鎌倉から、こんにちは

「鎌倉発、韓国ソウルまで。」
徒歩の旅を終えて、あらたなスタート!
鎌倉から日常のあれこれをお伝えしていきます。
バーンロムサイって、「ガジュマルの木の下の家」という意味です。

 
原村の節子さんから「明日、銀座の伊東屋で名取美和さんが来てトークショに出るの。
一緒に行きましょう」とメールが来ました。
 

 
名取美和さんは1999年にHIV感染孤児のホームをタイの北部チェンマイでスタートした方です。
ご縁があって、節子さんと共通に、長いお付き合いがあります。
もう少し詳しく説明しますと、バーンロムサイは、HIVに母子感染した孤児たちの生活施設として美和さんがチェンマイに設立しました。
当時、国立孤児院から30名の子どもたちがやってきました。
開設から3年の間に10名の子どもたちがエイズを発症して命を落としました。
今では抗HIV療法を取り入れ2002年以降は誰ひとり亡くなってはいません。
 

 
バーンロムサイでは、自立のための事業としてNPO法人バーンロムサイ・ジャパンの支援のもと、裁縫工場とゲストハウスを運営しています。
この事業がいわば“家業”となり、子どもたちの将来の職場や職業訓練の場ともなることを願い継続してきました。
娘が母の活動を支え始めています。すごいです。
 

 
銀座伊東屋B1で、2月3日〜12日までバーンロムサイ主催の「+ARTイベント」です。
「川村亘平斎の影絵と音楽」というイベントです。
おそなえ きのみ(木の実をお供えしてきれいな花を咲かせる話)です。
バーンロムサイ・ジャパンは+ART活動として国際的に活躍する若手アーチストを、
チェンマイのバーンロムサイに隣接するホシハナビレッジに招聘しています。

 


木の実がいっぱいお供えになると、ガジュマルの木が、きれいなカラーの花を咲かせます。

 

 
このイベントを主催する名取美和さんのお嬢さん。
 

 
名取美穂さん。バーンロムサイ・ジャパンの代表です。


 
川村さんは、かつてバーンロムサイで子どもたちを前に、スクリーンで影絵を見せました。
言葉は何と流ちょうなタイ語。


 
英語でなぜ影絵がカラフルなのでしょうと。
見事に花が咲いたスクリーンのエンディングです。
 
影絵でおかげさまの心を学びました。
今日のトークショーは美和さんではなく、お嬢様の美穂さんでした。
 
私はご縁があって2004年10月に家人とともにチェンマイのバーンロムサイを訪問して、
当時のホームの作品としての熊の人形作りの奉仕をしました。





 
工房で二人でひたすら、かわいい人形を作りました。
 

 
美和さんと語る家人。


 
私の力作・スーパーマン。



 
以前、東京六本木の展示会で買った作品。
ナット君の作品ですが、今はもう立派な大人となっています。
生きている。車の作品をつくったこの子は元気に生きている。
今はチェンマイ大学でファインアートを学んでいます。
美和さんはすごいことをしています。


 
今の子どもたちの絵です。
作品として売れたお金は、すべて子どもたちの薬代になっています。
子どもたちは死なずに18歳以上は自立して生きていけるようになりました。
良いお話です。
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 21:32 | comments(0) | - | - | - |
もうじき2月。時の立つのは、早いですね。記録的な寒さの中、俳句会と偲ぶ会です。



 
【まだん勉強句会】
『まだん』と言う俳句連があります。韓国駐在時代の『ソウル俳句会』の帰国仲間が中心の会です。
「まだん」とは韓国語で「庭(ひろば)」と言う意味です。
 
新年早々の句会は、椿山荘の近くの会場での俳句勉強会から始まりました。
勉強会とは、普段の吟行句会と違って、兼題と嘱目季語で句を作って持ち寄り、みんなで句評をするのです。

今回の兼題は―夜、除夜の鐘 1句 △年玉の1句。残り3句は当季嘱目3句。
私は葱(根深)、寒見舞い、雪の3句を出句しました。

会場は肥後細川庭園(旧名:新江戸川公園)。
今日は、他に夜も集まりがあるので、句会の懇親会は欠席で、午後の句会のみの参加です。
出句した5句とも全部点を戴きました。珍しい。



 
神田橋の駅を出ると神田川。その川沿の道を1kmほど歩きます。




 
「肥後細川庭園」は幕末時代は細川家の下屋敷で、明治になって細川家の本邸として使われました。
整った庭は素敵な庭園になっています。
先日の大雪もきれいに邸内の縁路は除雪されていました。
雪吊りもキリリとして、佇まいが素晴らしい。


 
記録的な寒さで、池には薄氷が張っています。
 
池凍る何か投げたくなる気持ち UTさんの句

勉強会ですが、吟行句のような、さっき見た景色が詠まれています。
2番目に多い得点の5点句でした。




 
句会の準備で清記用紙、選句用紙、予備選句用紙と配られて、
句を書き込む短冊も5枚あります。
そうです、今日は5句提出です。
 
リュックより頭出したる根深かな  武舟 3点句(特選句含む)
根深は葱のことです。
良く見かける風景ですよね。

寒見舞い里から届く伊勢手拭   武舟 3点句

お年玉母の手づくりポチ袋     武舟  並選句

紫の法衣の揺れし除夜の鐘    武舟  並選句

雪はげし五輪の里は視界ゼロ   武舟  並選句
平昌(ピョンチャン)五輪を平壌(ピョンヤン)五輪と言われるくらい韓国は妥協して譲歩しています。
オリンピック&パラリンピックが終わった後は「北」がまた暴れだすんでしょう。
ソウル赴任経験者ならば理解できます。
 
