鎌倉から、こんにちは

「鎌倉発、韓国ソウルまで。」
徒歩の旅を終えて、あらたなスタート!
鎌倉から日常のあれこれをお伝えしていきます。
心は野球少年。最高は古希の選手もいる豊多摩マスターズ。

  

 

「マスターズ甲子園」とは、全国の高校野球OBが、世代、甲子園出場・非出場、

元プロ・アマチュア等のキャリアの壁を超えて出身校別に同窓会チームを結成し、

全員共通の憧れであり野球の原点でもあった『甲子園球場』で、

白球を追いかける夢の舞台を目指そうとするものだ。

 

都立豊多摩高校野球部OB会も活動の一部として「マスターズ甲子園」に

2014年に単独チームとして参加し、すでに4年が経った。

今年の東京地区は我々のブロックの日大二高、武蔵、中大付属の4チームを始め、

強豪の修徳、日大二高はじめ全東京で23校が参加している。

 

 

初戦は対中大付属が相手だ。

朝9時半から立川の日大二高グランドで対決した。

昨年まで、わずか1勝しかしていない。

なんとか初戦はモノにしたい。

勝てなかった時の負けていた悔しさと、勝ちを知ってからの負けの悔しさは

余りにも違う。メンバーにもその悔しさがあるはずだ。

そして、全員が勝つために立ち上がり動き出した!

今年は、予選リーグ2勝し、決勝トーナメントに進出し、優勝して甲子園を目指したい。

決して夢ではない。

 

 

ピッチャーの好投、バッターの粘り強い選球眼、バッティングはジャストミートが多い。

守備も内野ゴロは安心、6−4−3のダブルプレイも危なげなく見せてくれた。

外野フライは、すべてナイスキャッチと申し分ない。

打って良し、守って良し。いつの間にかそうなったのか。

 

 

硬式ボールの練習場は確保に難しい。

一昨年から新しい発想で軟式野球を取り込んだ。

元勤務先の後輩が所属する軟式リーグ「タヌキリーグ」への参加だ。

砧球場か世田谷球場で週末のナイターも参加が可能だ。

砧が主戦場なので「タヌキ」なのだ。

試合ルールは面白い規則で、いったん後退した選手も、再度出場できる。

打順は9番までだけでなく何人でも打席に立てる。

つまり全員がバッターボックスに立てる。

 

 

このメリットは監督の水沢さんが先輩後輩の選手の戦力把握ができる。

選手は野球を楽しめて、全員が野球勘を取り戻せる。

 

 

熱心な後輩が別のところでの早朝のグランド確保でチーム練習の機会を作った。

場合によっては紅白戦もできる。

そんな経過でマスターズの試合に集まってくる仲間が30人前後になった。

試合は、前半は35歳以下が中心、後半は35歳以上で試合を行う。

最近は35歳以上になっても試合が前述の理由でボロボロにならない。

 

 

水島監督と有望選手の黒田君の誕生日にわがチームは3対16で初戦を飾った。

 

 

次の試合は6月9日(日)朝8時半に江戸川球場で日大二高と当たる。

ぜひとも試合に勝ちたい。

 

 

ここまで書いている私は、すでに硬式野球は無理。せいぜい軟式野球がいい所。

なんせ、往年の三塁手の私は、守備位置のサードからファーストまでボールが届かない。

左側の吉田君は唯一の現役選手だ。

豊多摩マスターズでも、母校の六大学OB戦で神宮球場でも投げている。

 

後輩の野球少年たち、がんばれ。私は写真班で頑張る。

よろしく頼む。

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 13:51 | comments(0) | - | - | - |
天皇陛下のお出まし。生まれて初めての一般参賀。進んで止まっての繰り返し。

 

今年はめずらしい初めての体験が続く。

英国人とドイツ人のお客様の鎌倉ご案内。

先週はハンセン病の療養所の訪問と吟行句会。

今回は令和の御代に初めての皇居の一般参賀に参加した。

令和が我々にとって良き日になることを祈り、生まれて初めての一般参賀だ。

 

 

鎌倉をほぼ始発に近い電車で東京へ向かう。

7時半に皇居到着。すでにたくさんの人が行列を成している。

 

 

まず皇居外苑で列の最後に並び少し進み、じっと止まる。しばらくして少し進み止まる。

この繰り返しが続く。周りの人と何気ない軽いおしゃべりが始まる。

だんだん外気温が上がってくる。人ごみの中で上着が脱ぎにくい。

 

 

セキュリティーのテントの前。空港と同じように厳しい手荷物検査。

そのあとは空港同様のボディチェック。

 

 

 

この後は番号ごとのグループになりじっと待つ。看板は5番だ。ここが我慢のしどころだ。

皇宮警察から熱中症を避けるために水分を取るようにと…。しかしトイレの問題がある。

開門時間が早まり910分に動き出した。

我々の5番も、やがて皇居正門から入場、なだらかな坂を人波につながって歩く。

 

 

お堀の向こうの遠くに二重橋を歩く行列が見え始める。すでに10時前。

一回目のお出ましの時間が近づいている。まだ宮殿までは少しありそうだ。

私は2回目の11時のお出ましには間に合いそうだ。進んでは止まるの繰り返し。

 

