鎌倉から、こんにちは

「鎌倉発、韓国ソウルまで。」
徒歩の旅を終えて、あらたなスタート!
鎌倉から日常のあれこれをお伝えしていきます。
2020が始まった。あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

 

 

今年の日の出は拝めませんでした。

 

 

いつもはこうなるのですが。

 

 

小動神社まで来たら、なんと光の光線が現れた。

 

 

新しい初日の出だ。

2020が始まったのだ

 

 

逆境の資本主義=さびつく成長の公式

「競争・革新 新たな挑戦」

・働く車上生活者

・デジタル化の波

・幾度も危機経験

『日経新聞』の一面記事

 

日本は五輪で再生する

(1)なぜ二日本人は聖火を求めるのか

「つなぐ」と「集める」。

2020東京五輪・パラリンピックの聖火リレーのテーマである。

1964(昭和39)年東京オリンピックが示したように、

聖火には人々の心を一つに集め、

消えることのない記憶を次代につなぐ力がある。

724日の夜、新たな国立競技場のそんな火を灯したい。

『産経新聞』の一面記事。

 

問題提起と希望。

他の新聞は一面記事になんと記すのだろうか。

 

今年も「好奇高齢者」は、動きます。

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 09:13 | comments(0) | - | - | - |
紙の本読んでますか? 月にゼロ冊が約50%。電子書籍は倍増とか。

 

珍しいことにブログ掲載が2週間空いて、アクセスがガタンと落ちました。

平成から令和に変わり、2019年がいよいよ、終わりに近づいてきました。

今年、いろいろとあった事柄を改めて少し書きます。

 

【後期高齢者】

おかげさまで、ここまで元気に過ごして参りました。

 

 

天上天下、唯我独尊の写真から75年。気がついたら、そんな歳になりました。

 

 

65歳で前期高齢者は「元気高齢者」と言い換えて爐△検▲汽弌回遊魚瓩箸靴童亀い砲△舛海然萋阿靴討い泙靴拭

 

 

後期高齢者は「高貴」でも「光輝」でも気恥ずかしくて、好奇心溢れた「好奇高齢者」で行こうと。

ある先輩から「耕己」であれとアドバイスされました。

まだまだ『己を耕せ』という内容です。まだまだ未熟だぞ!と納得。

 

【朝晴れエッセイ】

 

 

産経新聞に600字のエッセイのコーナーがあります。ある日私のエッセイが掲載されました。

タイトルは「98歳の母」。

(このブログをご覧になっている方は、ご存じですね)。

知人である唯一の女性の元論説委員長だった方から「これは月間賞」ものですねと、お褒めのメールが来ました。

 

 

案の定、その月の準月間賞に選ばれました。

産経新聞は発行部数が約150万部。それでも読者が名前を頼りにネット検索したのでしょう。

マイブログ「鎌倉から、こんにちは」は、掲載後2日間でアクセス数が2万を超えました。

個人的には、虚を突かれる出来事でした。

 

 

通常は一日100から200アクセス。平均で150以上のアクセス数のブログがですよ。

おかげで好奇高齢者の実際の年齢が世間にバレ?ました。

仕事場の若者が「新聞読みましたが、間違えがありますよね」と、笑い話にもなりません。

日頃は若い人と一緒なので、気持ちも若々しく振舞っているので、(**)という年齢が間違えですよね。

かわいい後輩社員です(お世辞でなければ)。ほんとうにいい奴です。

 

【紙の本を読まない時代に、本を出します】

国立青少年教育振興会は、全国の20歳〜60代の男女5000人に読書習慣について調査しました。

1ヶ月に紙の本を読まないという人は49.8%、平成25年(6年前)の同様の調査では28.1%で、

この間に大幅に増加したわけです。

まったく読まないとした人が特に増えたのは20代で、倍増したようだ。

電子書籍の割合は、特に20代をはじめ急増しているという。

デジタル化時代の影響でしょう。

 

そんな中、準月間賞の発表が新聞に出た日の夜、ある出版社から出版の決定連絡が来ました。

まず、その場で電子書籍は出版が決定したとの連絡。

嬉しさの二乗。うれしさのあまり、ウィスキーのストレートを、一気に数杯あおりました。

その後、いろいろと編集部と会議を重ねて、3週間後に書籍の出版が決まりました。

11月上旬です。

つまり本業である「広告の仕事に関する」紙の本が出るのです。

私たちの世代は、「読むのは、やはり紙の本。紙の手触りや紙の香りが……」とかこだわります。

 

 