五句の提出句が全て点が入りました。
このところない快挙ですね。



会場の前で記念写真で、解散。
 
【スタンプガーデン 充子さんを偲ぶ会】
 
その足で地下鉄を有楽町線、半蔵門線、大江戸線と乗り換えて一気に六本木まで。
夕方からの会合は、高校の仲間で14年前に亡くなった、スタンプ充子(ちかこ)さんを偲ぶ会。
10人ほどの仲間が集まりました。



 
近くには30年通った俳優座裏のバー「若いおまわりさん」がありました。
2006年に閉店しました。今は違う名前の店になっています。
オーナーだった同年代の南子さんは、どうしているだろうか。


 
そのすぐ近くに今日の会場「スタンプ・ワインガーデン」があります。
充子さんのご主人の故:スタンプさんのお店です。
 
お店の真ん中のテーブルに高校仲間の男女が集まり、ガヤガヤとおしゃべりを続けます。

 コンソメスープ
 佐賀牛のステーキ

 
ウニのカクテル、コンソメスープ、佐賀牛のステーキ、デザート。シェリー酒、白ワイン、赤ワインが続きます。
こんがり焼けたフランスパンもおいしい。
デザートは写真を撮り忘れました。それに〆はコーヒー。
 
そもそもこの仲間の集まりは、1964年の12月から高校の野球部の男性中心に始まった会です。
その流れで、いつしか女性も加わり、いつしか、充子さんの薦めで「スタンプガーデン」が会場になりました。
私はソウル赴任中も、ほぼ100%駆けつけました。
50年近くも続く会なのです。
 
今回も清水市、西浦和から、鎌倉市からと遠方から集まってきました。
食べて、飲んで、しゃべっての3時間。
昔は人数分のワインが空いて、今は3時間で3本のワインが空いただけです。
みんな年取ったんですね。


 
お店の前で記念写真を撮って解散です。
 
2000年12月5日。
充子さんとあった最後の日です。
恒例のスタンプの会の出席の為に、ソウルから駆けつけました。


 
二次会のお店「若いおまわりさん」で、残った人数で唄って、飲んで、おしゃべりです。


 
和服姿の充子さんは、今でいうフラッグシップのキャビンアテンダント(スチュワーデス)で、
私はその航空会社が広告の得意先なので話が合い、ウマが合いました。
みなさんをそっちのけで、二人で話が続いたものです。

 
2003年に、私にとっては忽然と姿を消した人です。
ソウル赴任中でもあり知らない間に、彼女は天に召されて仕舞いました。
今では懐かしい友人です。
 
人生いろいろですね。
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 21:31 | comments(0) | - | - | - |
2017年。この一年の総集編の抜粋版です。感謝をこめて・・・。
みなさま
既に、この一年でご覧になった内容の抜粋編です。
もう一度お付き合いください。
あっという間に2017年も暮れていきますね。
あっという間に1年間です。
あっという間に1ヶ月です。
あっという間に1週間です。
流石に一日はあっというまという訳にはいきませんね。
今年も毎月、主だった思い出を振り返ってみます。

 
まず1月です。
【初日の出】

 
大晦日から長男家族全員と次男も加えて、総勢7名で新年を迎えました。
歩いて8分、鎌倉高校前の海岸で日の出を迎えます。
 
【鎌倉七福神歩き】
毎年、地元メンバー(関東史跡研究会)が主催する「鎌倉七福神歩き」が復活しました。
しばらくは取りやめになるのではと思っていました。
長老の田中さんが、この企画を復活させてくれました。



この日はちょうど十日夷にぶつかり、賑わっていましたました。「本覚寺」は(夷神)です。
「商売繁盛、ささ持って来い」という関西の掛け声とは少し違いますが、大金払って大きな熊手を買い求めています。
 
2月
【鎌倉梅歩き】


 
若手中心の今回の鎌倉歩きはいつものシニア仲間も加わり新企画の梅見歩きにしました。
それも、いつもは歩かない鎌倉のお寺巡り。
まずは、片瀬にある枝垂れ梅の名所でもある「常立寺」。
一日中、いつも歩かないお寺巡りに、この新企画は、みんな喜んでくれました。鎌倉は奥が深い。
 
3月

【高校の同期ゴルフ会】


 

年に3回の高校同期の湘南組のゴルフ会。
のびのびした仲間のゴルフ会。心置きなく遊べる同じ歳のゴルフ。

同期の櫻という言葉がありますが、同期は本当に素晴らしい存在ですね。

現役時代と違いなかなか100が切れません。末永くお付き合いください。
 

4月
【桜の季節】 
ある時、家人の還暦の贈りものを探すために、近所のある花屋さんに入ったところ4月末に満開になる桜の苗木を見つけました。


 
と言っても背丈1mほどのものである。つぼみが色づいていました。 お店の方に質すと、ちょうど家人の誕生日の頃に満開になると言います。
「兼六園の菊桜」の存在を知りました。さっそく購入してお店で1週間ほど保管してもらいました。
桜の思い出です。


