鎌倉から、こんにちは

「鎌倉発、韓国ソウルまで。」
徒歩の旅を終えて、あらたなスタート!
鎌倉から日常のあれこれをお伝えしていきます。
3年ぶりの和光学園同窓会。前回のパーティーは海外で欠席し、「マミタケはなぜ来ない!」と。

 



「マミタケはなんで来てないの!」

前回のパーティで、私は事情により欠席をしました。
英語の谷岡みち先生が「マミタケはなんで来ていない!」と後日仲間に教えられた。
なので、帰国後にすぐさまクラス仲間数名と先生のお宅近くでランチをしました。

今回は元副会長で評議委員の私は絶対に欠席できない。が、谷岡先生は欠席だった。

6月2日、新宿のヒルトンホテルで和光学園の3年ぶりの同窓会が開かれました。
「マミタケ」とは和光学園時代のニックネームです。今でいう「キムタク」と同じ氏名を略した呼び方です。
昔は榎本健一さんを「エノケン」と呼びました。若い方はわからないでしょうね。



 

受付で、ひさしぶりにやっちん(田辺靖雄さん)に会いました。
ひとクラス下のやっちんは毎回欠席せずに参加しています。

現在は「日本歌手協会」の8代目会長として8年目。
初代は東海林太郎さんが会長で、藤山一郎さん、ディックミネさんと続き、前任者はペギー葉山さんです。
やっちんも、大変重い役目で、今は大変な貫録です。

 

 

西尾会長の挨拶です。同窓会法人化の意味をやさしく説明していました。

懇談が始まり、我がテーブルは1級下の仲間で満席。私のクラスは私一人なので一緒に座りました。


 

やっちんのクラス担当だった吉崎高弘(当時)先生を囲んで記念写真です。僕より10歳年上です。


 

酒豪の吉崎さんも今日は控えめでした。

西尾さんは同窓会会長、私たちと同じく卒業生枠の評議委員会の理事です。


 

河野さんは画家で評議委員です。いつも会議では隣に座ります。
茅ヶ崎なので夜遅く終わる「評議委員会」では、車で鎌倉まで送ってくれます。
いつもありがとうです。


 

ひげの高田さんも画家で評議委員です。
和光は音楽家の三枝成彰さん、彫刻家の船越桂さん、映画監督の根岸吉太郎さん、

女優の佐々木愛さんなど、多彩な方々が周りにたくさんおります。


 

和光の昔の思い出があふれて来ます。


 

小学校の入学式。経堂の校門の庭です。終戦間もないころのレトロな時代を感じさせますね。



文化祭で「ぼくらのみこしだ」。私の絵が飾ってあります。



読書会で「アリババと40人の盗賊」を読んでいます。



運動会のひとコマですね。手前はワンタン(渡瀬さん)



中津川の遠足。菅井君(ニットキン)と川島君(カバ公)。



小学校の卒業式は新しい正門前で。男の子はジャケットでネクタイ姿もだいぶいます。



中学では軽井沢のキャンプです。男の子はクラス仲間の別荘の庭にテントを張ってねました。

後列の一番右に20代の背の高い吉崎高弘先生が居ます。
後年は武蔵野美術大学の副学長を勤めました。




なんといっても一番の思い出は千葉の館山での遠泳合宿です。
写真は中3の夏、限られたメンバーで6kmの沖ノ島遠泳です。
後列の左から3人は先輩の遠泳コーチです。
中学に入りプールで25mしか泳げなかった私が、1年生でいきなり3kmの鷹の島遠泳に加わり。
2年3年生では6kmの沖ノ島遠泳。
3年生の時は台風が近づいて悪天候なので、遠泳メンバーを絞り私が遠泳隊長でした。

予定より大分少ないメンバーで泳ぎました。水温がとても低かったことを覚えています。
この遠泳合宿はいまでも無事故で続いています。



 

中学の卒業式では、親と一緒の写真です。
小さな写真ですがいまでも誰のお母さんか、はっきりわかります。

男女あわせて28名の小さなクラスでしたから。

 

ここに2007年の同窓会の写真があります。11年前ですね。少し若いです。


 

今回はクラスでは私一人の参加でしたが、この回はクラスの仲間が数人参加しました。
私の右がなんでも知っているので(じいさん)、そして大場こと(おばちゃん)、
長谷部(はんぺん)、カバ公。前列はセイコとミナミ。

 