現代の本好きは、ヤングもシニアも、タブレットで電子書籍を読む人が増えてきました。

私のブログでも電子書籍は、クリックして買えることになっています。

しかし電子書籍では、「恵存」として差し上げるわけにもいかない。

講演会で「今日の話で話していない、もっと面白いことが、この本に出ています」と

受付で山積みの本を売ることもできない。

友人たちに、本の手売りもできません。

 

 

12月は編集長と数回会って、書き下ろしの内容の校閲作業を続けました。

表紙デザインは、Team MAMIYAで担当することになりました。

結果的に私の広告人として生涯一番鮮烈な思い出に残る仕事になった、

カンビールの仕事のシンボルのペンギンのキャラクターが表紙を飾ります。

 

 

イラストを描いた爐劼海佑里蠅瓩気鵑、友情出演という使用料免除で、

新しくキャラクターを描きなおしてプレゼントしてくれた。

 

表紙のデザイン、タイトルの長さ、明快さを検討する必要が出て、都内や地元の大型店の「棚」を視察した。

特にマーケティング、広告の「棚」を。

情報は現場にありで、こんな目的で書店に行ったことがありません。

 

 

平台に置かれるのは大評判の書籍か新刊のみ、後は「棚」の中で背表紙で戦うしかない。

狷睛討領匹靴△鍬瓩髻△匹Π貊屬僚屬の中でアピールするかですね。

意識的に表現を考えるという広告の仕事に、どんどん近づいてきたようです。

 

出版社が正月休みの間にゆっくりと最後の推敲を進めよう。

タイトル、出版社、帯の内容、価格、本のサイズ。すべて決まっています。

新年になりましたらすべてオープンにしたいと思います。

 

みなさま。良いお年をお迎えください。

また、来年、このブログでお会いしましょう

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 16:45 | comments(0) | - | - | - |
史上初。7回完封。最後の神宮球場で75歳のエースの活躍に目を見張った。

 

11月25日、神宮球場で六球会(6大学野球OB戦)の試合観戦に行った。

都立豊多摩高校野球部の同期の左腕で好打者・吉田正敏君は51年前に伝統的な、慶応義塾大学野球部に入部した。

 

入部当初は外野手で登録されたが、リーグ戦前に早稲田の左腕投手・江尻を想定して、バッティング投手を命ぜられた。

それを見た当時の前田祐吉監督が、吉田の外野から投手へのコンバートを思いついた。

それ以来、KEIOのユニフォームでの本来の投手生活が始まった。

 

 

我々豊多摩高校野球部1年生の夏の大会は、なんと東京都大会の開会式(当時は約150校)の直後、

1試合目は都立江戸川高校との1回戦。

私は偶然ポジションの空いていたサードで1年からレギュラーになった。

吉田は途中で代打に立った。

59年前の神宮球場での二人の共通のシーンだった。

 

その後、吉田は野球部員として何度も神宮を経験した。

しかし、六大学リーグ戦でのマウンドでの姿は見られなかった。

 

 

六大学OB戦は65歳以上の選手が神宮球場で、軟式ボールで1日3試合の対抗戦を行う。

5年間で各チーム同士の対戦が一巡する。

 

 

11月25日は10時試合開始の早慶戦(慶早戦)だ。

吉田は先発投手としてマウンドに登る。マウンドはいつもよりホームまで少し短い。

前回は2回で後続にマウンドを譲った。

 

 

カメラを持参でガラガラのネット裏に数人の仲間と観戦した。

試合は緊迫した投手戦で、2回裏に味方の打者(門間君)が右中間フェンスに達するランニングホームランで先制点。

 

 

続く3回裏に同年代の名外野手の島村聖君がレフト線2塁打で出塁し3塁へ進塁。

吉田のライナー性のセカンドゴロを野手がファーストへ投げる間に快足を生かして、

島村のホームインで2点目。

 

 

試合は吉田の被安打3の散発、完封で守り切り、慶応が早稲田を倒し勝利した。

吉田の完封には、昨年から捕手を務めたプロで、元大洋ホエールズの名セカンドの山下大輔の吉田の(投げ急ぎ)との助言で、

4回から4イニイングを無安打に抑え、立ち直らせた。

 

 

後に横浜ベイスターズのコーチ、監督を務めた山下の経験が、吉田への名助言に繋がった。

 

試合後の懇親会で、慶応のMVPは吉田が選ばれたと聞いた。

 

 

オリンピックで取り壊しになる神宮球場で、59年ぶりの快挙を観戦できた。

自分のわずかな野球人生に比べて、最後の神宮での史上初といえる活躍。

 

 

75歳の大エースの姿を見て、自分もまだまだこれからだと思いなおした。

 

 