5月
【豊多摩マスターズのユニフォーム】 
豊多摩高校野球部OB会は(マスターズ甲子園)に参加しています。
仲間の監督の提案で軟式で練習試合が出来たら、野球慣れすると言い出しました。
さっそく元勤務先の後輩のチームに頼み、練習試合を世田谷公園球場で行いました。それもナイターです。


 
私は後半戦で代打で打順が回って来て打席に立ちました。見事に・・・。ナイスバッティング!!
(この写真は種も仕掛けもあります)。
 
6月
【出雲大社へ家族旅行】


 
久しぶりの家族の旅は出雲の神話の里。神様は、大別すると二つに分かれます。「出雲」の意味を神霊的に紐解くと、
「雲が出て地球を守る」=天からのエネルギーを媒介する雲」という意味になるそうです。
今回の出雲旅行の目的は、大社の本殿にてお祓いを受けることにあったので、「神恩感謝」とのお祓いを受けました。



最終日のメインイベントは、夕方のフライトまで「足立美術館」めぐりの後は、
となりにある【安来節園芸館】に寄りどじょうすくいの舞台を見て、どじょう鍋を楽しみ機上の人になりました。

7月
【桑ちゃんのバターボール号】


 
海の日です。横浜ベイサイドマリーナのオーナーズロビーに桑ちゃんの仲間が集まります。
恒例の桑ちゃんのヨットパーティーです。日本晴れの港に10人の仲間が集まりました。
当日は会費制でワイン、お酒各種、バーベキューの材料とたくさん準備されています。
まずはBBQパーティーを楽しみ、目の前の桟橋に係留してある「バターボール号」に乗り込みました。夜更けまで宴は続きました。
 
8月
【鎌倉のぼんぼり祭り】


 
毎年8月、立秋の前の日から9日までの3日間(または4日間)執り行われ、鎌倉の夏の風物詩です。
そして9日は源実朝公の誕生日に当たります。この日には実朝祭がおこなわれます。
境内には鎌倉市在住の文化人、各界の著名人が揮毫して奉納します。
そして、約400人の作品の中、15年連続で我が家の巨匠の力作です。
 
9月
【いつもの俳句会でお伊勢さん詣で】 


 
伊勢は父の故郷です。
文政3年の(間宮たえ)さんから記録があり、間宮耕山(兵次郎)、間宮酒煙(貞次郎)と、
船江の町を治めていた有名な方々も私の先祖です。
江戸時代には伊勢に500万のおかげ参りのお客さまが来ました。
その食料の大半は江戸から海を経由して伊勢に届いたのです。

私の父・富雄は二男のために、実家は兄に任せて、若いときから東京で仕事をしました。

それなので伊勢(宇治山田)は、私の故郷でもあります。
小さなころは毎年、夏になるとひと月は山田の家で過ごした記憶があります。

 
10月
【倍賞千恵子さん。澄んだ声で、楽しく元気なコンサート】
倍賞千恵子さん。一年ぶりに会いました。


 
JR王子駅前の「北とぴあさくらホール」倍賞千恵子(歌とトークのコンサート)です。
「私の歌も聴きに、たまには来なさいね!」と、以前お会いした時に言われて、昨年の大宮会場に次いで、
今年は王子会場まで行ってきました。
 
11月
【和光学園評議員20年表彰】


 
小中でお世話になった母校の84周年の創立記念日に参加した。
当日、大学のホールで式典の受付に行くと「おめでとうございます」と、いつもの係りの先生がニコニコと挨拶してくれた。(???)。
聞くと案内状に、書いてあったという。うかつにも気が付かないまま出席したのだ。帰宅して案内状を見てみると、
本学園のためにお尽くしいただいてきている労に対し感謝の敬意を表したいと考えております」
と、書いてあった。「評議員永年勤続20年表彰」を見逃したのだった。
 
12月
【鎌倉の紅葉歩き】





12月初めの日曜日、日本晴れで鎌倉の紅葉見物で、北鎌倉駅前は観光客であふれかえっていた。
しかし、一週間前だったら紅葉のピークだったのに・・・。
と思いつつ、今週は今週でそれなりの紅葉を楽しめた。
人生は考えようだ。
何しろ久しぶりの参加者に神田紅師匠の弟子の神田紅佳さんが何を思ったのか、ハイキングに着物で現れた。

「鎌倉から、こんにちは」に、今回も訪ねていただき、ありがとうございました。
また、来年からも、よろしくお願いします。間宮武美

 
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 19:54 | comments(0) | - | - | - |
小学校一年生の時の作品ノートが出てきた。私の表現者としての「DNA」は、これだ。なんちゃって!