 

二重橋を渡るときに下の方を見ると皇居広場に大勢の参賀客が見える。

 

 

宮殿東庭へ門をくぐると、あの初めて見る長和殿が見てきた。

 

 

すでに前庭には、たくさんの参賀客が並んでいるが、人の流れに乗って前に進む。

あのお立ち台のガラスのお部屋のほぼ真ん前で止まり、自分の参賀の位置を確認する。

お出ましまで、まだ40分もあるが、じっとしてカメラテストなど準備。

大きなスクリーンの案内文は日本語、英語、中国語。韓国語はない。

 

 

場内アナウンスとともに定刻、私たちの前に天皇陛下、皇后陛下がお出ましになった。

秋篠宮皇嗣他、皇族の方々が色とりどりのカラフルなドレスで並ばれた。

 

 

周りでは「天皇陛下万歳」の声が聞こえ、日の丸の小旗が降られて、

ちゃんとお姿が拝見できない。

一斉にスマホなどのカメラの手が上がる。

案内役の声に続き陛下のお言葉があった。

あっという間に、おでましの時間が終わった。

 

 

次回のお出ましのために更に前に向かう方がいるが、

私は人の流れについて坂下門方向へ下った。

生まれて初めての一般参賀は長い時間待って、あっという間に終了した。

 

 

朝7時半から11時半まで4時間の人生初めての宮中参賀だった。

拝殿の真ん前に行けたのは幸運だった。

しかし、日の丸の小旗とカメラを撮る両手でほとんど陛下が………。

でも令和最初の貴重な体験だった。

 

 

多分、これからは自宅のテレビで一般参賀を拝見することだろう。 

なので、次なる人生初めての体験、または令和初めての体験を考えたい。 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 19:15 | comments(0) | - | - | - |
この療養所に入るとハンセン病患者は一生外部に出られなかった。

 

「今日の吟行句会を企画した幹事は偉いわね。花鳥風月でなく、ちゃんと生と死を考えている」

早朝出かける私を玄関で見送り、家人はひとこと言った。

 

『まだん』という俳句連がある。『ソウル俳句会』の帰国仲間が中心の会だ。

「まだん」とは韓国語で「庭(ひろば)」と言う意味になる。

 

 句会の幹事の貫(ぬき)韓山先生。

 

今日の吟行句会は西武線沿線の清瀬にある「国立ハンセン病資料館」のある『多摩全生園』。

この療養所はハンセン病患者の収容施設だ。

 

 

らい病は今や死語になったが、昔はハンセン病患者は一度療養所に収容されると、

一生そこから出ることはできなかった。

 

ハンセン病は感染力が弱く遺伝もしない。今では適切な治療で完治する病気だ。

平成8年の「らい予防法」廃止まで、国の隔離政策が続き差別と偏見を助長してきた。

設立時は武蔵野の雑木林が生い茂る中、東京ドーム8個分の広い園内は3万本の樹木がある。

あまり、よく知られていないが、ここには、とてもむごい歴史が刻まれている。

患者の居住地の周りには深い堀が掘られ、内側はその土で盛り逃亡を防止した。

居住地の周りには、いまは背の高くなった樫の木が植えられている。

 

 

 

園内には静かな街並みの中、教会、お寺、神社と、いかなる宗教も受け入れた地区がある。

 

 

には風呂の設備や、いまは使われていない図書館もある。

ハンセン病は、現在は治療法も確立されて、早期発見と適切な治療で、

後遺症を残さずに治すことができる。

 

 

しかし、今なお、ハンセン病の後遺症などで療養所に居住している方が相当数居住しているという。

 

 

住居には政治家のポスターなどがあり、ある意味で生活感もある。

 

 

春の日差しの中、介護スタッフに守られて散歩されている方を見ると、

母の高齢者ホームの施設を訪問したような錯覚を覚える。

 

ハンセン病資料館の中は、むごい生活を表現した模型や、患者をサポートする器具など展示してある。

すべて撮影禁止になっている。

 

親や兄弟と一緒に暮らすことができない。

実名を名乗ることができない。

結婚しても子供を産むことができない。

一生療養所から出て暮らすことができない。

死んでも故郷のお墓に埋葬してもらえない。

 

むごい歴史包まれたハンセン病療養所の資料館を訪ねた。

 

 

近くには面会人の宿泊所もあった。

ここの電話ボックスには、電話機がまだ残っていた。 

 

 

平成8年に「らい予防法」は廃止されたが、まだ問題はいろいろと残っている。

複雑な気持ちを感じながら資料館を出て、参加者全員で記念写真。

句会場へ向かった。

 

 

私の気持ちに重なった仲間の句を勝手に選んでみた。
見送りはここまでとあり樫若葉 
癩という一生ありし新樹かな

命継ぐ蒲公英の絮天高く

望郷の丘にさまよふ黒揚羽

樫の木に悲しき話若葉風

絶望の中で生きるや春の果て

捨てられて故郷遠き赤つつじ

全生園歩む患者に若葉風

電話無き電話ボックス黙の春

積年の怨みをはらむ梅古木

なりんぼうは今無き言葉春の風

 