今年の現役チームは西東京大会でベスト8に進出、神宮球場に大勢の観客を前に善戦した。

これも、我々豊多摩高校野球部と神宮球場の思い出の一コマである。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 17:32 | comments(0) | - | - | - |
最近、地元の生活で、心がけている数々のエピソードです。

 

若いころの坂の登り方は見よう、見まねで、誰でもが少しでも上を目指して坂を登っていくことが出来た。

しかし、この年代になり一度登った坂の下り方は、だれも教えてくれない。

人それぞれの下り方を見つけないといけないのだ。

坂を下りながら、日常の広告人生活で経験した毎日を思い出し、駆け上がっていた頃の数々のエピソードの記憶を蘇らせながら、坂を下ってくるのも捨てたものではない。

執筆中の作品のあとがきだ。

 

最近、この著作の出版が決まり、編集部とのやり取りの毎日を過ごしている。

三年近く右往左往して書き下ろしてきた作品なので、ほぼまるごと内容は採用されている。

現在は(て、に、を、は、誤字、脱字)の類の修正中だ。

後はノンフィクションなので実名の方に、内容の再確認をしている。

その反応が楽しく勇気づけられて、新たに加筆したりしている。

あっという間に時間が過ぎていく。これも楽しい。

 

 

夏の間は、起き抜けの朝のウォーキングで、午前中から書斎か、

 

 

近所のファミレスにパソコン持参で文章作成を心掛けた。

そして夕方からは、近所の銭湯でサウナを楽しむ。帰宅して飲むビールがうまい。

 

 

最近はだんだん陽が短くなってきたので、朝のウォーキングを夕方のウォーキングに変えた。

海辺を歩くと、秋のつるべ落としのように、西の空が真っ赤に染まり、雲が芸をしている。

 

 

一日中机に向かっていたので、夕方ウォーキング。

海に出ると、大きなワニが口を大きく開けて何かを狙っている。

サーファーのみなさん!気を付けて!

 

フェイスブックで、たわいの無いヒトコトをアップした。100に近い(いいね)を戴いた。

 

 

この半年間、朝食はキャベツの千切り、さいの目にしたタマネギを炒めて、目玉焼きを乗せ、

マヨネーズ少々に、軽くソースをかけた糖質制限食を続けている。

 

 

昼は普通にサンドウィッチやラーメンで適当に糖質を取っている。

 

 

夜は適量の酒(ビール、ウィスキー)に肉、魚、野菜で納める。

このところ、お米を食べる機会は、外食以外は家での機会は極めて少ない。

 

これで体重が3キロ弱減った。念願の減量ができたのだ。

なんといってもヘモグロビンAICが7を切って6.5も切り始めた。

こんな素人療法が血糖値に良い効果をもたらしたのだ。

「その辺で止めておいて、低血糖も困るので」と医者に言われた。

 

余談になるが、毎年1123日、全国の神社において新嘗祭が行われる。

天照大御神はじめすべての神様に新穀をお供えして、

神様の恵みによって新穀を得たことを感謝するお祭りだ。

新嘗祭のうち新天皇が即位して最初のものを大嘗祭という。

 

神道の我が家では、大津米の新米を用意してあったので、我が家流の新嘗祭を行った。

ひさしぶりの米、それも新米。あたらしい木曽杉の木の箸を添えて。

 

 

佃島で求めた昆布とワカサギの佃煮、錦松梅を添えての新米は、あまみを抑えたおいしさだった。

久しぶりに米のうまみを感じた。

なにも足さない。なにも引かない。そのものの味を楽しんだ。

 

東京の仕事場に出かける回数も激減したので、鎌倉の秋を楽しんでいる。 

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 17:44 | comments(0) | - | - | - |
KOBSハイキングは混成チームで豊洲新市場見学から佃島、月島と秋の一日散策。

 

恒例の大学のクラブ仲間との秋のハイキング企画。

今回は1年後輩の豊洲市場内の「センリ軒」3代目店主の川島進一君のお世話になった。

 

 

 

「センリ軒」は大正3年創業の築地市場の老舗の市場では有名な喫茶店だ。

お寿司屋が多い中で唯一のコーヒー、サンドウィッチ、シチューが戴ける店で、

マスコミにもよく取材されている人気店だ。

最近は豊洲移転に伴い豊洲にも築地より少し大きめの店を出したのだ。

 

彼は毎朝3時に息子(4代目店主)と豊洲店に入り、早朝4時には開店、昼過ぎまで営業している。

早朝は市場関係者が主なお客だが、豊洲店は観光客で行列になる。

 

川島君が都の職員による市場案内係を準備してくれた。いいハイキング企画になりそうだ。

 