書斎の机の中から一年生の作品ノートが出てきた。
いまでもクレパスの色が鮮やかな絵が現れた。
鉛筆で書かれたひらがな文字もたどたどしいのだが、徐々に成長を見せている。
和光学園は当時ユネスコの実験学校で、このような絵日記を授業で書いていたのだろう。
 
現代の学校では、何を教えているのかはよくわからないし、
いまの子どもたちは放課後はサッカーや習い事で、
落ち着いてこのような作品作りには時間を掛けられないのだろう。

じっくりと作文を書く時間もないのだろう。アナログ生活とデジタル生活の差は何とも言い難い。
このノートは2年生後半まで現存する。母が長い間、実家で保管してあり、
私が結婚し独立した時に我が家に持ち込んだのだろう。

大変な私の宝物である。

先日、ホームにいる母と一時間ほど、このノートを読んで見せた。当然父と母も日記に出てくる。


 
初めての絵は通学途中に見た風景。家を建ている絵で大工さんがコンクリを箱でこねて、
仕事の準備しているのだろうか…。


 
何と電車が出てきたが、平面的ではなく、何と俯瞰図だ。
私が通っていた電車通学の路には歩道橋のようなものがなく、何故俯瞰で書けたのか。


 
初めての文字が現れた。あめ、あめ、いいこ、いいこ。
 


この絵の隣には、かき、かき、かきと1ページの書き取りがある。
この絵は自宅の家のそばの玉川上水の橋の淵の柿の木が描かれている。


 
母に連れられて行った映画館で「小鹿のバンビ」を観ている。
客席に(ぼく)(おかあさま)とある。
(*)調べたら日本での封切りは1951年5月18日。7歳の1年生の時の話だ。
 
ゆめ


 
このあいだ ぼくわ ゆめおみて おもしろかったです
あさおきました かおおあらいました
はおみがきました
それから ごはんおたべました
それから 学校 いきました  (なぜ学校だけ漢字なのだろう。不思議だ)
夢の内容は馬に乗ったカウボーイです。映画の影響でしょう。
 
のう大のおはなし
のう大で しゃせいをしました
せんせいに みせました
そしたら せんせいはだめといいました
それでも ぼくはへいきで あそびにいきました おわり
(和光学園の隣にはいまでも東京農大がある)。なんという子なのだろう。
許す先生も先生だが、おおらかな学園生活が見えてくる。

 
三りんしゃ



ぼくは くにおちゃんとぼくで三りんしゃで でんしゃごっこをしました。
そして ぼくはきゅうこうに なりました
くにおちゃんは かくえきになりました
(当時の杉並区の平屋の生家です。石でできた門柱がありました。良く描けてます)
 
小学校高学年の冬休みに一冊の雑誌を発刊しました。もちろん宿題ではなく、自主的作業です。
雑誌のタイトルは「こけし」。


 
表紙の絵から、グラビヤのような絵のページまで、自分で描いていた。
記事もしっかり書いてある。
最終頁の感想を書く欄では、先生のコメントを書くスペースがある。


 
第2号は マミタケ社:発行となっています。学校が休みの間に発行したようだ。
先生のコメントが、妹達や家族の応援もあると良いですねとあった。


 
第3号では表紙のスワンは、先生のコメントによって、絵の上手な母が担当してくれました。
中の本文では妹たちが協力してくれたようです。


 
第4号まで。これが最終号のようです。
全て、言われてやったのではなく、私が自発的に作成したことだけは、よく覚えている。
表紙の裏にはしっかりと広告ページがあるのです。(えへん!)



正義の武士が二人そろって、こけしを読んだらみんな来た。
鞍馬天狗がちゃんと、雑誌こけしを推奨している。
何しろ時代のヒーローが無料で出演しているのです。


 
おもしろいわね。
サザエさん、カツオ君、ワカメちゃんが出演しています。


 
面白いでしょうとフクちゃんが表紙を書いている。

なんと小学校のころからの広告業界に興味を持っていたのかなぁ〜。
人生とは不思議なものですね。

 
何と別冊付録もありました。
間違って焚火にくべて、あわてて拾い上げました。一部が焼けています。


 
タイトルは「出世 花丸山」。
堂々3部までの大作(?)です。
一部は、「まずしい家」、「入門」と続きます。
父は駅かどこかで靴磨きで生計を立てています。



 
少年時代から強い子供が、海山部屋に入門します。


 
めきめきと強くなったとき、なぜか悪い人にピストルで撃たれてしまいます。
はたして花丸山の運命は……。2部につづくです。
1ページを使い、生まれたときから弟子時代、
関脇、大関、横綱、親方までの一生を似顔絵で綴られています。


 
第2部の表紙ですが、まだ髷を結っていません。
その続きは、現物が見当たりません。
 
大分時を経て、高校は野球少年ですごし、浪人時代を一橋学院ですごして、無事に大学へ。
好きだった野球の道を断念して「放送研究会」に入部しました。

 作品が収録されているカセットテープ

 
1年の夏休みのにラジオドラマの研究発表会で「浜辺に残されて」を発表した。

この作品が先輩の目にとまり、大学3年の時に、クラブを代表して大学放送連盟ラジオドラマコンクールに
参加し見事に入賞した。
タイトルは「太鼓よ響け」。
全国学生ドラマコンクールに勝ち残ったのだ。断念した野球ではなく、ドラマで実現した甲子園出場になった。
手書きの原稿(第4稿だ)。4稿までは、まだ仮題になっていますね。自信持てよ。



 
その何回か書き直して、最終の録音台本が出来上がった。
最終稿にも(仮題)とスタッフが書き込んだ。

ガリ版刷りのシナリオが懐かしい。


 
第一場面の効果音、せりふが見える。
タイトル(枠アナ)、
SE 波の音(岩場) FI−UP−FO(次第に音が入りアップになり次第に消えていく)
右ページは出演する主人公他のキャスト。
その下は連絡先。個人情報なので、ほとんどは家の電話番号だが、
念のために一応カセットテープで隠してある。