 

緑立つメタセコイヤは秘話語る 武舟

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 15:38 | comments(0) | - | - | - |
さば街道の小浜に行った。「さば街道」を歩くのではなく、「さば街道」を書いたからだ。

 

 

『かにかくに』という同人誌がある。

「かにかくに ひとはいふとも若狭路の後瀬の山の後も逢わむ君」坂上大嬢

万葉集に残る若狭の歌二首がおさまっている。

「かにかくに」とは、とやかく、あれこれ、いろいろ、という意味だ。

 

毎年春になると新宿のデパートで福井県物産展が開催されている。

「田村長」の田村仁志さんを、陣中見舞いがてら恒例の一献の夜が来る。

「今週中に原稿を書かねばならないんだ」酒席で言った。重ねて、

「間宮さんも、何か書いてよ」という流れで、急に寄稿することが決まった。

締め切りまでわずか3日しかない。

 

『日本のさば街道。韓国のさば街道』というタイトルで、

韓国にも日本と同じ「さば街道」があることを、広告会社の韓国赴任中に知った。

という書き出しで、約2000字ほどの原稿を寄稿した。

 

 

その同人誌第7号の発刊を祝う懇親会にわざわざ行くことになった。

小浜には「鎌倉−ソウルの徒歩の旅」でお世話になった方が、たくさんいるからだ。

久しぶりに会えたらうれしいなという気持ちで、すぐに参加を申し入れた。

 

 

二年ぶりの小浜駅。

前回は一昨年の5月GWの「さば街道根来峠越え」の京都まで一泊二日の歩きだった。

 

 

小浜駅前の「れんが亭」というビジネスホテルは、歩きのイベントごとにお世話になる宿だ。

 

 

懇親会までは時間があるので「田村長」のある和泉町商店街を訪問。

 

 

海辺の「若狭おばま食文化館」に行く。

食に関する展示物がたくさんあるのだ。ほんとうに久しぶりだ。

 

 

階の温泉で若狭湾に沈む夕日を拝むことにした。

 

 

湯につかり、いい気分になって、近くの懇親会の会場へ向かった。

なぜか私は同人誌の寄稿者として、今宵はゲスト扱いになっていた。

 

 

海の幸の寄せ鍋。茶碗蒸し、アマダイ、ホールの会長の手打ちそば。

食べきれないごちそうである。

 

ゲストスピーカーとして(私とさば街道との関わり)を、お時間いただきお話しした。

「鎌倉ーソウル2328キロを歩く」(講談社+α新書)を読んでくれた方もいる。

購読希望者の方は、その場でキンドルなど電子ブックを買ってくれた。ありがたい。

 

 

幹事さんが二次会もセットしてあった。

私も初対面の地元の方と打ち解けて飲んでいる。

 

 

地元の「ザ・ピーナッツ」のデュエットも飛び出した。

 

 

私も乗せられて何年ぶりかでカラオケ「北の旅人」を歌ってしまった。

まさしく「北陸の旅人」だ。

 

最後は円陣になって乾杯だ。

 

 

記念写真は撮ってもらったが、どなたがどの名刺かわからない。

ものの勢いというやつだ。

 

 

翌朝は元勤務先の後輩(朝倉君)とあった。

彼は10年前から地元にUターンで戻って、観光促進のプロジェクトの仕事をしている。

ようよう、結果が出てきたそうだ。

 

朝倉君が私と小浜(さば街道)のメンバーを結び付けてくれた。

おかげで、何年も続く「さば街道」イベントに結びついたのだ。

ほんとうに朝倉君のおかげだ。

 

 

帰りの電車の時間まで、彼の案内で近くの神武寺の桜を楽しんだ。

今回は、本当に小浜の仲間に、お世話になった旅であった。

ありがとう!

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 17:10 | comments(0) | - | - | - |
穏やかな日和だ。3月24日は母親の98歳の誕生日。16名の家族が集まった。

 

今年の誕生会は、母親と子供たち(伴侶含め)4名、孫たち(伴侶含め)8名、
ひ孫が7歳、4歳、0歳の3名、

全部で16名になった。
この1年で甥のお嫁さん、姪の赤ちゃんが増えたのだ。

 

家の近所のイタリアンのお店を借り切り、おいしいイタリアンを楽しんだ。

「鱗亭」という釣り宿の中のイタリアン。お店のシェフが新鮮な魚で料理してくれる。

 


 

乾杯のビールやジンジャエール、シードル、ノンアルコールに加えてワインが開いていく。

 

 

甥のお嫁さんは、私を含めて初対面が多いので、彼女を囲んで若いみんなが話しかける。

二番目に年寄りの私は、多少遠慮気味の遠巻状態だ。

 

 

孫のKip君やトッキーが、おじいちゃんの家の食事はいつも大人系という。

イタリアンの食事会に飽きないように、子供系のパスタやコカ・コーラも準備してもらう。

 

 

大人用には前菜(イカ、ブロッコリー、ナッツ類のカルパッチョ)、芝エビの甘辛煮、 バジル系のパスタ、

メインのお魚は蒸し焼きの鯛の洋風煮のような初めての料理だ。

 

