鎌倉から、こんにちは

「鎌倉発、韓国ソウルまで。」
徒歩の旅を終えて、あらたなスタート!
鎌倉から日常のあれこれをお伝えしていきます。
あっ、パスポートが切れる。あれから10年経ってしまいました〜。次はどうしよう。

 
1971年8月に初めてパスポートを取得した。
自動車の得意先、初の海外ロケでパリロケの営業プロデューサーとして、パスポートが必要になったのだ。
 
 当時の出入国のスタンプ
 すぐに現在に近いスタンプに変わりました。
 
あれから47年も欠かさず、パスポートを更新してきた。
パスポートは合計で8冊。最後の2007年12月に取得したものは10年有効のものだった。
大型や、小型や紺の表紙や、赤い表紙と様々だ。
これからは顔の歴史。怖いお兄さん風も出てきます。
 
第1号は、1ヶ月のパリロケ、10日間の新婚旅行、5日間のハワイでNTV「スター誕生」で百恵ちゃん、淳子ちゃんなどと番組収録であっちこっち。



27歳の私とアートディレクターでローマの空港でトランジット。
パンアメリカンの南回りでパリへ。
香港、バンコク、マニラ、ニューデリー、イスタンブール、ローマ、パリ。
約3時間ほどでトランジット。出された食事も7回、全部食べられました。

 

 
パリロケの雑誌広告、絵ハガキなど。
 

 
第2号は1977年9月21日から5年間。ちょっと怖い顔になってます。
洋酒メーカー担当になって、ハワイ、ロス、NYとあっちこっちで20数回の往復。
ビジネスクラスは、今のエコノミーを一席づつあけて座れました。
ある時は三席分を独り占めできた時もあり、横になって寝られました。

 
既に羽田発が成田新空港発になっていました。
 
 

NYの在りし日のワールドトレードセンターが見えますね。

 

大雪のマンハッタン。JFK空港が完全閉鎖。全航空機が止まり大混乱。
LAで待っているスタッフとの合流が3日遅れました。



カンビールブームを引き起こした広告。LAの空気も写っています。

 
第3号は1982年7月10日から5年間でした。


 
やはり洋酒メーカー担当でアメリカ中心であっちこっち。
20回前後の搭乗記録がありました。




倍賞さんとはパリへロケ。



渥美さんとはフィリピン諸島のシコゴン島へロケ。

 
第4号は1987年7月8日から5年間。


 
洋酒メーカーから営業部長に昇格し家電メーカー担当で、英国、ドイツへも足を伸ばした。
スタンプはあふれんばかりで押されていました。

 


 
第5号は1992年6月30日から5年。


 
航空会社担当でロンドン、NY、フロリダ、LAとあっちこっち。
在職20周年記念の休暇でイタリア11日間のプライベート旅行もあった。
ハワイへの息子たちと一緒に行った家族旅行も含まれる。


 
第6号は1998年3月18日から5年。
国際総局へ移り中国(香港、上海、北京)へも。
営業講座の出張です。


1999年7月からはソウルへ海外転勤となりました。
日韓の往復がいっぺんに増えた時代です。

 中国の入国印もあります。

第7号は2003年2月7日から5年。




ソウル事務所で新聞の取材です。



「韓国へ広告市場発展の可能性を見に来ました」。
新聞記事の見出しの意味です。




日本でパスポート更新が出来ずに、ソウルの日本大使館で発行したことがあります。
駐韓国日本大使館発行の英文が見えます。

写真もソウルの写真館で2500円相当で大統領カットの半身の写真。
写真館の修正で、5年前のパスポートよりも若返りました(笑)。


東京=ソウル、ソウル=東京で数えきれないほどの往復。
パスポートのページ全部に出国、帰国、相手国の入国、出国のスタンプが満載されている。

第8号は帰国して作った。2007年から10年。初めての10年ものだった。


 
この頃は鎌倉市と韓国安東市との姉妹都市提携の準備で17回の日韓の往復。
ボランティアとしても、ずいぶんお金を使ったことになる。


 
この間に21日のパリのアパルトマン生活のスタンプも入っている。
 
パスポートには広告業界でなしえた大きな仕事でのあっちこっち。
家族と過ごしたわずかな、あっちこっち。
思い出がいっぱいこめられている。
 
顔の変遷もしっかり見て戴いた。
男の顔は男が作る。
なんて……。
今度はどんな顔して、パスポート写真を撮りましょうか。
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 23:40 | comments(0) | - | - | - |
ADK(アサツー・ディーケー:元旭通信社)の元社長の多氣田力さんのお別れの会に参加しました。
 