この時も田辺君(やっちん)と並んで同じテーブルに座りました。


 

ステージではミッキーカーチスがやっちんを呼んで、ミニコンサートを行ったのが印象的でした。



今回のこのメンバーは次回も参加するでしょうが、次回は多分3年後です。
同窓会事務局幹事は、メンバーの維持拡大が大変なテーマです。

若手への世代交代がカギですね。

どこも同窓会、OB会の悩みは共通しています。

 

| team-mamiya | from-mamiya『和光学園』の話 | 23:04 | comments(0) | - | - | - |
和光学園創立84年記念式典で「評議員永年勤続20年」の表彰をされました。


小中でお世話になった母校の84周年の創立記念日に参加した。
早いもので、もう84年が経った。
思えば私は創立して15年もしていない学園に入学したという訳だ。

「成城学園」からある教育理念の相違から、「玉川学園」と「和光学園」の3つの学園に分かれたのだ。
有名な成城事件だ。いまでも三校とも小田急線沿線に隣り合わせのように並んでいる。
駅名になっていないのは、わが母校和光学園だけだ。

 
当時の和光学園はユネスコの実験学校としてユニークなカリキュラムで学んでいた。
外国からの教育関係者が、本当に小さな学園にたくさんの方々が見えたのだ。

当日、大学のホールで式典の受付に行くと「おめでとうございます」と、いつもの係りの先生がニコニコと挨拶してくれた。
(???)。聞くと案内状に、書いてあったという。うかつにも気が付かないまま出席したのだ。
帰宅して案内状を見てみると、
「・・・その席で、あなたが永年にわたり、本学園のためにお尽くしいただいてきている労に対し、
ささやかではありますが、感謝の敬意を表したいと考えております」
と、書いてあった。「評議員永年勤続20年表彰」を見逃したのだった。


 
会場のホールの最前席のど真ん中に、大きな赤いバラを胸に四人の受賞者が座った。
もう一人の受賞者は先輩の音楽家の三枝成彰さんだ。永年勤続30年だが欠席している。自作の三枝オペラで忙しいようだ。
 
式典が終わり、会場を移して懇親パーティーとなった。



 
ビール片手に記念写真。

 今回の花束贈呈
 永年勤続10年の花束贈呈

 
今回も大きな抱えんばかりの花束を戴いた。
記念品は「江戸切子」のおちょこ3点セットがオリジナルの木箱に入っていた。かなり高額の品物だった。



3人は卒業生枠の評議員の仲間だ。事務局のSさん以外は、評議員会議での論客(?)のうるさい仲間たちだ。
世はまさに、少子化の影響で学校経営も多難な時代になり、評議員会ではいつも議論百出となる。
私も、ついおとなしくしていようと思うのが、熱意のあまり正直で過激な意見を述べているのだ。
和光の卒業生としての(DNA)が、そうさせるのだと思う。


 
10年表彰の時は三枝先輩も一緒だった。
三枝さんと並んで記念写真。


 
三枝さんの作曲した「夢に向かって」(作詞:丸木政臣先生)をステージで、自身が指揮をしながら歌った。


 
その後、後輩の私を壇上へ呼び、学園での思い出、芸能&広告業界でのお付き合い話などをしゃべったのが昨日の様だ。

当時はユネスコの実験学校として海外の教育関係者が、ひっきりなしに、よく授業参観で見えていた。
ここからは、写真は全部、モノクロです。



 
外国のお客さんの前で、粘土細工をしたり、みんなで大きな絵をかいたりしていた。



 
勉強合宿では、クラスを越えて縦割りにチームを組み上級生と下級生が同じテーマで勉強した。
山登りも良い思い出になった。右から2番目が私。
 

 
文化祭で入賞したクレヨン絵。「僕らのみこしだ」


 
小学校入学式。父兄には和服姿が目立った。


 
小学校の卒業式。


 
中学校の卒業式の謝恩会の後の記念写真。
男9人、女18人の24人の少人数のクラスだった。
 
この学園で「考えることの大切さ」を学んだ」
 
いまでも、
考えるのは自分、行動するのは自分、責任持つのは自分。
これで、社会生活は十分である。
| team-mamiya | from-mamiya『和光学園』の話 | 11:17 | comments(0) | - | - | - |
このときこそ【共に生きる】を人生の指針に。母校の和光学園の卒業式でした。