 

今日の人気者は、やはり生後5か月の(さぁ〜や)ちゃんだ。
ちょうどご機嫌よく、みんなのお相手になっている。

 

 

このように春めいた気候の中、母の誕生日が年に一度の大家族の懇親の場になっている。

 

今回は姪のご主人が広告制作会社という仕事柄、パワーポイントで、

「間宮家のおもいで」と、自分たちの結婚式の映像に新しく母親中心に昔の写真を加え、

孫たちの小さなころの写真も取り揃えての映写会が大評判だった。

 

 

親父の若いころの写真も、何枚も出てくる。

 

 

私の長男、次男の誕生時の写真だ。
「これ誰?」「やっぱりおじちゃんの子供頃に似ている」「目がおばちゃんに似ている」

孫同士も小さなころの写真が、誰かと誰かを間違えて見ていたりした。

 

 

この誕生会で行う初めてのイベントに、参加者は大うけだった。

 

幹事役の私は、母親と同じように家族の成長を複雑な思いで見ている。

それもそうだ。兄、二人の妹は、全員が70歳代なのだから。

 

 

母へ「ハピーバスデー」の歌の後、母がキャンドルを吹き消してスピーチの後に、

「98歳のおばあちゃんを応援してね。そして70歳代のおじさん、おばさんたちも応援してね」と、
思わず締めの言葉を本音で話してしまった。

 

普段は施設にお世話になっている母の老々介護の日々なのだから。

 

若いころの母は病弱で、女学生の頃に肋膜で寝込み、私の小学校の頃も 同じく肋膜で長いこと寝込んだ。

 

 

そんな母が98歳。九十代(ことよ)という名前の通り九十代の後半。

「百歳になったら、百代(ももよ)に名前を変えるの」と、数年前の誕生会で言った。

「そのあとは(あのよ)という名前に変わるのと、しゃれっ気のあるスピーチで笑わせた。

どうやら、(百代)というそのしゃれも本当の話になりそうだ。現実味を帯びてきた。

 

さて、我々子供たちは、どうなるのだろうか。

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 19:22 | comments(0) | - | - | - |
紡がれる家族の物語。映画の話です。久しぶりに推薦したくなった映画です。

 

土井康一氏の長編初監督作品「よあけの焚き火」を紹介します。

八ヶ岳でお付き合いしている知人のご子息が映画を作ったという話は昨年から聞いていた。

このほど作品が完成して「ポレポレ東中野」という単館上映の映画館の初日に行った。

 

監督が映画で描きたかったのは「家族」。その日常は、「伝える」というコミュニケーションの連続だ。

「伝える・伝わる」とは、どういうことなのか。

 

 

監督はその問いの答えを主演の大蔵基誠(もとなり)、康誠(やすなり)という、

能楽師大蔵流狂言方の実の親子に託した。

伝統芸能を継承・伝授していくことを宿命として背負った親子の姿を通して、

「伝えること」という普遍的なテーマを冬景色の蓼科で、映像に昇華させた稀有な作品となった。

 

【ストーリー】  見ていただくので、あまり饒舌には紹介しませんが…。

 

 

父と息子。職業。能狂言方。雪解けに近い山の稽古場。

650年の伝統を持つ狂言方の家に生まれた大蔵基誠と、10歳になる息子の康誠。

冬、父と息子は山の稽古場へ向かう。

二人の親子は、誰もいない稽古場で朝から一日、稽古に励む。

 

 

ある日、その親子を静かに見つめる少女、咲子が現れる。

家族の歴史を受け継ぐ康誠と、家族を失った咲子。

「運命」を背負った二人の心が静かに交差し始める……。

そこから物語は始まる。

 

私の好きな八ヶ岳(蓼科)の冬風景の中で映画は展開する。

ミュージシャンの坂田明が地元の猟師として重要な役割で主人公に絡んで好演している。

 

 

ある日、坂田(宮下勇)は、家族を失った親戚の少女・咲子を信州に預かり、大蔵親子に紹介する。

真っ白な雪景色の中での、二人の幼い子供の触れ合いが目を離せない。

ある朝、二人だけで入った森の奥で、咲子は大きな樹の下に横たわった牡鹿の頭蓋骨を見せる。

生と死、それを包み込む大きな時の流れ。

 

 

康誠は母から「お守り」として与えられたベル(鈴)を咲子へ与える。女の像のベル。

まさに二人の「よあけ」が始まるのだ。

 

 

冬の雪景色、真っ白な世界。グラフィック的な撮影の丸池納の映像は、

狭い古民家の中を静かに、カメラを移動させてモノクロ的な映像を展開している。

その映像は、むしろ暖かく感じる。

作品の舞台になる古民家は、東京から写真家で映画監督の本橋成一さんの祖母の家を、

昔、蓼科に移築したもので、そのまま空き家になっていた家を映画のセットにした。

狂言師の親子の技の伝道には、この上ない舞台だ。

よくぞ、見つけた。

 

親子二人で自然な関係で、囲炉裏を囲んでの朝食、そして夕餉のとき、

狂言ごっごで、普通の会話を狂言のセリフのように交わす親子。

栗がはじいて火が跳ねる瞬間、父に飛びつく息子。演技を超えた「素」が見えた。

 