ところが多くの元気な常連参加者が、最近の連続大雨で行事が延期されて、

このハイキング企画に参加できなくなった。

朝になって4名が体調不良で急遽欠席となった。20名参加が15人近くに減ってしまった。

いつもの元気なハイキング仲間を誘っておいてよかった。

 

 

市場は朝が早いので、新交通ゆりかもめ「市場前」駅改札に10時集合。

「センリ軒」の川島君に挨拶して市場内見学だ。

 

 

 

都のスタッフが水産卸市場を観光客が入れない場所の見学を含めて、水産卸売り場棟をくまなく案内、屋上緑化広場まで2時間近く案内していただいた。

 

 

 

その後、環状2号線から豊洲大橋をわたり、晴海運河、朝潮運河を眺めながら歩く。

 

 

トリトンスクエアにある「さくらの散歩道」のガーデンで軽いランチ&おしゃべりタイム。

大学のクラブと地元仲間との交流タイムになった。

雲を突くような高層マンションの真ん中に、緑とテーブルとベンチは、ほっと息をつける空間だ。不思議な情景が続くのだ。

ランチの後は朝潮運河の佃水門を過ぎ相生橋を渡ると、すぐに古い町並みの佃3丁目に到着する。

佃島だ。

 

 

石川島重工が移転した後に大川端リバーシティーとして再開発され、立ち並ぶ木立を抜けると佃公園、住吉神社、灯台、渡し舟の桟橋跡がある。

ごく狭いエリアにひときわ過密な人と人の暮らしぶりが見え隠れする。

 

 

 

その中にわずか3軒だが老舗の佃煮屋が残っている。

私は食品添加物の含まれていないことを確認して、お土産に佃煮を100gの3点を購入した。

どっしりとした結構なお土産になった。

 

 

この地域は、ほんとうに高層マンションと古い町並みが交差する都会の不思議な空間だ。

 

 

近くの月島のもんじゃ通りの一角に、会社時代の後輩の家族の店がある。

現役時代によく宴会などでお世話になった「もんじゃ勝どき」。

ここを貸し切り、打ち上げをさせて頂いた。

今日の参加者は、シニア(半分以上が後期高齢者)にも関わらずよく飲む。

飲み放題にして助かった。

 

 

 

ここで解散したが、私も含めて数名は夜の新橋の地下街バーでハイボールとワインで1時間の延長戦。

 

 

今週は前号にアップしたように原村500km往復旅行、孫の七五三で回転ずし60皿食事会。お皿の数は息子たちとのお酒も含まれる。

そして前日の学園の創立86年記念パーティーに評議員として来賓で招かれ、たらふく飲ませて頂いた。

 

今朝の出がけに家人の見送りの声は、

「あなたはスケジュール入れすぎ。少し年齢を考えて行動すれば。転ばないように。良い一日を」

ありがたい一言だった。

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 13:10 | comments(0) | - | - | - |
秋になると運動会で忙しい。忙しいけれど楽しい。晴れたらいいな。

 

 

幼稚園の(年中)さんと(小学校3年生)になった孫がいる。

二人とも家の中ではゲーム好きのやんちゃな男の子だ。

 

 

上の孫にある時、

「おじいちゃんの腰越の家はオセロやレゴがあって楽しいけど、料理は大人系だからな」

と、言われたことがあった。ドキッ!

以来家人は、大人系料理に加えて鶏のから揚げ、ポテトフライ、私は薬味なしの肉だけの餃子づくりを試みたりした。

最近は冷静な少年になり、当たり前に(べったり感)はなくなった。一人の少年へと歩み始めた。下手なことは言えない。気を遣う。

下の子は、顔を合わせると「おじいちゃん」と、まだなついてくる。

道を歩いていても、「クルマだ」というと、しっかりと手をつないでくる。かわいい盛りだ。

二人の孫は、当たり前だが、とても仲がいい。

私には男兄弟がいなかったので、うらやましい思いで眺めている。

 

 

自分の二人の息子の運動会に言った思い出が、あまりない。入学式、卒業式の参加した思いも少ない。

「当り前じゃない、仕事最優先だったからね」家人の一言だ。

時代が違うとはいえ「運動会なので、会社休みます」とは自分でも言わなかったし、部下に申告されても、いい顔はしなかった。

 

 

爺婆になって、必ず時間を作って運動会や文化祭には参加している。

孫の運動会では男親の多いことに驚く。保護者全員がスマホをもって、わが子を撮影している。

下の子は上の子と同じ曲で「お遊戯」をしている。「かけっこ」「つなひき」「ゆうぎ」「たまいれ」とプログラムを送ってくれるので注目する時間が、よくわかる。

玉入れはどこに居るかわからないが、たぶんこっちだなと思い大きな声で応援している。

幼稚園の園庭は小さいので、孫がどこにいるか、よく見える。

 

