のOB会、また、ほかにもOB会はありますが……

 

 

都立高校の野球部OB会は今年10周年、勤務先のOB会(錦会)は30周年、

勤務先OBが大学などで教壇に立つメンバーのOB会も今年で10周年。

大学の放送研究会のOB会(放研三田会)は昨年20周年を迎えた。

節目のタイミングには記念行事のために、様々な周年企画に工夫をするものだ。

 

その中で私が一番力を入れているのが「放研三田会」だ。

 

 

毎年初夏の頃に三田キャンパスで「総会」を開催する。

第1部は大ホールで総会とイベント企画、第2部は大食堂での懇親会。

毎年定額の会費を取らずに、総会のイベントに参加する参加費が年間の収入になる。

会員数は1200名。常に活動に熱心に参加する仲間は150名ほど。

このために芸達者のメンバーがイベントに力を入れる。

参加者が増えないと収入が増えないからだ。

 

 

親友の同期のM君が病に倒れ急逝し、ピンチヒッターで(事務局統括)を5年間務めた。

 

 

放送界で知名度の高い先輩後輩がボランティアでイベントの中心で支えてくれる。

今回はフリーアナの魚住リエさんが協力してくれた。

イベントを企画プロデュースする後輩達も若き頃の【放研魂】を発揮して、

企画作りにDNAを受け継いでくれた。

 

 

課題だった資金面も活発な分科会活動を実行しても、安定した繰越金を残せるようになり、

数年前に世代交代で大役を後輩に譲ることができた。

今は事務局担当の副会長として、黒子になって後輩を支えている。

 

 

次に私が力を入れているのが高校野球部のOB会。

 

 

 

私たちは野球部72年の歴史の中で、かなり初期の先輩である15期にあたる。

私は一年からレギュラーでサードを守り、三年ではキャプテンを任された。

そんな流れで、今でも役員の一角として活動を支えている。

 

 

一昨年、野球部70年を迎え「70年記念誌」の発行に奔走した。

OB会が活性化するのは仲間の協力が必要だが、

なんといっても現役が夏の大会などで強くなって試合で活躍してくれることが一番だ。

 

 

 

そうすれば球場にOB達が足しげく、何度も応援に駆けつけることができるからだ。

西東京大会で5回戦のベスト8で準々決勝まで、唯一の都立校として勝ち進んだ。

ことしの現役の活躍は、すでに前回の掲載で詳しく書いた。

秋に予定している「10周年記念イベント」の準備も着々と進んでいる。

夏の大会の現役の活躍を背景に。盛会になることを祈っている。

 

博報堂のOB会は「錦会」という。

明治28年(1895年)に創業し、大正になり神田錦町を

活動の本拠地にしたことから「錦会」となったようだ。

ことしで創立30年になる。

私は引退して約15年になるので半分の歴史を供にした事になる。

 

 

年1回の総会にただ参加して、たまにゴルフ会などに参加し、

たまに会報誌1ページに駄文を投稿する程度の会員だ。

現在、私の親しい後輩が会長、運営のコアメンバーになっているので、

少しでも頑張ってほしいと思い、投稿などで応援している。

先日の30周年記念行事は、約130名のOBが本社のパーティー会場に招かれ、

相談役、会長、社長、関連会社の社長などと懇親を深めることができた。

 

 

参加者の中に私が韓国赴任中に親しくお付き合いのあった二人の幹部が特別参加していて、

久しぶりに友情を交わすことができた。

 

もう一つ、会社を引退して大学教授などの経験者で構成するOB会がある。

当初、私は宣伝会議で講義していた関係で参加を希望したが、

「君は社会人を教えているので、会の趣旨とは違う」と会長に入会を断られた。

幹部の世代交代で「君のような現場経験者が、むしろ必要なのだ」と新会長から会に誘われた。

 

 

そのOB会が、今年10周年を迎える。

私は会の中心には交わらずに、今でも業界生活をしている人間として、

外側から傍観者的気分で会に参加している。

今回、10周年記念イベントの基調講演をどうするかということで議論が白熱している。

その候補になっている「デジタル大改革」の自論を主張する学者と、異論を唱えるメンバーとの間で収拾が付かずに数名の退会者もでる騒ぎになった。

 

私はこの4月から業界生活50年。

携帯もない、メールもない時代から暴れた業界経験者の私は、

今やインターネットなどの出現で大きく社会のコミュニケーションが変わって、

今では浴びるようなSNS手法の時代が到来した。大きな変革の時代を現役幹部として、

170名の制作会社の将来を考えている身にとって、

学者の立場での上から目線の具体論にかけた論文は性に合わない。

誰に向かってアピールしたい基調講演なのかも不明だ。世話人会の奮起を待つだけだ。

大いなる疑問を抱えて、今後このOB会に参加を続けるか、否かを考えているところだ。

 