 

音楽を担当したのは坂田学さん。坂田さんのご子息だ。

トークショーで坂田明さんが

「若いころは旅公演が多く、自宅には寄り付かず、狂言師の親子のような

むしろする気もなかったが、技の伝承などできなかった。学は自分で育った」と。

音楽のジャンルも全く異なる。

ふと、私自身のことを振り返ると、二人の息子には「背中」を見せているだけだった。

80年代の広告業界。家に帰るのも忘れてONOFFもなく走りまわっていた。

坂田さんのコメントを聞いて、同じような感想を持った。

 

 

今週の上映が終わると、おそらくしばらくは、東京では見られない。

もう一度劇場へ足を運びたくなる映画だ。

 

 

映画が終わって、ロビーの脇で、土井監督、坂田さんとご挨拶と映画の感想をお話ができた。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 22:17 | comments(0) | - | - | - |
これさえあれば、なにもいらない。パソコンの話です。

 
 

 現在、書斎で使っているパソコンは、東芝ダイナブック(ノートパソコン)だ。

2011年の東日本大震災の直後に、購入したので、かれこれ8年になる。

 

韓国から帰国して定年退職した時にはSONY(VAIO)からパソコン生活が始まった。

しかし、VAIOはしっかり働き、3年で故障して使えなくなった。

3か月で著作を書き上げのため、かなり酷使したとはいえ、あまりにも早すぎる。

冗談で「VAIO3年時限爆弾説」も耳にした。

つまり「ハズレ」。相性が悪かった。

 

その次が「DELL」。結構パーフォマンスが良かった。

姉妹都市の事務局長、八ヶ岳農場を愛する会の事務局長、宣伝会議のPP制作メール、
資料作りなど世話になった。。

ある晩、夕飯直前まで書斎のパソコンで作業していた。

夕飯を終えて書斎の机に向ったら、ONの電源を入れても、ウンともスンとも言わない。

画面は真っ黒のまま。DELLのパソコンは5年で、いきなり即死した。

コールセンターに連絡しても大連の中国スタッフが、たどたどしい日本語で対応。

「それはマニュアルで確認してください」と。なんだそれは……。

 

 

そこで、いろいろと店頭で研究して、東芝ダイナブック(ノートパソコン)を購入した次第だ。

即死状態のパソコンのデーターは、長男の友人の専門家の手で見事にデーター復活してくれた。

このダイナブック(ウィンドウズ7)は、あしかけ8年も活躍してくれた。


 

ところが、三崎港にひと月移住体験した時にスクリーンの液晶にシミのような黒い模様が出て来た。

なんだろうと思ったが、大事に至らないうちに、息子に相談して次の機種の検討に入った。

 
息子から長時間パソコンに向かう屈んだ姿勢は体に良くないと、家の書斎ではデスクトップを薦められたが、

やはり、私はノートパソコンにこだわった。

 


 

いろいろ検討した結果、マイクロソフトのSURFACEに決めた。
モデルは、Pro6、Laptop2に絞られた。

記憶容量は128GB(ギガバイト)か、256GBのどちらにするか。

結局は256GBを選んだ。

 

ところが最終検討している時に、ありがたい事が起った。

対象の品物のオフィスが2016に対して、2019にバージョンアップすることになった。

つまり購入予定の商品が、いわゆる「格落ち」になり4万円強ほど安くなった。

そのために、購入希望者が一気に殺到することにつながった。

一時は情報戦争と人気商品争奪戦の様相を極めた。

 

こちらも、あわてて大型販売店を通じて、抑えにかかったが、

最終的にはネット購入で、SUFACE Pro6のスクリーンは13.5インチにした。

ウインドウズ10。商品や付属品を無事に購入した。



 

A4サイズで原稿を書くにも、いまのダイナブックと見た目の感触が変わらない。

スマホ感覚、タッチスクリーンで、指で広げると原稿が大きくなったりする。

搭載オフィスは2016年版。


 

私の写真の画像管理が8万枚と非常に多くて、記憶容量が、すでに約350GBになっている。

同時にマイクロSDカードも購入し、本体と合わせて約500GBになり、

しばらくは記憶容量については問題なく安心だ。

 手元に置いてみると店頭で確認したが、やっぱり今までのダイナブックと勝手が違う。

短期間に息子の特訓を得て、何とか稼働することになりそうだ。

 

Windows7からWindous10へ。

ノートパソコンの快適さに、タブレットの軽快さを味わえる。モバイル性も高まった。

まずは原稿を書くこと、ネットのお気に入りの活用になれること。

タブやスタートメニューにある記号やマークの意味を理解するためにメモを作った。

年齢の割にはスマホ生活が長いので、意外と慣れるのは早かった

少しづつ、慣れていくしかないが、楽しんで向かい合おうか。
 

広告制作会社の仕事場の私の席にあるパソコンは、DELLのウインドウズ10のデスクトップだ。

制作スタッフや一部の営業担当の多くが、Macデスクトップを使用している。

数日ぶりに出社してパソコンを開いたら、新しい画面になっていた。

先ほどまで自宅の書斎で見ていたのと同じ画面なのだ。

仕事場でも、いつの間にかに私のパソコンが、ウインドウズ10になっていたのだ。

本来ならば戸惑うはずなのだが、あわてずに情報機器担当に感謝した。

時代は急速に変わっていく。

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 16:20 | comments(0) | - | - | - |
藤沢七福神。久しぶりに歩いてみた。鎌倉七福神とは趣が違うようだ。