16日に実施予定だった「和光鶴川小学校」「和光中学校」の卒業式が20日(日)に延期して実施しました。

「和光学園同窓会」幹事役員はメンバー交代で毎年「来賓」として卒業式に参加している。



今年も私は「和光鶴川小学校」の卒業式に参席しました。

 

交通事情が不安定なので朝早めに鎌倉の家を出た。

参加自体は自己責任で行うので、リュックの中には「ペットボトル、クッキー、携帯ラジオ、傘、タオル」を準備した。
ジャケット姿にスニーカーである。

会場ではスリッパに履き替えるので、往復の姿はスタイルお構いなしだ。

いざとなったら鎌倉まで30km以上歩くことになる。

 

控え室での行田稔彦校長の話によると、地震発生時は生徒全員が体育館で式の練習をしていたそうだ。
まず体育館で冷静に座り込み、その後先生の誘導で校庭へ避難した。

普段からの家庭と子供の「引渡し訓練」の成果もあり、ほとんどの生徒が無事帰宅できた。

最後の引渡しが午前2時。数名の生徒が泊まりを余儀なくされたという。

幸いなことに学校には食料(乾パン、水)の備蓄がある。何の心配も無い。


卒業生が舞台の上に整列します。

地震発生日から昨日まで学校は8日間の休校。

生徒は久しぶりの登校になる。1年生から5年生の在校生全員が6年生(73名)を送る形は例年通りである。



 

成田寛副校長の「開会の言葉」。

まず大地震の被害について触れ、卒業式の開会をした。

卒業式は節目です。夢とか希望をふくらませる節目です。

卒業式をみんなで最後の授業にしましょう。皆さんの「旅立ち」をお祝いしたい。

みんなで「最後の授業」をつくり上げましょう。

 


その次に校長先生の「贈る言葉」が続きます。

和光の卒業式は、あくまでも【生徒たちが主役】です。

 

地震の日から、皆さんは冷静に行動して、無事に今日の卒業式を迎えることができました。

(災害地の方々へ黙祷)

日本がこの災難に対して、どう乗り越えるか世界が注目している。

韓国の姉妹校「浦項製鉄西小学校」からのお見舞いのメッセージ、募金が準備されている。

学園で学んだ「命の大切さ」を大事にしよう。
生き物の命の大切さ。強いものが弱いものを助ける事の大事さを。

 

ここにも「共に生きる」学園の教育指針のベースがあると感じた。

 

「沖縄学習」や「緑の学習」で学んだ、何が何でも生きる力を大切に伝えてゆきたい。

これからも何事にも負けないで、生きてゆこう。

校長先生の言葉は、いつもと同じ語り口ですが「今回の地震の経験」を踏まえて、ユックリと力強く話されました。

 



卒業証書授与は会場の真ん中で校長が一人ひとりの子供に与えます。

ここでも卒業生が中心で主役です。

 卒業生の言葉

ありがとうの垂れ幕



約2時間の卒業式が無事に終了しました。

子供たちにとっても、卒業式の実施は一生の思い出になると実感しました。

校庭に臨時駐車場
在校生の引渡しも整然と行われていました。

 

実は本日20日の午前から和光鶴川小学校は韓国への姉妹校交流の旅。

「和光鶴川小学校」と「浦項製鉄西小学校」の姉妹校活動(約30名の訪問団)が行われる予定でした。

3年前の歓迎ポスター

金七龍(キム・チルヨン)校長(当時)の歓迎挨拶

私も3年ぶりに、この交流授業に現地参加することになっていて、とても楽しみにしていました。

今回の地震の影響で延期になり非常に残念ですが、仕方ないと受け止めています。




さて午後には中学校の卒業式が行われますが、「同窓会」幹事役員が急な日程変更で欠席と聞き、
引き続き私が参席することになった。



中学校は生徒の通学範囲が小学校より広いということもあり、和光中学校の歴史初めての在校生不在、卒業生、
その父母のみで行われた。

【ぶっつけ本番の卒業式】だった。

 

ここでは「来賓席」は舞台の上にあります。

卒業証書授与は目の前で行われる。152名の卒業生がひとり一人、
校長から授与された後われわれの前を笑顔でお辞儀をしながら降壇する。

ひとり一人にうなずき返し、笑顔で答える。


個性あるそれぞれの「笑顔」がとても印象的だった。当時の私は、このようなすばらしい笑顔ができただろうかと、ふと考えた。
卒業式を行えてよかったと実感した瞬間である。