私が初めて勤務した広告会社「旭通信社」時代の直属の上司、多氣田力(たけだ・つとむ)さんの
お別れの会(帝国ホテル・孔雀の間)に参加しました。
 
当時の仲間に会いたくて、会場は仕事場から徒歩2分という近さです。

当時は業界で10番目の広告会社の旭通信社。

入社して配属されたのが、一番主要な得意先の「三菱自動車」の営業担当だった。
新人の私は、当時の稲垣正夫社長の席の真ん前に座らされた。約10名の営業チームだった
その中で上司だった多氣田さんも一緒の席に並んで座っていました。
 
多氣田さんやチームの多くが早稲田出身でも、ライバル校出身の私は最初から可愛がられ、いい意味で鍛えられました。
大きな得意先宣伝部での日常生活で、広告人としての基礎が叩き込まれました。
 
ちょうど三菱重工から三菱自工に変わり「武家の商法」を脱皮すると言われ、商品広告に力を入れ始めた頃でした。
大手広告会社へ転職するまでに、たくさんの経験をすることが出来ました。

得意先にとっても初めての新車の海外ロケを無事にプロデューサーとして勤め上げて、
ある事情でフルサービス業務ができないならば、「会社を辞めたい」という私を、
何時間も引き留めるために時間を割いてくれた、稲垣社長には今でも感謝しています。
 
「お別れの会」の数週間前に身近な先輩と一緒に故:多氣田さんのご自宅へお悔みの訪問をしました。
ご自宅では、奥様と長い時間、多氣田さんを偲ぶ話題に花が咲きました。


 
どなたかの社員の結婚式のスピーチのときの写真です。
私の結婚式のスピーチでも、前の会社の上司が、「惜しい人をH堂に取られた」と、
同じようなお顔で私に対して身に余るお褒めの言葉を戴き、
後に結婚式に参列してくれた元勤務先のH堂の役員から、「あの様な自己PRの方法もあるのだ。うまい戦法だ」
と皮肉られた経験もあります。



稲垣会長とタ氣田社長。グローバルネットワーク契約のときの記念写真。
もう一人はWPPグループのマーチンソレル氏。
社長として絶好調の時だったと思います。



 
ホノルルマラソンの完走。何歳で走ったのでしょうか。


 
私も後に同じく48歳の時に完走しました。
何故か、おなじようなランニングウエアで、同じようなスタイルでフィニッシュしていますね。



 
案内状の写真。会社は社長の執務室でのお姿を選びました。


 
ご自宅にお悔やみに上がった時の奥さまのお好みの写真。

私がH堂で営業部長に昇格したときに、
その時も連絡いただき人知れずに個人的にお祝いのごちそうをしてくれたことも、今では良い思い出です。
本当に懐かしい先輩を失いました。合掌。
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 23:54 | comments(0) | - | - | - |
倍賞千恵子さん。一年ぶりに会いました。澄んだ声で、楽しく元気なコンサートです。
倍賞千恵子さん。一年ぶりに会いました。
JR王子駅前の「北とぴあさくらホール」倍賞千恵子(歌とトークのコンサート)です。
「私の歌も聴きに、たまには来なさいね!」と、以前お会いした時に言われて、昨年の大宮会場に次いで、今年は王子会場まで行ってきました。


 
北とぴあさくらホールにたくさんのお客さまを迎えてのコンサートだ。
幕が開き、一人ステージの真ん中に立っています。


 
一番最初の歌が「下町の太陽」でした。


 
歌声も素晴らしいですが、トークも、ピアノ演奏の音楽家で素敵な旦那さんの小六禮二郎さんとの掛け合いが、とても楽しかったです。
山田洋次さんの寅次郎とさくらの小さなころの物語を、倍賞さんの朗読です。
寅とさくらの出生の秘密が分かる瞬間の叙述です。こころ打たれました。
最近、柴又駅前の寅さんの銅像の横にさくらの銅像が立ったいきさつなどを、おもしろおかしく話してくれました。
エンディングの曲は、「ラストダンスは私に」を、しっとりした気持ちで唄ってくれました。
一度、舞台を去った後で、アンコールの声に、再度舞台へ。「愛の讃歌」を熱唱してくれました。