 

 

家人の友人の大学教授から、3月末に「国際AI関係のシンポジウム」に

参加する英国とドイツの学者を鎌倉、江の島に案内して欲しいと依頼があった。

ある日、その友人が鎌倉へ下見に来るというので同行した。

 

 

「弁財天」を祀る江ノ島神社の弁天堂に「藤沢七福神」のスタンプラリーの案内があった。

早速、(弁財天)のスタンプを押した。続けて、近日中に藤沢の街を歩いてみようと。

 



 

翌日の朝、天気が良いので家から徒歩10分の「龍口寺」(毘沙門天)から歩き始めた。

歩くのはモデルコース△嚢哨療鼎望茲辰篤B瑤泙如


 

ここからは電車やバスを利用した案内になっているが、私は全て徒歩でお参りする。

東海道線沿いに西に歩いて神明町の鵠沼第二踏切前まで歩く。



 

右に曲がり、しばらくすると「皇大神宮」(恵比寿さん)がある。

ここの祭神は天照皇大神。






ここから北西に国道一号線を向かって30分。

引地川の引地橋の麓にある。父の墓参りの渋滞の抜け道のあたりだ。
そこに「養命寺」(布袋さん)がある。




 

養命寺から国道1号線を藤沢橋方面に徒歩15分。

「白旗神社」(毘沙門天)がある。

藤沢七福神の中で、今日は一番賑わっている。
宮司の鈴木大次さんは、鎌倉市の都市提携で安東国際仮面舞フェスティバルに、

協力してくれた仲間の一人。お参りごとに挨拶している。
フェイスブックの友達でもある。


 

祭神は寒川比古命。源義経の首がこの地に葬られたことから、義経も合祀されている。

 

 

道中に「藤沢市民病院」があり、父はこの病院で36年前に67歳で亡くなった。

久しぶりに徒歩で近づいたので、病院の前で、しばらく父を偲んだ。

その瞬間、何故かちらほらと初雪が舞い落ちて来た。不思議なタイミングだ。

母はその時に「5年経ったらお父さんのもとに行きます。それまでお世話になります」と。

我が家に母の部屋をつくり15年同居した。

その母は現在97歳10か月で大船のホームで、年齢なりに健やかに暮らしている。


 

次は徒歩10分で「常光寺」(福禄寿)になる。

境内に続く寺林は旧宿場町(藤沢宿)の名残を残す風情がある。



 

このあたりの街道筋は、電信柱がなく、すっきりとした風景だ。

藤沢市は電線の地下化を推進している。

私の歩いたソウルへの徒歩の旅でも、多くの宿場町では電線の地下化が散見された。
私の好きな古江戸と言われる川越の街も、電柱がなく空が大きい。





 

残るは藤沢橋を挟んで、「感応院」(寿老人)だ。

人気もなく静かな寺院だった。社務所もしまっている。

当時、幕府から檀林所(仏教学研修所)に指定されて、

末寺14か所を教える大寺院だったというが、その面影は感じられない。
弘法大師が我々を迎えてくれる。

 


 

最後は「諏訪神社」(大黒天)だ。

箱根駅伝で有名な遊行寺の坂沿いにある。

七福神の赤い旗がたなびいて、長い階段を登ることになる。

遊行寺を創建した時は、遊行寺の鎮守としたが、明治の神仏分離のために、

東海道を挟んで向かい側の現在の場所にある。
これで、今日のすべてのお参りが終わった。



約2万歩で14キロ歩いたことになる。

 

 
 

実はこの「諏訪神社」の裏道の先に以前の私の実家があった。
大学を卒業後、結婚までしばらく、南斜面の日当たりのよい家で、
父、母と二人の妹たちの家族5人で住んでいた。

 

家に上る石の階段は40数年前と、少しも変わらない。

 

藤沢七福神は江の島から遊行寺の坂あたりまで広範囲なので、

私のように全部徒歩でお参りすることなく、車や自転車を利用したり、

ジョギング姿でお参りするシニアを多く見かけた。

 

 

おまけのカットだが帰り際の藤沢駅の広場で秋田フェアを行っていて、

現地からやってきた「なまはげ」のパーフォマンスに出会った。

一緒に写真を撮るサービスもあり、当然、名乗りを上げてスリーショット。

 

この日の出来事をFBに掲載したら「茅ヶ崎七福神」「三浦七福神」を歩いて欲しいとリクエストがあった。

そうだな、あわてずに歩いていようかと、好奇心が刺激された。

 

 

完歩したものには通常200円の記念手拭が半額の100円で戴くことができる。

 

現在、家の近くでは「藤沢市民マラソン2019」が行われている。
なんと7000人の参加者が江の島からスタートする
10マイルレース。たったの16kmだ。知人も参加して走っている。
今頃は穏やかな海と富士山を眺めながら走っているはずだ。子供など家族参加の短いレースもある。