 

両角憲二校長の黙祷に続き、卒業生に贈る言葉。

人間はいつ死ぬかも知れない。誰もそれはわかっていない。その多くの人が今回の大地震で尊い命を奪われた。

 

かつて余命いくばくも無い生徒の入試合格を出すかどうかの議論をした事例を話した。

その生徒はただただ生きることを信じている。結果的にその強い思いに対して「合格通知」を出すにいたったエピソードを語った。
生き抜く力の大事さを話されたと思う。

 

心に「翼」をつけて大空に羽ばたこう。

鳥たちは木の枝や地面をバネにして飛び立つ。かすみ網にかかった鳥は網の糸がバネにならないので、
飛び立つことができないという逸話がある。

鳥にとって枝や地面をバネに飛び立つように、学園生活の【思い出】をバネに「翼」を心につけて、広い空へ旅立ってほしい。

「振り返らないことも」大事だが、困難にあたっては「振り返ることも」大事だ。

 
第二部は卒業生が主役

何曲も思い出の合唱を披露

式の最後に学年主任の星野実先生は。

「共に生きる」という中学校の指針(和光の教え)を君たちは理解できたと思う。

相手の気持ちに寄り添い、相手の立場に立ちきるような、そんなさりげない「共に生きる」。

日本の多くの人が【震災の被害にあった被害者】の気持ちになれて、「共に生きる」を感じ始めているように思う。

これからの人生で、もっとも見えにくいけれども、大事な「共に生きる」をさらに追求してほしいと思う。

 

すばらしい言葉だと感じた。

今われわれにできることは、まさにそういう事だと強く感じた。

卒業式の途中で地震(14:20宮城沖)があったことは後で携帯の地震速報で知った。

壇上の垂れ幕ひとつだに、揺れが無かった。

 

とにかく中学校の2時間の卒業式も何事も無く終了した。




帰りの小田急線も通常に運行されていた。

片瀬江ノ島駅を降り立ち、江ノ島を眺める。


暗雲が垂れ込めている大空に、得がたい経験の一日と自らの今日の無事を感謝した。




帰宅後、手作りのピザパイといっぱいのビール。

普通の生活を送ることができる環境に、改めて感謝!



江ノ電「江ノ島駅」の近くにある【大黒屋】春の名物(桜せんべい)。

もう春は、そこまで来ています。
もう少し、がんばりましょう。

 

【余談】

「小さな達成の積み重ねが大きな自信をつくる ! 
(大きな声で読んでみてください)

自信とは、その人自身の思い込み。「できる」という考え方です。だから、あなたが「できる」と思えば、そこに自信があります。

ある出版社のノウハウ本のラジオCMである。

 

小さな***の積み重ねがおおきな「じしん」をつくる。

朝のラジオの地震のニュースの合間のCMである。ジシンという同音意義の言葉の発信タイミングに問題があると思います。

普段ではなんでもないことでも、状況によって適切で冷静な判断が求められます。

そういう複眼の目をわれわれは【広告人】として養ってきました。

ラジオ局へメールしようと思い始めましたら、数日後にそのラジオCMが流れなくなりました。

| team-mamiya | from-mamiya『和光学園』の話 | 12:16 | comments(0) | - | - | - |
【浦項(ポハン)初等学校】の皆さんが、和光鶴川小学校へ来ました。恒例の姉妹校活動です。
ブログシステムが変わり、画面の雰囲気が少し変わりました。
約5年にわたる「鎌倉から、こんにちは」の過去(アーカイブ)もすべて新しいフレームに移行できました。
 
ブログの右横を下まで送りますと一番下に【1/94】pages とアーカイブの案内が出ます。
その右をクリックするとどんどん昔の掲載ページがご覧になれます。
ずいぶんと書きましたね。これからもどしどしと「アジ、サバ、回遊魚」の暮らしぶりを書きます。
今後ともご愛読をお願いします。

謎の機械?
 