いつものように講演終了後は楽屋に伺いました。遠慮がちに後ろに旦那さんの禮二郎さんも立っていました。

 
思えば80年代にウィスキーの広告に出て戴き、パリにご一緒した時以来、事あるごとにお会いしてくれます。





 
パリで2本のCMの撮影を撮り、数日後に再びグラフィック撮影のためにパリへ。
少人数だったので、街の散策などもご一緒しました。
何故かサングラスなんかかけたりして、私も若かったです。

 
昨年はその制作仲間と食事会も行いました。
数回のスケジュール調整を行っている内に、誕生日前日に食事会が決まりました。
サプライズでお祝いのケーキも・・・。



 
12年前にソウルから帰任して、しばらくして大船の鎌倉芸術館で「寅さん映画を語る」講演会がありました。


 
久しぶりなので、講演会を聞いた後に楽屋に伺いました。


 
第一声が、茶目っ気ある大きな声で「お・か・え・り・な・さ・い!」でした。
そのときの挨拶は、とてもうれしかったことを覚えています。
 
とにかく1963年に「下町の太陽」でレコード大賞を戴いて、来年で55年目になるそうです。
今でも、澄んだ声で、またスローバラードで、また熱唱して、皆さんの心をとらえる。
こちらも、とても元気をもらいました。
 
私も、もう少し頑張らなくては・・・。広告業界現役50年まであとわずかです。
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 11:10 | comments(0) | - | - | - |
「やすらぎの郷」ってご覧になっていますか。初回からすべて見ていました。



最近、テレビドラマは大河ドラマ以外は、あまり見ていません。
在宅時間が少ないためか、ほとんどが録画で見ています。


 
「やすらぎの郷」はなぜか最初から録画を取って、ほとんど視聴しています。
なぜならば、我々がターゲットであるシニア対象のドラマだと思ったからです。
見てるうちに、結構若いポストシニア世代の方々も、喜んで見ているようだと知った。


倉本聰さん役の石坂浩二さん

 

大御所と呼ばれる主役級の俳優さんたちが、それぞれ肩を並べて出演しているのがすごい。

 

 

裏話としては主役の石坂浩二と浅丘ルリ子の元夫婦、その前に付き合っていた加賀マリコも寄りそうに、

毎日、倉本聰役の石坂浩二と一緒に、役柄はほぼ自分自身という設定で

演技も本人そのものの様に振る舞い演じているのが奇妙な魅力になっている。

今はほとんど見かけない喫煙シーンもふんだんにある。

八千草薫さん、五月みどりさん、の野際陽子さん、有馬稲子さん、・・・・。錚々たるメンバーです。。

 
 




 

ミッキーカーチス先輩や藤竜也さん、山本圭さん等が久しぶりに毎日登場してくるのもおかしい。

 

それにしても、野際陽子さんが、実際に放映中に亡くなられたのはショックだった。

 

私が初めて野際さんをテレビで見たのは中学生の頃。

定期試験など、学校の行事の関係で午前中で帰宅した時にNTVで資生堂提供の「女性専科」に毎日出ていた。

その頃のプロマイドを定期入れに入れていたぐらい、初めてのファン行動だった。

 

 

亡くなられて、だいぶ経つのに時折、回想場面ではなくライブ的に登場してくる。
加納会長の逝去のお知らせが、(やすらぎの郷)の館内放送で流れた時に、
館内放送を聞く野際さんがオンタイムで出てきました。

私にとっては感動にちかい。

女性専科の頃の魅力をそのまま、持ち続けていました。

 

今週でクライマックスを迎えるのでもなく、ドラマは淡々と終わっていくようですね。もう終わってしまうのですよ。

創設者の加納会長が「やすらぎの郷」を作ったきっかけは、有名女優だった大村洋子が自分の部屋で孤独死。

一週間も誰にも気が付かれなかった。

 

私は、大村洋子は大原麗子さんだとすぐに思ったが、25日の放送でその気付きがあたった。


 

「すこし愛して、なが〜く愛して」のコピーで有名な洋酒のCMの仕事で長いお付き合いをさせて戴いた。

その本人のナレーションがラストシーンで流れたのだ。

 


 