 

 

小学校の場合は、そうはいかない。1年生から6年生まで大きなグラウンドでの競技だ。

なかなか、孫がどこにいるかはわかりにくい。

 

 

上の孫の出番は「ダンス(Hero)」「障害物走」(競)の字がない。個人だからだ。

「綱引き」「団体競技」(ここには「競」が付いている。団体だからだ。

その都度、観客席を離れてグラウンドに近いところで写真が撮れそうな場所移動する。

全員同じ運動着に赤白の帽子。見分けがつかない。唯一運動靴の色を追いかけることになる。

やっと撮れたカットを紹介する。

 

 

幼稚園の運動会は午前中で終わるので、一緒に近くのお好みの食堂へ行きランチを済ませる。

 

 

小学校の運動会は午後まで続くので校庭の隅に手作りのお弁当を広げて輪になって食べるのだ。

とにかく良い天気に恵まれて、幸せ感のあふれた運動会が終わるのだ。

とにかく帰りのバスでは居眠りするほど、心地よい疲労感を覚えて帰宅することになる。

 

 

近々、下の子の七五三を迎える。

お兄ちゃんの紋付き袴のサイズ合わせをしている。

鶴岡八幡宮での行事に、今から楽しみな爺さんなのだ。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 22:38 | comments(0) | - | - | - |
日吉で50年記念イベント、新宿で10年記念イベント。すべて積み重ねの結果ですね。

 

 

10月20日の日曜日は、朝から日吉キャンパスに向かった。

母校の「連合三田会」が行われるのだ。

卒業生(三田会会員)15000人以上が午前午後に集まってくるイベントだ。

クルマや海外旅行の豪華賞品が当たり、有名タレントの公演や有名選手のトークショーもある。

 

 

そこで行われる記念式典に卒業50年の我々は「塾」から招かれた。

 

 

受付でご招待がわかる名札カードや特製クォーツ時計などの記念品を戴いた。

会場の日吉会堂は卒業50年(110三田会)以外にもたくさんの三田会会員で満席状態だ。

開会宣言に続き、塾旗登壇、掲揚、「慶応讃歌」「塾歌」斉唱。

 

 

スクリーンには今回のスローガンである伝統と革新をテーマに

「Legacy&Future」=共に讃えん社中の絆=

 

 

福沢諭吉先生の大きな肖像画を背景に長谷山塾長の挨拶だ。

ラグビーW杯やオリンピックを例に挙げて数々の卒業生のスポーツ界での活躍を讃えて、

最近オックスフォード大学を訪問した時のエピソードとして。

「私たちの大学は良い学生と良い先生で成り立っている」との学長の言葉に対して、

「私たちの塾は良い学生と良い先生、それに良い卒業生に恵まれている」と返したという。

 

 

この後「若き血」「丘の上」斉唱で30分の式典は終了した。

「丘の上」は早慶戦(慶早戦)に勝った時にだけ歌い、「塾歌」は酒を飲んだら歌わない。

厳しいルールだ。

各三田会では乾杯の前にしか歌わないというエピソードもあるくらいだ。

 

 

続いて日吉キャンパスの中央にある大学食堂棟で学部別の懇親会が用意されている。。

ここで多くの友人たちと出会うことになる。

50年ぶりに会う仲間もいる。

 

 

 商学部M組、

 

片岡ゼミ(マーケティング)、放送研究会の仲間たちだ。

 

 

この会場でも塾長などの祝辞があり、応援指導部の指揮のもと「塾歌」「慶応讃歌」「若き血」を、

ワグネル・ソサエティー男性合唱団のリードで歌った。

今日はお酒を飲んでの「塾歌」も特別に(あり)だった。

懇親会の後は放送研究会の仲間と軽くいっぱい飲んで解散した。

 

この後は、新宿に移動だ。

豊多摩高校野球部OB会の創立10周年を祝う会が待っている。

「クルーズクルーズ」というコンテンポラリ―ダイニングで、個室パーティー、マイク、映像やベランダもついている店を予約してある。

ご招待の歴代の監督4名を含めて、卒業3期から一番若い70期までの仲間約80人が集まった。

70年の歴史の中で我々の15期は、ほとんど上から数えて7番目だ。

 

 

会場には歴代のユニフォームなどが展示してある。

一番古いユニフォームで15期はグランドで吠えていたのだ。

 

 

驚いたことに開会の辞の後にすぐ集合記念写真。お帰りまでにプリントで受け取れるサービスだという。

 