 

私の業界の生き残り戦略は、現場に基づくものだから……。さて。

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 11:52 | comments(0) | - | - | - |
梅雨も明けないのに、球児の夏は終わった。しかし、素晴らしい夏だった。

 

 

私は小さな頃から野球少年だった。ポジションはファースト、サード、ピッチャーなどいろいろなポジションを経験した。

特に高校時代は、杉並区にある都立の有名進学校だったので、かなりの時間は学業には励まなければならなかった。  

学業以外の時間は本当に野球中心の生活だった。

20名弱の硬式野球部の中で、運よく幸いなことに一年生からポジションの空いていたサードでレギュラー選手になれたのだ。

 

 

3年生ではキャプテンとしても部員をリードするために真っ黒になってチームを引っ張っていた。

高校を卒業して既に56年の月日が経った。

 

 

後輩の豊多摩高校野球部の現役選手たちは、西東京大会でベスト8まで勝ち残った。

その試合に勝てばベスト4となる準々決勝に臨んだのだ。

8校の中で唯一の都立高校だ。

結果は創価高校に7対0のコールド負けに終わったが、野球部史上初のベスト8だ。

 

今年は組み合わせにも恵まれた。

初戦は2回戦から登場。

相手は56年前の3年生の時にシード校だった我々は「専大京王」に、15対0でコールド負けをした苦い思い出がある。

長い間、野球部仲間で語り草にもなっていた。

 

 

現役選手が多摩一本杉球場で専大付属高校(元:専大京王)に、4対3で見事にリベンジしたのだ。ありがとう。

 

 

3回戦は「都市大付属高校」。5対2と危なげなく勝った。

 

 

4回戦は「都立松が谷」。都立高校同士で、ベスト16同士の戦い。

4回に1点入れられたが、6回に同点、8回9回に1点ずつ加点。3対1で勝利。

練習試合では負けていたという。

 

 

5回戦はやはり同じ立川球場で「都立練馬高校」。

初回に3点も取られたが徐々に点を取り返し、4対4で延長戦。

延長13回からは大会ルールによるタイブレーク方式。

ノーアウト1塁2塁からゲーム開始。

いつでも点が取れるチャンスだが、両校ともピンチを切り抜けた。

 

 

14回の裏、豊多摩は右中間ヒットで3塁ランナーがホームに駆け込み逆転サヨナラ勝。

2年前の初戦で負けたチームだ。快挙。

 

 

23日は、いよいよベスト8同士の試合だ。

相手チームは「創価高校」。手ごわいチームだ。

準々決勝は神宮球場での戦いだ。

 

 

創価高校の応援席を豊多摩は学生、父母会、OB仲間とはるかに超えた仲間が集まっている。

 

私が1年生の夏大会は東西に分かれる前の150校以上の東京大会だ。

開会式は神宮球場に選手一同が集まり行われた。

 

わが豊多摩は直後の第一試合をマネージャーがくじを引いた。

私はあの長嶋の立っていたサードで興奮していた。

高校のグランドと違って、明治神宮のグランドは鏡のような平らなグランドだ。

ノックのボールはスルッと私の股をくぐる。2球続いてトンネルだ。

ネット裏から笑い声が聞こえた。

 

 

私は7番サードでヒット1本。

 

目標の西東京の8強は、甲子園出場経験のあるチームが名を連ねている。

その中で都立高校は豊多摩だけだ。

豊多摩の先発投手は控えの背番号10の森君。

3回戦以降先発で、いい仕事をしてくれてエースの宮下君につなげてきた。

1回表のショートへのゴロ、1塁への送球がそれて3点目。

それがなかったら1点にとどまり、試合展開も変わっていたかもしれない。

宮下君に変わり創価高校は2回から4回までノーヒットが続いた。

 

 

しかし手ごわいチームだ5回に3点、6回に1点と宮下君になれたのか、猛攻撃が続いた。

結果は7回コールドで負けた。

 

7月11日から23日まで約2週間で5試合すべて応援できた。

野球部OB会の我々は、当時の野球少年に戻って、素晴らしい夏を味わった。

素晴らしい試合を見せてくれて、本当にありがとう。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 13:49 | comments(0) | - | - | - |
梅雨もなかなか明けない中、このところ、時はあっという間に過ぎていく。

【知能機能検査】

 

 

カタナ、アコーディオン、脚、テレビ、

かぶとむし、馬、かぼちゃ、包丁、

筆、ヘリコプター、パイナップル、ズボン、

すずめ、ひまわり、のこぎり、ソファ。

以上16個の絵が4枚ずつ4回にわたりスクリーンに数秒現れる。

次に簡単な別のテストを行い、白紙にすべて記憶した単語を16個のうち思い出した分を、

書かなければならない。

運転免許の更新における年齢が75歳になるすべての運転者が受ける「知能機能検査」だ。

 