母校の和光学園(鶴川小学校)が韓国の浦項(ポハン)にある浦項製鉄西小学校と姉妹校になって4年目になります。

今年も浦項(ポハン)から元気な4年生、5年生23名がやってきました。
「歓迎式典」「交換授業」「こどもの国体験」「教員交流会」「教員会食会」と朝から晩まで参加しました。
【和光鶴川初等学校へようこそ!】

成田副校長先生に案内されて入場です。

壇上に一列に

舞台上の垂れ幕には、
【歓迎!浦項西初等学校の皆さん。和光鶴川小学校へ、ようこそ】

4年生5年生がコの字に座り歓迎

色とりどりの服装で

式典では卒業生・評議員として、かつ韓国生活体験者として来賓の挨拶を韓国語でお話ししました。

『〜(略)〜このように小学生時代から日韓・韓日文化交流を体験出来ることは素晴らしいことです。
最後までお互いに楽しんでください』
というような事を話しました。(ほっ!)。


まず、和光学園の子供達は、歓迎の意味で東北地方に伝わる伝統民族舞踊を披露しました。



浦項の子供たちは校歌を1番は韓国語で、2番は日本語で歌いました。

縄跳びの踊り

韓国の人気グループの唄を自分たちで振りつけて踊りました。

伝統仮面踊りを仮面なしで踊りました。




交流授業では「ケンダマ遊び」を教えたり、「折り紙あそび」で遊んだり。
「たこ焼き」や「おにぎり」を作って交流していました。


ある教室では日本語と韓国語が同じということを教えていました。
「散歩」「約束」「高速」「道路」は全く同じ発音と言って良いです。
箱の中で日本語のカードが韓国語のカードに変わっています。






昼食の後は鶴川からほど近い「こどもの国」でポニーの乗馬体験やかわいい動物などの触れ合いを楽しみました。
学校へ戻ると、浦項の子供たちはそれぞれ、和光の子供と一緒にホームステイ先の家に帰宅します。
残った先生たちは教員交流会。


こちらから通訳のKさん、副校長の柳美郷(ユ・ミギョン)さん、教員の柳福姫(ユ・ボッキ)さん、元載弼(ウォン・チェピル)さん。
「宿題はどの程度?」
「塾とか予備校などは?」
「英語の授業は、いつから始めますか?」
「モンスターペアレンツはいますか?」
「交換授業の準備はどういう風に・・・?」
「音楽授業で教わったアリランの意味は?」
「キムチは韓国人にとって、どんな意味がありますか?」

双方でいろいろな質問が飛び交い、私もディスカッションに加わりました。




最後は学校の近くのお店で教員同士で会食会。
韓国流のお酒の飲み方なども楽しんでいました。




姉妹校交流が4年目。
初年度は発表内容にも力が入っていましたが、今年は普通のお付き合いになってきたように感じました。
つまり交流関係が「熟成」し始めたようです。
お互い先生方も落ち着いて、交流を楽しんでいるように見受けました。
「形よりも中身が重要だ」。そんな印象でした。
 
鎌倉市=安東市の「姉妹(友好)都市」計画も着々と進んで5年目に入りました。
実現を求めていろいろと交流の在り方を経験しています。

3月末には和光学園が浦項を訪問します。
出来たら一緒に伺いたいと思っています。
| team-mamiya | from-mamiya『和光学園』の話 | 12:02 | comments(0) | - | - | - |
ソウル郊外の九里(クリ)市【ドゥレ学校】との交流授業。日中韓の先生も生徒も気持ちが熱かった。
浦項(ポハン)での熱い交流授業に別れを告げて、次は『和光小学校』がほぼ同時にソウル近郊で交流授業をしているので合流しました。
本来は「鶴川小学校」「和光小学校」両小学校の行田稔彦校長と行動をともにする予定でしたが、事情により単独行動になりました。

25日早朝に金南圭(キム・ナンギュ)先生がソウル行きの「高速バスターミナル」まで見送ってくれました。4時間半かけてソウルの「東ソウル・バスターミナル」へ。リクライニングシートでぐっすり寝てゆきました。


タクシーを乗り継ぎソウル郊外にある九里市『Doorae School(ドゥレ学校)』に着きました。

歓迎の看板が玄関に貼ってありました。

子供たちはちょうど昼ごはん。大きな食堂に集まっていました。

ここに日本の『和光学園』、中国の杭州『緑城育華小学校』、そして本拠地の韓国『ドゥレ学校』の子供たちが集まっています。
顔を見ただけでは誰が日本人か、誰が韓国人か、誰が中国人かわかりません。