 
次は演出ノート。激しく場面転換、じっくりと聞かせるなど書き込んである。


 
そして、このテープは現在デジタル化して、放研三田会のデジタルアーカイブに、
収録され永久保存されている。


 
この後は、広告業界で40年以上暴れて、最近はこのDNAを頼りに新しい人生行路を模索している。
さてさて、どうなりますことやら……。
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 13:09 | comments(0) | - | - | - |
あっ、パスポートが切れる。あれから10年経ってしまいました〜。次はどうしよう。

 
1971年8月に初めてパスポートを取得した。
自動車の得意先、初の海外ロケでパリロケの営業プロデューサーとして、パスポートが必要になったのだ。
 
 当時の出入国のスタンプ
 すぐに現在に近いスタンプに変わりました。
 
あれから47年も欠かさず、パスポートを更新してきた。
パスポートは合計で8冊。最後の2007年12月に取得したものは10年有効のものだった。
大型や、小型や紺の表紙や、赤い表紙と様々だ。
これからは顔の歴史。怖いお兄さん風も出てきます。
 
第1号は、1ヶ月のパリロケ、10日間の新婚旅行、5日間のハワイでNTV「スター誕生」で百恵ちゃん、淳子ちゃんなどと番組収録であっちこっち。



27歳の私とアートディレクターでローマの空港でトランジット。
パンアメリカンの南回りでパリへ。
香港、バンコク、マニラ、ニューデリー、イスタンブール、ローマ、パリ。
約3時間ほどでトランジット。出された食事も7回、全部食べられました。

 

 
パリロケの雑誌広告、絵ハガキなど。
 

 
第2号は1977年9月21日から5年間。ちょっと怖い顔になってます。
洋酒メーカー担当になって、ハワイ、ロス、NYとあっちこっちで20数回の往復。
ビジネスクラスは、今のエコノミーを一席づつあけて座れました。
ある時は三席分を独り占めできた時もあり、横になって寝られました。

 
既に羽田発が成田新空港発になっていました。
 
 

NYの在りし日のワールドトレードセンターが見えますね。

 

大雪のマンハッタン。JFK空港が完全閉鎖。全航空機が止まり大混乱。
LAで待っているスタッフとの合流が3日遅れました。



カンビールブームを引き起こした広告。LAの空気も写っています。

 
第3号は1982年7月10日から5年間でした。


 
やはり洋酒メーカー担当でアメリカ中心であっちこっち。
20回前後の搭乗記録がありました。




倍賞さんとはパリへロケ。



渥美さんとはフィリピン諸島のシコゴン島へロケ。

 
第4号は1987年7月8日から5年間。


 
洋酒メーカーから営業部長に昇格し家電メーカー担当で、英国、ドイツへも足を伸ばした。
スタンプはあふれんばかりで押されていました。
このころは、もっぱらビジネスクラスを利用させてもらいました。


 
第5号は1992年6月30日から5年。


 
航空会社担当でロンドン、NY、フロリダ、LAとあっちこっち。
在職20周年記念の休暇でイタリア11日間のプライベート旅行もあった。
ハワイへの息子たちと一緒に行った家族旅行も含まれる。


 
第6号は1998年3月18日から5年。
国際総局へ移り中国(香港、上海、北京)へも。
営業講座の出張です。


 

中国の入国印もあります。

第7号は2003年2月7日から5年使用ですが。

既に1999年7月からはソウルへ海外転勤となりました。
日韓の往復がいっぺんに増えた時代です。




ソウル事務所で新聞の取材です。



「韓国へ広告市場発展の可能性を見に来ました」。
新聞記事の見出しの意味です。




日本でパスポート更新が出来ずに、2003年にソウルの日本大使館で発行したことがあります。
駐韓国日本大使館発行の英文が見えます。

写真もソウルの写真館で2500円相当で大統領カットの半身の写真。
写真館の修正で、5年前のパスポートよりも若返りました(笑)。


東京=ソウル、ソウル=東京で数えきれないほどの往復。
パスポートのページ全部に出国、帰国、相手国の入国、出国のスタンプが満載されている。

第8号は帰国して作った。2007年から10年。初めての10年ものだった。


 
この頃は鎌倉市と韓国安東市との姉妹都市提携の準備で17回の日韓の往復。
ボランティアとしても、ずいぶんお金を使ったことになる。


 
この間に21日のパリのアパルトマン生活のスタンプも入っている。
 
パスポートには広告業界でなしえた大きな仕事でのあっちこっち。
家族と過ごしたわずかな、あっちこっち。
思い出がいっぱいこめられている。
 
顔の変遷もしっかり見て戴いた。
男の顔は男が作る。
なんて……。
今度はどんな顔して、パスポート写真を撮りましょうか。
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 23:40 | comments(0) | - | - | - |
ADK(アサツー・ディーケー:元旭通信社)の元社長の多氣田力さんのお別れの会に参加しました。
 

私が初めて勤務した広告会社「旭通信社」時代の直属の上司、多氣田力(たけだ・つとむ)さんの
お別れの会(帝国ホテル・孔雀の間)に参加しました。
 
当時の仲間に会いたくて、会場は仕事場から徒歩2分という近さです。

当時は業界で10番目の広告会社の旭通信社。

入社して配属されたのが、一番主要な得意先の「三菱自動車」の営業担当だった。
新人の私は、当時の稲垣正夫社長の席の真ん前に座らされた。約10名の営業チームだった
その中で上司だった多氣田さんも一緒の席に並んで座っていました。
 