 

五代目会長の谷中さんの開会挨拶、祝辞、乾杯に続いて、一番上の池田初代会長(3期)のお祝い演目「かっぽれ」が始まった。

机上のプランでは(どうかな)と思ったが、おめでたいイベントの開幕にぴったりだった。

中でも各年代が登壇して自分の時代と野球部をテーマに、簡単な挨拶が大いに楽しく受けた。

 

 打者は吉田、次打者が私。神宮球場だ。

 

中学でどこ守っていた?との先輩の声に「サードです」に

「ちょうどよかった、サードは空いている」ということで1年生からレギュラーになれたとコメントした。

たった18名のチーム。都立受験校の野球部では不思議な話ではない。

高校3年でキャプテンになり、当たり前のように大学入試の準備は遅れた。

当然のように浪人。人より多い2浪だ。

今は60人ほどの部員になっている。かなりすごいチームになっている。

 

 

夏の大会の西東京でベスト8になった監督の挨拶の裏話が興味あった。

淡々とコメントする姿に好感を持てた。

平岩先生(監督)、ありがとう。

増島先生(助監督)、ありがとう。

 

 

 

ちなみに、この10周年イベントのスローガンは、昨年、広報担当理事の私の急ごしらえのアイデア。

「今も夢追う豊多摩球児 笑顔で迎える10周年」

スローガン通りに豊多摩野球部史上初のベスト8になった。

 

 

 

そして若いメンバーが、たくさん参加してくれた。

 

 

〆の言葉は前会長で今でも6大学OB戦で、神宮球場で投げている吉田前会長の閉会挨拶だった。

 

 

最後はいつものように慶応応援指導部で鍛えた15期の鬼頭君のエールで終わった。

楽しい3時間のイベントは和やかなうちにあっという間に終了した。

 

朝11時半から、1時間の異動を挟んで18時半まで、よく飲んだ。。

午前も午後も節目の記念イベントで楽しく、満喫した一日に感謝です。

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 16:22 | comments(0) | - | - | - |
1年ぶりの一泊ゴルフ。軽井沢は紅葉だった。でも、すぐにも台風がやってくるぞ。

 

 

大学のクラブ仲間の同期I君の軽井沢の家に泊まって2日間のゴルフ企画。

今年もプレー費がシニアにやさしい料金になってからの計画だ。

いつも10月中旬に開催される。小田原、新宿、鎌倉から同期の友が集まってくる。

朝9時ごろに軽井沢駅集合であれば、東京から新幹線で1時間。

そんなに苦労する時間帯ではないが、何か交通に問題があって迷惑をかけたくない。

今年は前日の予定に余裕があり、前泊を希望した。

信濃追分駅に19時半過ぎに到着の予定で出かけた。

 

 

新幹線での食事は「ハレ」と「ケ」でいえばコンビニ弁当ではどうもね……。

東京駅の雑踏の中であわてて駅弁を選ぶのならば、地元の好みの弁当がいい。

18時4分の(はくたか573号)の自由席。

さっそくお弁当とアルコール、読書用の本を並べる。

久しぶりの新幹線だ。

あっという間に到着。地元の信濃追分駅は懐かしい。

会社のHクラブという保養所で研修所がある懐かしい駅だ。

家族で宿泊したこともあり、研修では受講生として、講師として何度も来た。

一晩目はI君ご夫妻とお酒を飲みならおしゃべりタイム。

 

 

第1日は「中軽井沢クラブ」。10時半のスタートだ。

私はいろいろな事情が重なって1年ぶりのゴルフになる。

不安いっぱいの第1打。ドライバーはまっすぐ飛んだ。

「ナイスショット!」

「やだねぇ〜、飛んでねぇ〜!!」と私。

1年ぶりは、嘘だろ!」仲間の第一声だ。

その後もナイスショットだけは、ずいぶんと続いた。

しかしゴルフは、やっていないとアプローチやパターでボロが出る。

仕方ない。と自分も納得する。

 

 

浅間山も見事な姿を見せている。

 

第1日は無事にドングリの背比べ状況で、和やかに終了した。

さて酒宴の前にスマホの天気予報を見ると、先ほどまで翌日は終日小雨の予報が、夕方まで曇りに変わった。

「普段の行いがいいと、やっぱり違うね」と喜ぶことになるが、さて、どうしよう。

早朝に目が覚めた仲間たちに、

「18ホール無事にラウンドする目標を、無事に帰宅するをゴール目標にしよう」と提案。

 

 

結果は仲間も了解して、ハーフで終了。風呂と食事を済ませて早々に帰途につく。

 