半年の間、毎日のように見ていたドラマの結論がそうなるのか、だった。

野際さんの時に感じた、感動が重なってきた。

おふたりとも、もうこの世にはいないのだ。
 

原作の倉本聡さんは、フジテレビに長年お世話になった関係で企画持込みしましたが、あっさり3日で断られたそうです。 

テレビ朝日が「徹子の部屋」の流れでシニア向けの昼ドラマとして採用して、新しい狙いのドラマがポストシニアの男女に受けているのだ。
ゴールデンタイムではなく、昼のシニア時間にぶつけてきたことも興味深い。
 
ある意味で、現在常識の放送文化を改革したと大げさに考えてみたい。

ついでに少し書き加えますと・・・。
5年間のソウル暮らしで、当時は日本の民放番組は、今のようにパソコンで見られる時代と違って、
NHKのBS1、BS2の放送しか見ることが出来なかった。

BS1は国際ニュースとスポーツ中継、BS2は連続ドラマや情報番組をもっぱら楽しんでいた。

民放よりも十分な予算を掛け、十分な取材でしっかり制作した番組を見慣れていた。

当時仲間内でいわれていたことは、ソウルの放送局の番組制作者たちは、番組改編期になると釜山のホテルで
日本の民放番組を漏れ電波(スピルオーバー)で見ていてそれをヒントに新しい番組を企画していた。 

 

 

おそらく、韓国のテレビ企画者たちは、釜山のホテルで漏れ電波をのぞき見して、

しばらくしたらシルバー向けの番組(やすらぎの郷)に似たドラマが流れる日は近いのではないかと思う。


 「続:やすらぎの郷」は絶対に見られない。日本では、絶対に。

模倣の文化は昔から古今東西、すぐそこにもあるのだから。
ソウルの友人の今後の情報を待ってみたい。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 08:45 | comments(0) | - | - | - |
「まだん俳句連中」の特別吟行は、一泊二日の初秋の伊勢路。伊勢の間宮の遺伝子が騒ぎました。


『まだん』と言う俳句連があります。韓国駐在時代の『ソウル俳句会』の帰国仲間が中心の会です。
「まだん」とは韓国語で「庭(ひろば)」と言う意味です。
 
父の故郷です。文政3年の間宮たえさんから記録があり、間宮耕山(兵次郎)、間宮酒煙(貞二郎)と、
船江の町を治めていた有名な方々も私の先祖です。
江戸時代には伊勢に500万のおかげ参りのお客さまが来ました。
その食料の大半は江戸から海を経由して伊勢に届いたのです。
そんな物資の取り扱いを行っていたのが船江の庄屋。間宮の系譜です。
 
父の兄は貞二郎(幼名は和一)。長男の世襲で二男の父は、名古屋の学生時代以降は東京に出てきて、私が生まれました。
それなので伊勢(宇治山田)は、私の故郷でもあります。
小さなころは毎年、夏になるとひと月は山田の家で過ごした記憶があります。
 

 
19名の俳句の仲間が伊勢市の駅改札に集まりました。
初日の主な予定は、昼食の後、外宮参拝、内宮に移り、おかげ横丁を見て、内宮の宇治橋、
五十鈴川あたりまでで時間切れ。
(ちゃんとした内宮お参りは早朝の参拝が予定されています)。
近くの「神宮会館」が句会場であり、今宵の宿泊になっています。
 
外宮にお参りです。

 二の鳥居

 
宮に入り色なき風に我は此処 武舟
 
二の鳥居木々の緑や秋気澄む 武舟
 

 
空澄みて対なる千木や天を射る 武舟
  



 
おかげ横丁は平日だというのに、伊勢参りの観光客でにぎわっています。


 
生の原酒を立ち飲みで飲ませてくれる店を見つけました。
なんと仲間たちが大勢いました。
今日は特別でお酒を飲んでの句会参加はいいようです。だって、特別な日だから・・・。

おかげさましぼりたてなる秋の酒 武舟
 

 
内宮に入り五十鈴川まで来ました。
 
五十鈴川ひややかなるや指の先 武舟
 
 神宮会館の句会場
 夕食は豪勢なセットになっています。

 
夜の句会は夜の9時から、大浴場での風呂を終えて、一杯ひっかけて幹事部屋で男性のみ9人で行います。
兼題は「橋」。20分で3句出します。
お酒のお蔭で筆が進みます。
 
橋渡る後ろ姿や秋遍路  武舟 (4点句、うち特選1)
 