多氣田さんやチームの多くが早稲田出身でも、ライバル校出身の私は最初から可愛がられ、いい意味で鍛えられました。
大きな得意先宣伝部での日常生活で、広告人としての基礎が叩き込まれました。
 
ちょうど三菱重工から三菱自工に変わり「武家の商法」を脱皮すると言われ、商品広告に力を入れ始めた頃でした。
大手広告会社へ転職するまでに、たくさんの経験をすることが出来ました。

得意先にとっても初めての新車の海外ロケを無事にプロデューサーとして勤め上げて、
ある事情でフルサービス業務ができないならば、「会社を辞めたい」という私を、
何時間も引き留めるために時間を割いてくれた、稲垣社長には今でも感謝しています。
 
「お別れの会」の数週間前に身近な先輩と一緒に故:多氣田さんのご自宅へお悔みの訪問をしました。
ご自宅では、奥様と長い時間、多氣田さんを偲ぶ話題に花が咲きました。


 
どなたかの社員の結婚式のスピーチのときの写真です。
私の結婚式のスピーチでも、前の会社の上司が、「惜しい人をH堂に取られた」と、
同じようなお顔で私に対して身に余るお褒めの言葉を戴き、
後に結婚式に参列してくれた元勤務先のH堂の役員から、「あの様な自己PRの方法もあるのだ。うまい戦法だ」
と皮肉られた経験もあります。



稲垣会長とタ氣田社長。グローバルネットワーク契約のときの記念写真。
もう一人はWPPグループのマーチンソレル氏。
社長として絶好調の時だったと思います。



 
ホノルルマラソンの完走。何歳で走ったのでしょうか。


 
私も後に同じく48歳の時に完走しました。
何故か、おなじようなランニングウエアで、同じようなスタイルでフィニッシュしていますね。



 
案内状の写真。会社は社長の執務室でのお姿を選びました。


 
ご自宅にお悔やみに上がった時の奥さまのお好みの写真。

私がH堂で営業部長に昇格したときに、
その時も連絡いただき人知れずに個人的にお祝いのごちそうをしてくれたことも、今では良い思い出です。
本当に懐かしい先輩を失いました。合掌。
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 23:54 | comments(0) | - | - | - |
倍賞千恵子さん。一年ぶりに会いました。澄んだ声で、楽しく元気なコンサートです。
倍賞千恵子さん。一年ぶりに会いました。
JR王子駅前の「北とぴあさくらホール」倍賞千恵子(歌とトークのコンサート)です。
「私の歌も聴きに、たまには来なさいね!」と、以前お会いした時に言われて、昨年の大宮会場に次いで、今年は王子会場まで行ってきました。


 
北とぴあさくらホールにたくさんのお客さまを迎えてのコンサートだ。
幕が開き、一人ステージの真ん中に立っています。


 
一番最初の歌が「下町の太陽」でした。


 
歌声も素晴らしいですが、トークも、ピアノ演奏の音楽家で素敵な旦那さんの小六禮二郎さんとの掛け合いが、とても楽しかったです。
山田洋次さんの寅次郎とさくらの小さなころの物語を、倍賞さんの朗読です。
寅とさくらの出生の秘密が分かる瞬間の叙述です。こころ打たれました。
最近、柴又駅前の寅さんの銅像の横にさくらの銅像が立ったいきさつなどを、おもしろおかしく話してくれました。
エンディングの曲は、「ラストダンスは私に」を、しっとりした気持ちで唄ってくれました。
一度、舞台を去った後で、アンコールの声に、再度舞台へ。「愛の讃歌」を熱唱してくれました。



いつものように講演終了後は楽屋に伺いました。遠慮がちに後ろに旦那さんの禮二郎さんも立っていました。

 
思えば80年代にウィスキーの広告に出て戴き、パリにご一緒した時以来、事あるごとにお会いしてくれます。





 
パリで2本のCMの撮影を撮り、数日後に再びグラフィック撮影のためにパリへ。
少人数だったので、街の散策などもご一緒しました。
何故かサングラスなんかかけたりして、私も若かったです。

 
昨年はその制作仲間と食事会も行いました。
数回のスケジュール調整を行っている内に、誕生日前日に食事会が決まりました。
サプライズでお祝いのケーキも・・・。



 
12年前にソウルから帰任して、しばらくして大船の鎌倉芸術館で「寅さん映画を語る」講演会がありました。


 
久しぶりなので、講演会を聞いた後に楽屋に伺いました。


 
第一声が、茶目っ気ある大きな声で「お・か・え・り・な・さ・い!」でした。
そのときの挨拶は、とてもうれしかったことを覚えています。
 
とにかく1963年に「下町の太陽」でレコード大賞を戴いて、来年で55年目になるそうです。
今でも、澄んだ声で、またスローバラードで、また熱唱して、皆さんの心をとらえる。
こちらも、とても元気をもらいました。
 
私も、もう少し頑張らなくては・・・。広告業界現役50年まであとわずかです。
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 11:10 | comments(0) | - | - | - |
「やすらぎの郷」ってご覧になっていますか。初回からすべて見ていました。