浦項の2ケ国間の授業と異なり、今回は日中韓と3ケ国間の授業です。
それぞれの国の遊びを通じて交流を図ろうとしています。

韓国は「洋弓」を教えてくれました。

中国は「ヨーヨー」を教えてくれます。

日本は「剣玉」です。
子供たちは見よう見まねで、すぐに同化してしまいます。

午後の第2部はホールで文化交流会です。

それぞれ十八番(おはこ)の踊りや歌の披露です。
まずは韓国の子供たちが韓服を着て「伝統的民謡」を披露しました。
日本は「御神楽」です。
韓国は「扇の舞」
中国は「江南地方の踊り」

この後、子供たちはそれぞれホームスティー先へ別れてゆきます。

3ケ国の教師たちは食事の後、「教師交流会」でそれぞれの所感を述べ合いました。


まず中国語を韓国語に、韓国語を日本語へ。
日本語を韓国語に、韓国語を中国語へ。結構時間がかかります。

最後に鄭基元(チョン・キオン)校長先生が挨拶に立ち、「韓国でかつて仕事をされて、現在は日韓交流のためにいろいろと活動に熱心で、今回は3ケ国の国際交流をお祝いするためにわざわざ参加された」とゲストの私を『身に余る』紹介をしてくれました。
「言葉の壁を越えて、それぞれの仲間に伝わるように工夫された授業だった。継続は力です。ぜひ長くこの交流が続くよう祈ります」とご挨拶させていただいた。

翌朝、ホームスティ先から子供たちが学校へ集まってきます。

子供たちは学校のバスに乗って【韓国民俗村】へ観光交流会。
私は皆さんのバスの出発をお見送りして、お別れしました。

和光学園では2006年から10年間の教育課程を特徴づける柱として【国際理解・異文化の教育】を実践し始めました。
行田稔彦校長は『日韓の両校の子供たちが直接、間接に、しかも安定的、継続的交流し、一粒の種はいくつもの実になって広がってゆく』と』語ってくれました。

OBとして日韓の間での異文化教育に微力ながらお手伝いできることは、本当に楽しく、やりがいを感じる次第です。
これからも卒業生のひとりとして、少しでも日韓をつなぐ支援ができれば良いなと強く感じました。
| mamiya | from-mamiya『和光学園』の話 | 22:32 | comments(1) | - | - | - |
【浦項(ポハン)製鉄西初等学校】の交流授業。日韓の先生も生徒も気持ちが熱かった。
『和光学園鶴川小学校』の4年生と5年生の有志が韓国の『浦項西初等学校』へ姉妹校の交流授業へ出かけました。
私は小学校の大昔の卒業生で、同窓会副会長、学園評議員。そして日韓姉妹校交流では学園を微力ながらサポートしています。
そんな関係で今回の韓国での交流授業へお声がかかり喜んで参加しました。

東京から生徒と先生一行が到着する前に、近くの安東市から一足先に学校に到着しました。
校内にはたくさんの歓迎の手作りポスターが貼ってありました。


なんと3年前の『ソウルへの徒歩の旅』でこの街を一緒に歩いてくれた浦項製鉄(POSCO)の幹部の韓福烈(ハン・ポクヨル)(右側)さんが、偶然にも学校の近くに住んでいて3年ぶりにお会いしました。金七龍(キム・チルヨン)校長先生と記念写真です。

和光の子供たちを待ち受ける子供たちです。

子供たちを乗せた歓迎バスが、ようよう学校に到着しました。

卒業生の私も「歓迎式」では和光の先生たちと一緒に並んで迎えていただきました。

さっそく生徒たちは楽しみにしていた各家庭にホームステイ。

教師同士は、別途、韓国の伝統的なお店で懇親食事会です。

私は日本から【イカとっくり】ならぬ【イカジョッキ】を持参し、1月に日本でお会いした金栄宗(キン・ヨンジュン)前校長へプレゼントしました。このイカジョッキは日韓の先生たちにも『大うけ!』でした。

翌日は学校のホールでの歓迎会は和光学園からの記念品授与から始まりました。

お琴のような『カヤグン』の演奏、『新郎新婦の踊り』に続いて、浦項の子供は制服姿で日本の童謡『故郷(ふるさと)』を「兎追いし彼の山、小鮒つりし彼の川、夢は今も巡りて、忘れがたきふるさと・・・」と見事に楽譜無しで空で歌いました。驚きです。

園田副校長はアイヌの「バッタの踊り」を覚えましょうと「交換授業」をしました。

教室では日韓の人物写真を並べて「共通点探し」というゲームのような授業をしていました。

われわれは「POSCO(浦項製鉄)教育財団」を訪問して、私立教育の目標や学校そのものの情報交換を行い、今後は生徒同士、教師同士に加えて理事会同士の交流を始めようと提案されました。