燈籠の灯りほのかに橋むこう  武舟 (3点句、うち特選1)
 
宮の橋見えざる神や露の玉 武舟 (1点句)


 
さて、早朝5時に仲間たちは、神宮会館から徒歩で内宮の正殿までお参りです。
私は、もう一泊して、明日ゆっくり参拝するので朝風呂を楽しんで皆の帰りを待ちます。
部屋から朝熊(あさま)山を見ると小雨の中、霧で包まれています。
 



 
チャーターバスが来て、出発前の記念写真です。 
バスで朝熊山へ。伊勢神宮をお参りして、金剛證寺をお参りしないと片参りと言いあまりよくありません。 
海抜550Mの金剛証寺につきました。あたりは一面霧の中です。



 
金剛の山門の先は霧襖  武舟  
 
季語を探していたら「霧襖」と微小な水滴が大気中を浮遊して、煙のように見通しが悪くなるさま。
格好の季語を見つけました。




蓮間の池と連珠橋の下には睡蓮の花が咲いています。

 
睡蓮や露のひとつぶ置いて咲く 武舟  



角塔婆戒名見上げし霧の中 武舟

 
四角い卒塔婆が高さと太さで値段(お布施)はかなり違います。
地獄の沙汰も銭次第という言葉を思い出しました。
 
バスは二見浦へ移動します。



身に沁みて結ぶ絆や縄強し  武舟
 
二見浜波の静かさ風の色  武舟



最後の句会が料理屋さんの座敷で始まりました。
今回は、おもいきりたくさん作って、5句、3句、5句と大変エネルギーを掛けました。
いつもより、伊勢の血が騒ぎ、たくさん点を戴き、伊勢句会に参加して本当によかったと思います。
仲間達は二見駅4時の特急で東京方面に帰りました。


 
私は東京からいとこ夫婦が来て、今夜は合流して久しぶりの一献。
明日は間宮の先祖様のお墓参りをして、ゆっくり内宮をお参りして、夕方伊勢路を後にします。
 
=続く=
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 13:37 | comments(0) | - | - | - |
あらら!早いもので古希3(スリー)になりました。今日は孫とのお祝いパーティーです。ありがとう。


不安定な天候が続く、8月後半。
江の島の夏も、もう終わりかぁ〜。なつかしい写真が書斎の棚から出てきました。


雨模様の日に、急にKIP君とトッキ―君が、早めの誕生会に鎌倉の我が家に来てくれました。
その知らせを聞いて、私は日比谷の仕事先から一気に帰宅して二人の孫と一緒に遊びました。
おんもは小雨なので、我が家のお風呂がプールになりました。
私は帰宅のシャワーのはずが、いきなり一時間近い水遊びにつきあうことになりました。





全員が揃ったので早めの食事会が始まります。



 
乾杯。
ケーキのキャンドルに灯が点きました。
吹き消すのは私ではなく、トッキ―が強引に受け持ちます。



 
早速おいしいお肉が出て来ました。



 
楽しい食事会が終わり、デザートのケーキがでたら、(とうと)が二人と遊び始めます。
 
今年で私は広告業界の現役生活48年目。
もう少し現場で頑張ります。


 
冒頭の若いころの私。慎太郎か裕次郎、加山雄三か。
夢にあふれた未来が、あふれるようにあったころです。

 
今では、たまには孫に囲まれたり、たまには友人達とゴルフを楽しんだり、
週二日は元気に日比谷の仕事場に出かけたり。
健康な毎日と、元気な伴侶と楽しい週何回かの夕食。
おかげさまで、とっても幸せすよぉ〜。
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 12:30 | comments(0) | - | - | - |
炎暑の渋谷で「まだん俳句連中」の吟行です。みなさん、いい句がたくさん出来ました。


『まだん』と言う俳句連があります。韓国駐在時代の『ソウル俳句会』の帰国仲間が中心の会です。
「まだん」とは韓国語で「庭(ひろば)」と言う意味です。
 
炎暑、大暑、炎天下、日照り、油照り、・・・等々、季語が暑苦しい日に仲間が渋谷ヒカリエ前に集まりました。
 
まずは渋谷の大改革。昔の感覚では目的地まで歩けない。
とにかく工事中が多く、巨大クレーンが大活躍しています。
 
今日の句会は、ヒカリエ⇒金王八幡宮⇒氷川神社⇒塙保己一資料館⇒国学院大学キャンパスが主なコースです。
昼ごはんはキャンパス内の学食(一般の人も入場可)です。句会は氷川区民会館。