昔ならば、「マラソンマン」として当然、私も参加しているに違いない。
だが、今は「歩く人」に留まっている。走れない自分を納得しているのだ。

走らずに、見物応援もなく、書斎でこうしてブログを書いている。

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 12:48 | comments(0) | - | - | - |
2019は、もう動き出した。何を目指そうかなと考えています。



【KAMA=TRIPULS】

 

昨年末に鎌倉市が協賛する「セカンドライフ鎌倉」というプロジェクトに参加した。


 

目的は「シニアのための観光スキルアップセミナー」というタイトルだ。

「鎌倉TRIPULS」という1回2時間の合計4回のセミナーだった。

セミナー参加者は55歳以上で、パソコンやネット情報の検索など日常的に慣れている人。

英語の日常会話力がある人に限られた。(別に試験があるわけではないですが)。

【訪日外国人向けに、リアルな「鎌倉日常体験」を提供してみませんか】

あなたならではの、鎌倉ローカル体験ツアーを創ろう!

 

鎌倉市が協賛するから(鎌倉ローカル体験)になる。

このセミナーを通じて参加者のみなさんは、鎌倉にこだわって企画を考えるようだ。

私はこの発想を戴いて、鎌倉にこだわらずに、ユニークな個別アイデアを企画しようと考えた。

 

 

企画ガイダンスは日本語より英語が良いとされる。

とっさに考えたのは、三崎港の古民家に泊まって朝市を見学し、その後城ケ島を散策する。


 

食事は、当然マグロ三昧。この計画を詳細に詰めて宿屋、食堂(料理屋)との詰めを行う。

鎌倉でネットワークを組むよりも、1ヶ月滞在した三崎の仲間の方が融通が効く。

 

【鎌倉ツアー】

 

 

このセミナーで知り合ったイトウユタカさんが、「鎌倉ツアー」という

外国人の方を鎌倉で案内する方々のための「徒歩ツアー体験ツアー」を企画した。

何でも参加するのが、Team MAMIYAの私の習性。

1月13日 北鎌倉に集合した。

 

北鎌倉=華蔵院=建長寺=鶴岡八幡宮=大仏次郎茶亭=幕府跡=ランチ=稲村ケ崎=鎌倉

 華蔵院


 大仏次郎茶亭

私の季節の歩き(七福神、梅、桜、アジサイ、紅葉)とはかなり違うコースだった。

 半僧坊の天狗
 半僧坊大権現 火盗除護符




幕府跡を歩いた。


 大蔵幕府跡(頼朝の私邸跡)

 若宮大路幕府跡


 宇都宮辻幕府跡


幕府が置かれた場所は転々とした。
最初は「大蔵幕府跡」(45年間)。源頼朝の邸宅で大蔵御所とも呼ばれた。
「若宮大路幕府跡」(97年間)、「宇都宮辻幕府跡」(11年間)。約150年続いた。
将軍の私邸と、侍所(軍事警察機関)、問注所(訴訟機関)と政務を行う公的エリアだった。
いずれも幕府跡は鶴岡八幡宮の至近距離にあった。

ほかに塔頭、大六天、安倍清明(陰陽師)、稲村ケ崎では十一人塚など、
メモを取らないとわからない説明があった。

分からないと日本人に対しても説明がつない上に、外国人にはもっと説明がつかない。

言葉が喋れても、コンテンツを理解していないと、説明できない。

「鎌倉検定」でも取得しないと・・・。
 

 

 

それよりも参加者20人のうち大半が【全国通訳案内士】の資格の持ち主だ。

今まで私の周りにいないタイプの方々だ。

それぞれ個性豊かなメンバーだ。何人かは友達になれそうだ。

歩きながら考えた。
鎌倉のおもてなしと、鎌倉のサービス(詳細情報)の違いは何だろう。
海と山と寺社に囲まれた鎌倉。
京都、奈良との違いは何か。
7つの切り通しの意味など、本来の鎌倉の持つ凡そな意味などを、まったりと説明できれば良いかな。

カタコト英語の私は、その方々の誰かにサポートなしでも実行できそうだ。

夕焼けの稲村ケ崎でグループと分かれて帰宅した。

 

【鎌倉七福神歩き】

 

10日の日は元勤務先の仲間と鎌倉七福神(10日夷を訪ねる)を歩いた。

平日でも集まれるシニアの仲間達だ。

 

いつものように北鎌倉駅の円覚寺前に15名の仲間が集合した。

 
 浄智寺(布袋尊)

 

 鶴岡八幡宮(弁財天)

 

 宝戒寺(毘沙門天)

 

 妙隆寺(寿老人)

 

 本覚寺(夷神)


 御霊神社(福禄寿) 


 長谷寺(大黒天)

 

 

ここで七福神参りは終了し、いつものように鎌倉駅に戻り「川古江家」で酒宴になる。

 