 

このほか、ライフル、琴、おやゆび、…や、

大砲、オルガン、耳、…や、

タンク、大砲、目、…。

武器、楽器、人体の一部、家電、昆虫、動物と、それぞれ16個の単語の4つのパターンがある。

最初はその試験日が何年、何月、何日、何曜日を記入する事から始まり、

自分で丸く書いた時計の文字盤に指定の時刻を短針と長針を書き込むテストがある。

最後に救済があり、(武器は?)(楽器は?)(人体の一部は?)など思いだしてと聞いてくる。

これにより記憶が呼びもどり75点以上であれば、問題なく免許証がもらえる。

ある点以下であると医者の診察を受け認知症と判断された場合免許は公布されない。

 

高校のクラス会で100点を取った友人がいた。

彼はネットで調べて4種類の問題をすべて覚えた。私も真似てみた。

 

 

一番得意な組み合わせはタンク、太鼓、目で始まる組み合わせだったが、

与えられた時間で、カタナ以下の単語を、なんとかこなせた。

いつまでたっても試験は嫌だ。

 

【鎌倉の花火】

 

 

鎌倉の人気花火は、なんといっても水中花火だ。

これは、一度でも良いので鎌倉以外の他の地区の方でも楽しんで戴きたい。

観覧の中心は由比ガ浜と材木座海岸だが、坂ノ下、逗子マリーナからの観覧もお勧めだ。

沖合を走る花火船から海に投げ込まれる水中花火は圧巻だ。

 

 

彩とりどりの光が水面で大きく半球状に割れるさまは、鎌倉人にとっても感動的で、

初めてご覧になる方々は、少し大げさだが、あまりの美しさに絶句する。

ことしは例年よりも2週間早い7月10日に開催された。

その理由は2500発の花火の火薬は、通常港の無い鎌倉は近くの江の島港から運び出される。

ことしは、江の島で行われるプレオリンピックの準備のため江の島港が使えないために早まった。

そのために告知の徹底が弱く、通常は学校が夏休みでないために子供連れの観客が大幅に減った。

いつもの江ノ電の混乱も少なく、歩道を歩く観客数も、坂ノ下の浜辺の観客も、いつもより少なかった。

席取りのトラブルもなく、空いているスペースに楽には座れた。

 

 

ことしは特に打ち上げ花火も水中花火も、彩とりどりで、例年より本当に美しい。

昨年は風向きの関係で、花火の煙が文字通り煙幕となって、

後半は花火が浜から全く見えない時間帯が多かった。

 

【高校野球】

 

 

私の母校が杉並区の都立の進学校で、当時は部員も少なかった。

幸い1年生からポジションの空いていたサードでレギュラー選手になれた。

最近では当時と違って、部員も40人を超える少しは強いチームなり始めた。

我々OBは10年前に野球部OB会を創り、会員相互の親睦も大事だが、

現役選手の応援に努めている。

 

 

なんといっても、もともと野球少年は、今でも気持ちは野球少年なのだ。

応援には力が入る。

ことしは組み合わせ抽選の関係で2回戦からの出場だ。

しかし、相手チームは伝統的な専大付属高校(元専大京王高校)。

56年前、当時はシード校の3年生の時に15対0の3回コールド負けをした相手チームだ。

リベンジの気持ちで現役に試合を託した。

 

 

4対2でリードしていた9回の表、2アウトで2塁3塁。相手バッターがライト前のヒット。

3塁ランナーに続いて2塁ランナーもホームへ突入。

ライトからの見事な返球で、一瞬同点かと思った瞬間、タッチアウトでゲームセット。

同点を阻止した捕手の突き上げる右手、同点を信じてホームに突入した選手が倒れこむ。

一塁上でヒットを打った選手と傍らのコーチのうなだれる姿。

私はおぉーと大声で吠えるように、複雑な気持ちで写真に納めた。

4対3。56年ぶりの見事なリベンジ・シーンだった。

 

 

 

続いて3回戦の相手校は都市大付属高校。

 

 

これも手堅く5対2で勝った。

今この原稿を書いてるときに、鎌倉は小雨や大雨の中、八王子で行った試合で

松が谷高校が勝った。

明日の4回戦の相手校も同じ都立だ。

さてと都立同士の試合は、いったいどうなることだろう。

 

【そして……】

 

 

雨の心配をよそに、立川球場では予定通り12時半から試合は始まった。

連投の相手投手に手こずりなかなか打ち込めない。

まず我々が先取点取れば、有利に展開ができると思ったが、

4回に1点取られた。

6回に同点のまま息詰まる展開。

 

 

8回に大事なところで相手のエラーで逆転。

9回にも1点取り、3対1で勝ちました。

 

 

おかげさまで、西東京のベスト16.快挙でした。

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 22:09 | comments(0) | - | - | - |
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