さぁ〜、出発です。
まずは渋谷のど真ん中の人混みを抜けていくと静かな佇まいの「金王八幡宮」に到着。
(王)と(玉)の取り違いを句にした仲間もいましたが・・・。


 
人混みを抜けて宮あり蝉の声 武舟

炎暑の中、静かな境内ではお参りする人もほとんどいません。


 
炎天に二礼二拍手人の影 武舟

この庭には渋谷区指定の天然記念物(金王桜)がある。
頼朝のご縁で鎌倉にあった「憂忘桜」を移植し「金王桜」と名付けたいきさつがある。
江戸の三大桜と言われ芭蕉も訪れていたようだ。傍らには松尾芭蕉の句碑もある。


 
しばらくは花のうえなる月夜かな はせお(芭蕉)
 
氷川神社に移り句材を探して歩く。
ただただ、蝉の声だけが聞こえてくる。
庭には我々の句友以外には、ほとんど人影もない。
木陰のベンチが涼しそうです。


 
緑陰に杖もつ老爺居眠りす  武舟




 
今日の目的のひとつ。塙保己一(はなわ ほきいち)史料館。(公益社団法人 温故学会)
休日は休館のところを特別に開けてくれました。
実はここに来るまで【塙保己一】の存在を知りませんでした。



現在の埼玉県本庄市に生まれ、7歳の時に完全に失明。以降目が見えなくなってから和尚や家族から聞いた話を完全に覚え、
一言一句違わず覚え、すべてそのまま語ることが出来るようになった。
その能力を活かして15歳で江戸に出て3年間盲人としての修業を重ねた。
いろいろあって雨宮検校に学問への思いを告げて学びの道を進んだ。
後に検校となり、記録や様々な資料を集め、編纂したものが「群書類従」。ものすごい方なのだ。
史料館の群書類従版木倉庫(約1万7000枚)を見学した。
当時の人はいまから考えるとすごい技術を持っていたことになる。




 
ヘレンケラーは母から塙先生をお手本にしなさいと言われて育った。
昭和12年の来日時に、まずここの史料館を訪問して、この保己一像を感慨深く触れることができたと、
記されている。



 
大学のキャンパスの食堂で「カツどん定食(500円)」を戴きました。安い!


 
キャンパスの涼しい一角で句のまとめを小一時間してから会場へ向かいます。


 
炎天にサンダル姿の女学生  武舟
 
いよいよ句会場の氷川区民会館。
その手前にある、
昼下がりの公園には猫一匹居ません。

ダメ押しの一句。この句は数人から得点を戴きました。

野球でいえば、滑り込みセーフの句。


 
ブランコの揺れず動かず炎暑かな 武舟



 
句会は楽しい句評などで、あっというまに終わりました。



 
打ち上げは近くの中華料理の店。
2時間以内で飲み放題、食べ放題。〇〇〇〇円!
シニアのやることではないと思いながら、テーブルには料理の山。
全てたいらげてしまった仲間達でした。


 
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 08:22 | comments(0) | - | - | - |
梅雨は明けたのか。私の夏本番は始まっています。
【桑ちゃんの船上パーティー】


 
17日は海の日。横浜ベイサイドマリーナのオーナーズロビーに桑ちゃんの仲間が集まります。
恒例の桑ちゃんのヨットパーティーです。日本晴れの港に10人の仲間が集まりました。
全長25フィートの「バターボール号」はサロン、キッチン、寝床、個室水洗トイレ、冷蔵庫などが揃っています。
何度も乗せてもらっているので勝手は、よくわかります。
当日は会費制でワイン、お酒各種、バーベキューの材料とたくさん準備されています。
まずはイーストハウスでBBQパーティーを楽しみ、目の前の桟橋に係留してある「バターボール号」に乗り込みます。