夕方には海辺の食堂で交換会を行おうと案内された場所は、3年前に迎日湾(ヨンイルマン)を眺めながら歩いた道。あの日のことが昨日のように思い出されました。
対岸にはPOSCOも見えるお店です。

食事会は海の幸がいっぱい。
西初等学校の教師の気持ちは本当に熱いものがありました。

ちなみにお店の外が明るいのは、日没が東京よりも一時間近く遅いのです。この写真は7時近くに撮影しています。夕方早くから先生たちがお酒を飲んでいるわけではありません〈笑い)。念のためです。

さて翌日はソウルへ参ります。(続く)
| mamiya | from-mamiya『和光学園』の話 | 00:21 | comments(0) | - | - | - |
浦項(ポハン)から、こんにちは。
安東(アンドン)から浦項(ポハン)にやって来ました。
今日の午後、東京から和光学園の後輩達が到着します。
鶴川小学校の36名の仲間が韓国の姉妹校の浦項製鉄西初等学校と
交流授業を行う為にやって来るのです。

私が早めに学校に到着すると、既に歓迎の準備が出来ていました。
みんなを泊めてくれるホームスティの家族が、今や遅しとばかりに待っていました。
私は1月に和光学園に交流授業にいらした金栄宗(キム・ヨンジュン)校長と再会を楽しみながら、可愛い後輩達の到着を待ちました。


翌朝は学校のホールで歓迎式です。
両校の挨拶の後は子供達のステージ公演の発表会です。
カヤグンという琴のような楽器の演奏です。伝統的なアリランが流れて来ました。


私も挨拶に立ち、大昔の先輩で、学園の役員なのですが、
何よりも韓国との縁、特に徒歩の旅での浦項との関係を韓国語で挨拶しました。
和光の子供から「間宮さんは、やっぱりハーフなんだ」と思われてしまいました。

続いて和光学園の返礼です。沖縄地方に伝わる昔の踊りです。


新郎新婦の楽しい踊りです。とても可愛いお婿さんと花嫁さんでした。


園田先生と上野先生が浦項の生徒達にアイヌの踊りを教えています。
子供達は、やさしい歌と踊りを楽しみながら遊び、すぐに覚えてしまいました。
教え方も上手いですが、子供の国境をこえた順応性の高さに脱帽しました。


夕方から、教師同士の交流会議に参加しました。
その後で、夕食会は迎日湾(ヨンイルマン)に面した海辺の刺身屋。
3年前に浦項から江口(カング)へ向かう道に面した店です。
徒歩の旅の思い出が一気に湧き上がり、
西初等学校の校長のこころ配りに感謝しました。


一夜明けて、今日はソウルへ戻ってきました。

その理由は、もう一つの和光学園小学校がソウルのデューレ小学校と
姉妹校提携をしていて交流授業を開催中なのです。
浦項から高速バスで移動し、11時過ぎに学校に到着しました。
午後からの交流イベントで御神楽を演じています。


詳しい話は、帰国後に報告します。

| team-mamiya | from-mamiya『和光学園』の話 | 23:22 | comments(2) | - | - | - |
【恒例:卒業式の来賓】で高等学校、小学校の卒業式に出ました。そして韓国へ。
母校の和光学園の同窓会役員と学園評議委員を仰せつかっている関係で、
この季節はOBとして学園の式典にお招きされることが多くなりました。
5年間もソウル赴任で、この役目を返上していたために、
周りの事務局仲間が【5年分のツケ】を返すように連続で分担を決めてきます。