最近、テレビドラマは大河ドラマ以外は、あまり見ていません。
在宅時間が少ないためか、ほとんどが録画で見ています。


 
「やすらぎの郷」はなぜか最初から録画を取って、ほとんど視聴しています。
なぜならば、我々がターゲットであるシニア対象のドラマだと思ったからです。
見てるうちに、結構若いポストシニア世代の方々も、喜んで見ているようだと知った。


倉本聰さん役の石坂浩二さん

 

大御所と呼ばれる主役級の俳優さんたちが、それぞれ肩を並べて出演しているのがすごい。

 

 

裏話としては主役の石坂浩二と浅丘ルリ子の元夫婦、その前に付き合っていた加賀マリコも寄りそうに、

毎日、倉本聰役の石坂浩二と一緒に、役柄はほぼ自分自身という設定で

演技も本人そのものの様に振る舞い演じているのが奇妙な魅力になっている。

今はほとんど見かけない喫煙シーンもふんだんにある。

八千草薫さん、五月みどりさん、の野際陽子さん、有馬稲子さん、・・・・。錚々たるメンバーです。。

 
 




 

ミッキーカーチス先輩や藤竜也さん、山本圭さん等が久しぶりに毎日登場してくるのもおかしい。

 

それにしても、野際陽子さんが、実際に放映中に亡くなられたのはショックだった。

 

私が初めて野際さんをテレビで見たのは中学生の頃。

定期試験など、学校の行事の関係で午前中で帰宅した時にNTVで資生堂提供の「女性専科」に毎日出ていた。

その頃のプロマイドを定期入れに入れていたぐらい、初めてのファン行動だった。

 

 

亡くなられて、だいぶ経つのに時折、回想場面ではなくライブ的に登場してくる。
加納会長の逝去のお知らせが、(やすらぎの郷)の館内放送で流れた時に、
館内放送を聞く野際さんがオンタイムで出てきました。

私にとっては感動にちかい。

女性専科の頃の魅力をそのまま、持ち続けていました。

 

今週でクライマックスを迎えるのでもなく、ドラマは淡々と終わっていくようですね。もう終わってしまうのですよ。

創設者の加納会長が「やすらぎの郷」を作ったきっかけは、有名女優だった大村洋子が自分の部屋で孤独死。

一週間も誰にも気が付かれなかった。

 

私は、大村洋子は大原麗子さんだとすぐに思ったが、25日の放送でその気付きがあたった。


 

「すこし愛して、なが〜く愛して」のコピーで有名な洋酒のCMの仕事で長いお付き合いをさせて戴いた。

その本人のナレーションがラストシーンで流れたのだ。

 


 

半年の間、毎日のように見ていたドラマの結論がそうなるのか、だった。

野際さんの時に感じた、感動が重なってきた。

おふたりとも、もうこの世にはいないのだ。
 

原作の倉本聡さんは、フジテレビに長年お世話になった関係で企画持込みしましたが、あっさり3日で断られたそうです。 

テレビ朝日が「徹子の部屋」の流れでシニア向けの昼ドラマとして採用して、新しい狙いのドラマがポストシニアの男女に受けているのだ。
ゴールデンタイムではなく、昼のシニア時間にぶつけてきたことも興味深い。
 
ある意味で、現在常識の放送文化を改革したと大げさに考えてみたい。

ついでに少し書き加えますと・・・。
5年間のソウル暮らしで、当時は日本の民放番組は、今のようにパソコンで見られる時代と違って、
NHKのBS1、BS2の放送しか見ることが出来なかった。

BS1は国際ニュースとスポーツ中継、BS2は連続ドラマや情報番組をもっぱら楽しんでいた。

民放よりも十分な予算を掛け、十分な取材でしっかり制作した番組を見慣れていた。

当時仲間内でいわれていたことは、ソウルの放送局の番組制作者たちは、番組改編期になると釜山のホテルで
日本の民放番組を漏れ電波(スピルオーバー)で見ていてそれをヒントに新しい番組を企画していた。 

 

 

おそらく、韓国のテレビ企画者たちは、釜山のホテルで漏れ電波をのぞき見して、

しばらくしたらシルバー向けの番組(やすらぎの郷)に似たドラマが流れる日は近いのではないかと思う。


 「続:やすらぎの郷」は絶対に見られない。日本では、絶対に。

模倣の文化は昔から古今東西、すぐそこにもあるのだから。
ソウルの友人の今後の情報を待ってみたい。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 08:45 | comments(0) | - | - | - |
「まだん俳句連中」の特別吟行は、一泊二日の初秋の伊勢路。伊勢の間宮の遺伝子が騒ぎました。


『まだん』と言う俳句連があります。韓国駐在時代の『ソウル俳句会』の帰国仲間が中心の会です。
「まだん」とは韓国語で「庭(ひろば)」と言う意味です。
 
父の故郷です。文政3年の間宮たえさんから記録があり、間宮耕山(兵次郎)、間宮酒煙(貞二郎)と、
船江の町を治めていた有名な方々も私の先祖です。
江戸時代には伊勢に500万のおかげ参りのお客さまが来ました。
その食料の大半は江戸から海を経由して伊勢に届いたのです。
そんな物資の取り扱いを行っていたのが船江の庄屋。間宮の系譜です。
 