 
係留されているヨットに、BBQで残った食材やお酒を持ち込みます。


 
私は特等席に座らせてもらいます。


 
いよいよ海へでます。炎天下のもと風が顔にあたってとても気持ちが良いです。


 
酔っ払いの乗りすぎを避けるために一部の仲間は桟橋で待機します。
(この方たちだけが酔っ払いという訳ではありません。みんなです)。


 
開始時間から3,4時間たっても話は尽きません。


 
夜も更け居残る仲間は元気です。


 
楽しかったパーティーも夜9時には解散です。
今回は何事もアクシデントもなく本当に楽しい一日でした。
キャップテンの桑ちゃんに大感謝です。
 
【孫の襲来】
実は「うれしい孫襲来」。楽しい時間が続きます。


 
我が家に到着して、ベビーギャングのトッキ―。いきなりおもちゃ箱が散乱状態になります。
木製の電車のおもちゃ。レールや鉄橋、駅舎もあります。
赤い積み木が携帯電話になり、何やら電話をかけてきます。


 
Kip君はレゴの入った衣装ケースにかじりつきます。
どのおもちゃも我が息子たちが昔遊んだものが、何十年も保管されていて、
昔の息子たちと同じように、来るとすぐにおもちゃに集中です。


 
そこで早めの夕食に。お肉が卓上コンロで、おいしく焼けています。
お行儀よく(?)、ミニBBQパーティーです。


 
おまけにトッキ―は食後のデザートにスイカまでかじりついて、大半平らげました。



爺とKip君のTシャツは同じ模様です。
去年の誕生日プレゼントでお揃いのシャツを戴きました。

 
【夏の西東京大会】


 
豊多摩高校は、立川市民球場で2回戦から出場。相手は創価高校。
ピッチャ―がよいと聞いています。



 
初回のバッターがライト線にライナー性ヒットで出ました。


 
応援席は盛り上がります。


 
しかし、相手のピッチャーの好投の打線は抑え込まれます。
四球で塁に出ても、後続が断たれます。




 
結局は、ヒット一本の惜敗。
来年の夏に期待です。
こうして夏は盛りを迎えます。
 
次回予告:鎌倉の花火大会報告。良い写真がたくさん撮れていますよ。
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 13:09 | comments(0) | - | - | - |
今月の偲ぶ会、2度目が広瀬さん、3度目は眞木さん。偲ぶ会が続きます。

 
【6月18日】 信州原村にて。
 
原村仲間の広瀬さん(写真左)が亡くなって、早くも1年が経ちました。
信州原村で親しい仲間が集まり偲ぶ会を行いました。


 
まずは、慈雲寺の納骨堂へお参りです。


 
このお寺は1300年、臨済宗建長寺派の寺院として創建されました。
建長寺住職の一山一寧禅師を招いて開山したと記されています。
諏訪大社下宮の近くに在り、なんと鎌倉と関わりがとても強いお寺なのですね。
石庭も禅寺の様子です。


 
お参りのあとで仲間で記念写真です。
さて夕方から親しい仲間20名がリングリンクホールのお隣の「サンドリヨン」に集まりました。


 
玄関には写真嫌いだった広瀬さんのたった2枚の写真を探しだして、
故人を偲んで焼香台には線香ではなく、こよなく好きだったタバコそのものです。
これは「八ヶ岳農場を愛する会」会長の小林節子さんのアイデアで、
永六輔さんのかつて友人を送る葬儀の方法をそのままお借りしました。


 
それぞれ煙草を吸う人、吸わない人がタバコに火をつけてお祈りします。



 
私も10数年ぶりにタバコを口にして、神妙にお祈りです。


 
会場で献杯から偲ぶ会は始まりました。




 
取り寄せのお弁当に一品持ち寄り。



 
それぞれが思い出のスピーチを紹介します。
全く知らない広瀬さんの一面をそれぞれが披露しては故人を偲びました。
仲間同士、本当に久しぶりに会う人同士もあって、広瀬さんのおかげで十分に親交を温めることが出来ました。


 
翌朝は、姿を現した八ヶ岳に挨拶を行い、早めに鎌倉へ帰宅です。

 
【6月22日】 都内広尾にて。



コピーライターの眞木準さんの9回目の命日です。
サントリーのカンビールを担当した親しい仲間4人が広尾のカジュアルなイタリアンに集まりました。
北イタリアで修業をを積んだ本格的なイタリア料理と素材を生かした炭火料理のお店です。
眞木準さんは自著「一語一絵」で参加しています。







特別なパスタ2品。
ウニを和えて、白貝バター和えのパスタ。コクのある味付けになっています。
二つ目のパスタは、高級な白のダイヤモンドと言える白トリュフが味付けになっています。