しかし、せっかくだから「地元で棚から消えたカセットボンベがあれば買いたい!」と。

クルマで近くのホームセンターへ行くと、既に棚から消えて完全に売り切れ。

 

 

逆に「養生用テープ」が、まだ山ほどあり、使い方をテレビで見ていたので3本ゲットした。

目の前の大型スーパーへ移動すると、非常用食品を求める客でいっぱいだ。

頭は危機管理での食品選びに違いない。

売り場の隅で「イワタニのカセットボンベ」が2段の棚に並んでいる。

意表を突かれた思いで3本セットを購入した。

 

50分待って東京行の新幹線(自由席)に一番前に並んで友人と並んで座れた。

東京行は想像通り、すぐに満席立ち席になった。

 

ゴルフ用の雨合羽を取り出して用意していたが、地元の駅から家まで土砂降りの雨が、10分間の霧雨になっていた、ラッキー。夕方6時には無事帰宅できた。

 

 

家では家人が既にガラス窓に養生用テープを貼り込んでいて、私のやることがほとんどない。

 

 

ガスボンベも常備されていた。

また、借りができたなと自戒した。

 

しかし、全員が70歳を超えた仲間が、終日馬鹿を言いあい楽しくプレーをできる幸せをかみしめている。

健康に感謝だ。

 

今日は朝からテレビのニュースを流したままにしている。

 

 

どうも我が家を含む東海、湘南方面に台風がやってくる。

とにかく、被害が最小であってほしいと祈るばかりだ。

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 15:06 | comments(0) | - | - | - |
横浜の空は久しぶりに青い空だった。桑ちゃんのヨットに元気な仲間が集まった。

 

 

短かった夏もそろそろ終わりに近いある日、恒例の桑ちゃんの「バターボール号」に仲間が集合した。

元勤務先の同僚の桑ちゃん(桑原明さん)の親しい仲間が、涼風に吹かれてしのぎやすい一日、横浜のヨットハーバーに集まった。

恒例のクルージングとBBQパーティーだ。

 

以前は元勤務先の少人数で始めた船上パーティーだったようだが、

いまではクリエーター仲間にマーケティング仲間、さらにプロモーション仲間が集まる。

その中で営業出身者は、なんと私だけなのだ。

 

メンバーのメッセンジャーに1ケ月前から集合連絡が来て、

徐々に常連の参加連絡が増えた。

ところが、ラグビーW杯テストマッチの関係、親の介護、大学の会議、突然の体調不良と数名の不参加表明があり、昨年より少ない10名となった。

私も既に赤坂で元勤務先とのランチ会食が決まっていて、2時間以上遅れての参加になった。

こうして船上でにぎやかに集まるのは、もう何年続いているのだろうか。

 

この日も午後から日本晴れになった。

 

 

全長25フィートのバターボール号を桟橋に接岸し、パーティー用のデッキ(ウキ桟橋)が準備された。

BBQ用のテーブルやチェアがセッティングされ、持ち寄りの得意料理が並んだ。

 

 

2時間遅れた私にも、ちゃんとアラスカで釣ってきたキングサーモンのステーキも残しておいてくれた。

飲み始めたら、全員の最近のトピックスのショートスピーチが始まり話題は尽きない。

とにかくおしゃべりの得意なメンバーだ。しゃべり出したら止まらない。

 

今回は常連の睦美さんのオフィスのバイトちゃんの睦さんが参加。

 

 

素敵なダブル(むつみ)さんに人気が集中した。社長の睦美さんは、今日はおとなしい様子。

 

 

一番若いバイトちゃんの底抜けに明るい笑顔に、おじさんたちはニコニコとアプローチ。

あっという間にビールが無くなり、ワインも何本も空いていく。時間が経つのも忘れる。

キングサーモン、チキン、野菜のマリネとレストラン並みです。

 

 

日が暮れる前に、少しヨットを外海にクルージングだ。2回に分けて船出した。

 

 

先に帰る仲間を優先して、最後まで飲むつもりの私は2回目のクルーズに参加。

バイトちゃんも一緒に。

 

 

オーナーの桑ちゃん。

 

 

 

夕方になり、三々五々と仲間が帰っていく。帰る前にみんなで記念写真だ。

 

 

飲む人間は、まだ飲んでおしゃべりをしている。

最後まで残るのはなぜか毎年同じような仲間だ。

既に開始から7,8時間たっている。

後ろ髪を引かれるようにヨットハーバーを去る。

 

 

今夜も飲みすぎによるトラブルもなく、無事解散になった。

 

 