鎌倉市はオリンピックに関して、フランスのホスピタルシティーに決定した。

この後、年間2000万人の鎌倉市の観光客が、どこまで増えるのだろうか。

ところが、観光客が鎌倉市に落としてくれる金額は平均で3500円という。

訪問客を増やさずに、3500円をさらに+1000円〜2000円落としてもらうインフラを、

早急に考える必要がありそうだ。

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 21:53 | comments(2) | - | - | - |
三崎のイベント「第3回 いしいしんじ祭」に、飛び入り参加しました。


 

 

いしいしんじ、という作家がいる。大阪出身で50歳前後の音楽好きのビール好き。

現在は京都に在住だが、2001年から2010年まで三浦半島先端の港町、

三崎で魚屋さんの家を借りて住んでいた。

その「まるいち魚店」が舞台になった三崎でしか書けない小説を書いたという。

2013年に「三崎いしいしんじ祭」を開いたのは、三崎という土地への、せめてもの恩返しのつもりだった。

今回の3回目は「ただいま、三崎」「おかえり、いしいさん」と。

いしいしんじのゆかりの土地。三崎の商店街を中心に小さなブックフェア、トークイベント、ライブ、パフォーマンスなど一日限りの3回目のお祭りが開かれた。

三崎の「本と屯(たむろ)」のオーナー、ミネシンゴさんが、いしいさんと初めて共同主催で開いたのだ。

 

かねてからの別件をキャンセルして、私はこのお祭りイベントに、当日チケットで参加した。

つまり、若い人達の集まるイベントにオジサンが混ぜてもらった。

 


 

 

この日に三崎に来たのは、本当は別の目的もあった。

来春から始める予定の外国人を三崎に招く個人的インバンド企画。

「三崎の朝市見学と、三崎銀座散策、城ケ島散策のために古民家宿泊の二日間」の打ち合わせがあった。

宿としての古民家の宿泊条件の打ち合わせ。食事の「店」のメニューと金額の打ち合わせだった。
 

 


 

 

三崎の仲間の「とおるさん」と「中川さん」と細かい打ち合わせを行った。

この打ち合わせの中で、週末開催に加えて二人から平日開催のアイデアが飛び出した。

 


そこで早朝の食堂の取材も必要になった。

「三崎魚市場食堂」にも寄って食事体験となった。
 


 

 

ランチに比べて早朝6時から始めるメニューは、1000円以下の安価なので安心した。

 


 

 

全ての取材と打ち合わせが終わり、午後からのお祭りイベントに参加した。

想定外の小雨のためのイベントが室内に移動した「出張ニジノ音楽祭」が始まっている。



 

次は酒宿山田の大広間で「小さなブックフェア〜贈り物にしたい本〜」を覗いた。
ここも無料会場だ。


 

なんと3年前に学芸大学で開催したサンパウロの友人の「ドキュメント映像イベント」で、

意気投合した鎌倉人の出版社「港の人」Uさんがいたのだ。
隣に座っていた新潮社の編集長Yさんは、15年前から週末移住のメンバーだった。
だから、ここに座っているのだ。



そのあとイベント会場の「三崎館本店」の大広間に移った。
主催者のミネシンゴさんの司会で本日の後半のイベントが始まった。


 

「湯浅学の音楽ライブ」が30分間。



いしいしんじさんだ。


 

「その場小説」は(いしいさん)が壇上で声を上げながらアドリブで30分の小説を書く。

タイトルは「のじ」。三崎仲間の野地さんのことを書いた。
大きなB3の紙に鉛筆で書き始めた。
全部で5枚の小説を書いて、あとでコピーで1枚を、会場のみなさんがお土産で戴いた。

 

私が戴いた原稿の3枚目の冒頭は、

「……次に電話のあったのはその翌年でした。「いしいさ〜ん」心なしか元気のない声でのじくんはいった。
英霊が、ぼくに「のんちゃん、またイオージマ」と聞きました。……



 

最後のイベントは「三崎談話(トークイベント)」





 

いしいしんじ×矢野優×石田千×戌井昭人×湯浅学。コンサートの出演者の、
飛び入りもあり楽しいトークがにぎやかに飛び交った。

 

最後は「三崎港 蔵」で、いつものように一杯飲んで帰途につくことにした。
料理人の福本さんや中川さんが待っているからだ。


 

カウンターの隣りの方から(極上のからすみ)を「この季節、とてもおいしんですよ」とすすめられた。
遠慮したが、何回もすすめられたので一口戴いた。


 

「旬の魚の焼き魚」を、せっかくだからと中川さんからサービスで戴く。
魚と大根の煮物が突出しだった。



 

カツオの塩辛と、ウツボのから揚げ。さっぱりした味にこりこり感が素晴らしかった・


 

陶芸家の澤田痴陶人の絵付けをした徳利に杯で熱燗を楽しんだ。 
 

イベント責任者で多忙のミネシンゴさんとは、ゆっくり話せなかった。
想定済みだったので、年が明けたらまた三崎に来ようと思う。


ということで、今回も「三崎から、こんにちは」になってしまった。
本年も毎回ブログにおいでになった方々へ。
平成最後の年の暮になりました、みなさま、良いお年をお迎えください。

来年も「鎌倉から、こんにちは」でお会いしましょう。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 21:10 | comments(0) | - | - | - |
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