 
話も佳境になったころに特大のステーキが現れました。
しかし4人の健淡家はぺろりと片付けてしまいました。


 
勢い余って昨年同様、福ちゃんの案内で赤坂の(う〇ぎ)へ繰り出しました。
会長の佳代さん、ママの香織さん。相変わらず美しく元気いっぱいの方です。


 
ここでは、偲ぶ会にも関わらず、はしゃいだ記念写真になりました。
 
いつもの仲間が、逝ってしまった仲間を忘れずに語り続けるという事は、大事にしたいです。
今日も元気に過ごせる幸せを、かみしめながら・・・・。
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 19:55 | comments(0) | - | - | - |
久しぶりの家族の旅は出雲の神話の里。


久しぶりの家族の旅は出雲の神話の里。
神様は、大別すると二つに分かれます。
天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)です。
国津神の代表の大国主命は出雲大社に坐します。
 
「出雲」の意味を神霊的に紐解くと、
「雲が出て地球を守る」=天からのエネルギーを媒介する雲」という意味になるそうです。
天と地の間で層をなして地球を守り、住みよい場所に変える働きを司るのが国津神です。
そんな出雲の旅です。
 
2005年4月12日。鎌倉からソウルへの徒歩の旅で松江から出雲まで37.4キロ歩いていました。
鎌倉からちょうど1110.8キロ。まだ半分の距離だが、1000キロも歩いたことになる。
今では考えられない快挙と言える。
出雲縁結び空港から玉造温泉行きの直行バスに乗ります。
 

 
一日目の宿の庭です。
 

 
近くの玉造神社へお参りをしました。
 

 
ゆっくり温泉につかり食事を楽しみました。
美肌の湯という事で肌はつるつるになったようです。
 


温泉街のボランティア協会の企画で食後は近くの山で蛍見学。
 
 出雲大社駅
 
翌日は一日、出雲大社で過ごすことになっている。
 

 
電車を乗り継ぎ思い出の出雲大社の大鳥居。
 

 
参道も昔のままだ。
 

 
大国主命も迎えてくれました。


 
大きな注連縄の下で記念写真。


 
今回の目的は本殿にてお祓いを受けることにあったので「神恩感謝」とのお祓いを受けた。


 
出雲大社の日の丸といえば、日本最大の日の丸と言われて有名です。

神楽殿の前にある国旗掲揚塔の高さは47mもあり、これは出雲大社の古代の本殿の高さが166丈(約48m)と
言われる高さとほぼ同じです。古代の本殿はあの高さまであったのだ。
また、国旗の広さはなんと畳75枚分、重さは49kg
もあります。



 
大和族と出雲族の戦いの結果、大きな社をつくった出雲族。
「古代出雲歴史博物館」では、学者の研究の結果、いくつもの大社の考え方があることを初めて知りました。


 
稲佐の浜
大国主神ら「国津神」に対して、高天原にいた天照大御神ら「天津神」が、この国を譲ることを迫る「国譲り神話」。その重要な舞台となったのが、出雲大社からも程近い海岸だ。



 
出雲大社を堪能して、一畑電車で1時間、宍道湖を真横に見ながら松江に向かいました。


 
この宿でもお茶請けのお菓子は同じ「どじょうすくい」でした。



 
この宿は昔、留学でやって来たラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が定宿にしていた旅館です。
食事の部屋からは宍道湖の湖水が松江大橋を抜けて大橋川になります。
夜景がきれいです。


 
朝、よく見ると景観重視でガードレールがありません。
歩きスマホなどしていると、川に転落します。

 安来駅前のドジョウすくい

 
今日のメインは夕方のフライトまで「足立美術館」めぐりです。
松江から安来までJR快速で30分。


 
横山大観の名画など巨匠の作品がたくさんあります。
(写真が撮れません)



 
枯山水庭、白砂青松庭、苔寺、池庭などの名園を楽しむことが出来ます。
いずれも見事な目を見張るような庭園です。




 
となりにある【安来節園芸館】に寄りました。



どじょう亭ではどじょう鍋を戴きました。



夕方になる前に松江に戻り、中心地にある松江城を見学して、
「出雲縁結び空港」から東京へ戻りました。



 
鎌倉ーソウルの徒歩の旅では、ゆっくり見られなかった出雲三昧でした。
実家筋が伊勢なので、神道ですし大和族の私ですが、出雲はまた行きたい場所です。
9月には伊勢神宮の予定です。
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 11:29 | comments(0) | - | - | - |
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