とにかく、後期高齢者、もとい「好奇(心)高齢者」が数名参加している。

とにかく底抜けに元気な仲間だ。

そうだ私も、数日前までは前期高齢者、もとい「元気高齢者」だったのだ。

なのに何も変わらない毎日だ。

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 19:25 | comments(0) | - | - | - |
600字エッセイが産経新聞の第1面「朝晴れエッセー」で掲載が決まりました。

 

私の母は佐渡で生まれた6人兄姉だ。

 

母方の先祖は「佐渡の金奉行」に関わっていたという。

その後、代々裁判所の仕事に関わり、母の父親の精一は相川の街で登記事務所の仕事をしていたという。

母の母方の仕事は両津で廻船問屋を営んでいた。

 

 

六人の兄姉の長男は賢一郎、長女は八重、次男は二朗と、ここまでは普通だ。

ここからは父の精一は、何を考えたのか、三男は三四吾(みよご)、次女はなんと六七代(むなよ)と続く。

末っ子の母は残った九と十で九十代(ことよ)となった。

 

 

昔ならばNHKの「私の秘密」に出演できそうな逸話だ。

母は子供のころから十代でも二十代でも名前は九十代だったのだ。

多分回りの友人から、からかわれたりして困ったに違いない。

 

母の小さな頃の写真は長男の賢一郎さんの家が水害に合い、

すべて流されてしまったので手元にはない

 

 

両親が若い頃は、いつも家族で小旅行をしていた。

 

 

大きくなって自分の布の貼り絵の作品は(琴代)や(古都世)にし、

後年は自分の作品の篆刻は小さな赤い布に白抜きで(九)という一文字を抜き文字にしていた。

 

 

8年前の自分の90歳の誕生会に集まった子供達、孫達十数名の家族たちに向かって挨拶をした。

「ようよう九十代という名前の通りの九十歳になりました。これからも元気に生きていきます。

よろしくお願いします」と。

その後、九十八歳の誕生日の時の挨拶が、

「皆様のおかげで元気にこの歳を迎えました。もしも私が百歳になったら、名前を変えようと思います。百代(ももよ)に。かわいいでしょう」

と子供達や孫達を驚かせた。百代とは、今にしては実現性が高い話だ。

 

 

最近、私が「百代の後は一年ごとに名前を変えるの」と尋ねると、

「ずっと百代でいいの。次はあの世(あのよ)なんだから」

 

 

最近は車椅子の生活になったが、母の「次はあの世」の言葉に。その洒落っ気に驚いた。

 

ほぼ同じような内容のエッセーが近々の産経新聞の第1面「朝晴れエッセー」に掲載が決まった。

600字にまとめたエッセーになっている。

ぜひ、ご覧ください。

 

 

そういう私は最近、「後期高齢者」になった。

 

ちょうど11年前の64歳を迎える年の4月に後期高齢者制度が制定された。

それまでの「老人保健制度」が廃止されて、代わりに後期高齢者医療制度が始まった。

 

これは75歳以上の人が加入する医療制度で、75歳の誕生日を迎えると、

それまで加入していた国民健康保険や健康保険などから後期高齢者医療制度に移るのだ。

特別な手続きをする必要はなく、誕生日と同時に自動的に

国保から脱退&後期高齢者医療制度に加入となるという。

 

当時私は、当たり前のように前期高齢者に区分され、七五歳までの間は当時加入していた

勤務先の保険を特例退職者として継続して従来どおり受けることになった。

 

 

 

しかし前期高齢者という国の定めには、どうも気持ちがしっくりしない。

広告業界の仕事も、地元の韓国某市との姉妹都市提携活動も、

八ヶ岳農場の農場音楽祭などの活性化活動と、

現役気分で元気な気持ちで続けていきたいと考えていた。

 

 

だから前期ではなくて「元気高齢者」と名乗った。

 

そして今、同じ思いで私は後期高齢者ではなく、気持ちは「高貴高齢者」とか「光輝高齢者」を目指したい。

 

 

しかし、むしろまだまだ若い好奇心を保ちながら生きていく「好奇高齢者」を目指しても良い。

 

 

国の区分は一体どういう基準で決めたのだろうか不思議だ。

父を36年前に67歳で見送ったが、母はホームで車椅子生活だが98歳で気持ちはとても元気だ。

 

ところが、誕生日の翌日に54年来の学生時代の友人が病と闘い、ついに鬼籍に入ってしまった

友人たちと共に、お通夜と告別式に参列しお見送りをした。

さすがに、我が人生の行く先を考える機会になった。

 

しばらくは7歳若い家人にも迷惑を与えるかもしれないが、彼女は私以上に元気高齢者なのだ。

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 14:35 | comments(0) | - | - | - |
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