父の兄は貞二郎(幼名は和一)。長男の世襲で二男の父は、名古屋の学生時代以降は東京に出てきて、私が生まれました。
それなので伊勢(宇治山田)は、私の故郷でもあります。
小さなころは毎年、夏になるとひと月は山田の家で過ごした記憶があります。
 

 
19名の俳句の仲間が伊勢市の駅改札に集まりました。
初日の主な予定は、昼食の後、外宮参拝、内宮に移り、おかげ横丁を見て、内宮の宇治橋、
五十鈴川あたりまでで時間切れ。
(ちゃんとした内宮お参りは早朝の参拝が予定されています)。
近くの「神宮会館」が句会場であり、今宵の宿泊になっています。
 
外宮にお参りです。

 二の鳥居

 
宮に入り色なき風に我は此処 武舟
 
二の鳥居木々の緑や秋気澄む 武舟
 

 
空澄みて対なる千木や天を射る 武舟
  



 
おかげ横丁は平日だというのに、伊勢参りの観光客でにぎわっています。


 
生の原酒を立ち飲みで飲ませてくれる店を見つけました。
なんと仲間たちが大勢いました。
今日は特別でお酒を飲んでの句会参加はいいようです。だって、特別な日だから・・・。

おかげさましぼりたてなる秋の酒 武舟
 

 
内宮に入り五十鈴川まで来ました。
 
五十鈴川ひややかなるや指の先 武舟
 
 神宮会館の句会場
 夕食は豪勢なセットになっています。

 
夜の句会は夜の9時から、大浴場での風呂を終えて、一杯ひっかけて幹事部屋で男性のみ9人で行います。
兼題は「橋」。20分で3句出します。
お酒のお蔭で筆が進みます。
 
橋渡る後ろ姿や秋遍路  武舟 (4点句、うち特選1)
 
燈籠の灯りほのかに橋むこう  武舟 (3点句、うち特選1)
 
宮の橋見えざる神や露の玉 武舟 (1点句)


 
さて、早朝5時に仲間たちは、神宮会館から徒歩で内宮の正殿までお参りです。
私は、もう一泊して、明日ゆっくり参拝するので朝風呂を楽しんで皆の帰りを待ちます。
部屋から朝熊(あさま)山を見ると小雨の中、霧で包まれています。
 



 
チャーターバスが来て、出発前の記念写真です。 
バスで朝熊山へ。伊勢神宮をお参りして、金剛證寺をお参りしないと片参りと言いあまりよくありません。 
海抜550Mの金剛証寺につきました。あたりは一面霧の中です。



 
金剛の山門の先は霧襖  武舟  
 
季語を探していたら「霧襖」と微小な水滴が大気中を浮遊して、煙のように見通しが悪くなるさま。
格好の季語を見つけました。




蓮間の池と連珠橋の下には睡蓮の花が咲いています。

 
睡蓮や露のひとつぶ置いて咲く 武舟  



角塔婆戒名見上げし霧の中 武舟

 
四角い卒塔婆が高さと太さで値段(お布施)はかなり違います。
地獄の沙汰も銭次第という言葉を思い出しました。
 
バスは二見浦へ移動します。



身に沁みて結ぶ絆や縄強し  武舟
 
二見浜波の静かさ風の色  武舟



最後の句会が料理屋さんの座敷で始まりました。
今回は、おもいきりたくさん作って、5句、3句、5句と大変エネルギーを掛けました。
いつもより、伊勢の血が騒ぎ、たくさん点を戴き、伊勢句会に参加して本当によかったと思います。
仲間達は二見駅4時の特急で東京方面に帰りました。


 
私は東京からいとこ夫婦が来て、今夜は合流して久しぶりの一献。
明日は間宮の先祖様のお墓参りをして、ゆっくり内宮をお参りして、夕方伊勢路を後にします。
 
=続く=
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 13:37 | comments(0) | - | - | - |
あらら!早いもので古希3(スリー)になりました。今日は孫とのお祝いパーティーです。ありがとう。


不安定な天候が続く、8月後半。
江の島の夏も、もう終わりかぁ〜。なつかしい写真が書斎の棚から出てきました。


雨模様の日に、急にKIP君とトッキ―君が、早めの誕生会に鎌倉の我が家に来てくれました。
その知らせを聞いて、私は日比谷の仕事先から一気に帰宅して二人の孫と一緒に遊びました。
おんもは小雨なので、我が家のお風呂がプールになりました。
私は帰宅のシャワーのはずが、いきなり一時間近い水遊びにつきあうことになりました。





全員が揃ったので早めの食事会が始まります。



 
乾杯。
ケーキのキャンドルに灯が点きました。
吹き消すのは私ではなく、トッキ―が強引に受け持ちます。



 
早速おいしいお肉が出て来ました。



 
楽しい食事会が終わり、デザートのケーキがでたら、(とうと)が二人と遊び始めます。
 
今年で私は広告業界の現役生活48年目。
もう少し現場で頑張ります。


 
冒頭の若いころの私。慎太郎か裕次郎、加山雄三か。
夢にあふれた未来が、あふれるようにあったころです。

 
今では、たまには孫に囲まれたり、たまには友人達とゴルフを楽しんだり、
週二日は元気に日比谷の仕事場に出かけたり。
健康な毎日と、元気な伴侶と楽しい週何回かの夕食。
おかげさまで、とっても幸せすよぉ〜。
| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 12:30 | comments(0) | - | - | - |
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