今回は和光学園高等学校の卒業式です。

土曜日なので父母席には文字通り「お父さん」の姿が目立ちました。

約40名のクラスが6組。およそ240人の卒業生です。

校長先生から卒業証書を一人ずつ授与されます。
後半は卒業生の企画で式は進みます。

15分の学園の生活の記録。DVDの編集技術はたいした物でした。

二つのバンドグループが演奏しました。
卒業生の衣装は前回同様にファッションショーのようでした。
和光学園らしい個性あふれる競演でした。

「○○耕」君を先生が緊張のあまり【耕太郎!】と。
「えっ!耕太郎でね〜よ!!」と。
会場がどっと沸きました。


さて週があけて、同じく鶴川小学校の卒業式。

卒業生入場の前は「思い出の写真」がステージに流れています。

舞台には主役の卒業生が勢ぞろいです。
こちらは2組で約80名。90%が和光中学へ進学です。

園田副校長の司会で式が始まりました。

卒業証書は会場のど真ん中で授与です。

和光学園はあくまでも子供が主役なのです。

さて、今月は【和光学園】月間です。
4日は鶴川小学校3年生、4年生、5年生への特別授業。
8日は鶴川小学校のバザーで康明洙(カン・ミョンス)さんのサムルノリ公演と私の講話。
12日は和光大学で『法人評議委員会』に出席。08年度予算案の承認です。
15日は和光高校の卒業式。
17日は鶴川小学校の卒業式。

そして20日には「韓国行脚」へ出かけます。

大きな目的は和光鶴川小学校と浦項(ポハン)西小学校の姉妹校・交流授業。和光小学校(経堂)のソウル・ドゥレ小学校の姉妹校・交流授業にOBとして参加するのです。
身の丈『日韓交流』でOBの立場で母校小学校の『交流授業』のサポートです。
浦項(ポハン)は私の徒歩の旅でも重要な街でした。一緒に歩いてくれました浦項製鉄(POSCO)の役員・韓福烈(ハン・ポクヨル)さんとも連絡を取ってお会いします。3年ぶりにお会いでき、とても楽しみです。
つまり結構、有難く楽しんでいます。

それでは、行ってきます。

次回は「ソウルから、こんにちは」です。

| mamiya | from-mamiya『和光学園』の話 | 10:54 | comments(0) | - | - | - |
『太鼓よ!響け』。週末の和光学園は「サムルノリ」で燃えました。バリアフリーエレベーター実現のバザーです。

「体の不自由な友達のためにエレベーターをつけてほしい」という児童会の要求に、父母たちが賛同し「子供たちの願いを実現したいので、バザーをしませんか」と学校側に相談したそうです。子供の願いと父母の熱い思いに背中を押されて学校側もエレベーター設置を決意した。
昔から和光学園の特徴は生徒、父母、教師の【三位一体】となって何事も決められてゆく。良い意味での伝統です。
異文化・国際理解教育を柱にして、1月には浦項(ポハン)の小学校が和光に交流授業で訪問し、先週は私の【韓国について】の特別学習(3/4のブログ)や3月下旬には和光が浦項へ訪問します。おりしも3学期は「コリア文化」にあふれる学期になりました。
そんなときのバザーなので同窓会役員で韓国に縁の深い私が日本と韓国の間に立ち、つなげる役目を果たしました。
韓国サムルノリの第一人者の金徳洙(キム・ドクス)さんの紹介で直弟子の康明洙(カン・ミョンス)さんの率いる韓国伝統打楽器サムルノリ【アンデミ ノルムセ】が学校のバザーに参加してくれました。


午前、午後と2回の公演です。早速早くからリハーサルです。

山脇さん(実行委員長)と三澤さん(司会)です。

食堂の炊事場ではお母さんたちがバザーのお店で売る食材を作っています。

校庭ではいろいろなお店の準備がにぎやかに進んでいます。

韓国の小物販売もあります。


メイン会場の体育館にはどしどしとお客様が集まってきます。

いよいよ、迫力ある太鼓と鉦の音にあわせてサムルノリの登場です。

まずは座って演奏するスタイルの【アンジュンパン】の演奏。20分の興奮です。

次には貴重な楽器体験コーナー。ちょっと練習しただけで子供たちは基本演奏ができたようです。
貴重な異文化体験です。
文化交流には大きい、小さいはない。どれだけ「熱い心」があるかによります。私の自論です。

舞台のチェンジの間、私が10分間【韓国に関する話】をしました。今日の「きっかけ」とサムルノリのすばらしさ。ソウルへの徒歩の旅から姉妹校のある「浦項」での話、最後に「昔の和光学園」について。あっという間に時間が過ぎてしまいます。

後半は立って動きながら演奏する【ソンパン】です。勢いよくクルクル回って演奏します。

この演奏をモチーフにして母は布の貼り絵で「韓国農楽舞」という作品にしました。
その絵はがきを今日はバザーに協力して販売することにしました。

母も元の父母会(親和会)の一員です。今日はバザーに来て絵葉書の売り上げをすべてエレベータ基金に寄付しました。
久しぶりに本場に負けない「本物のサムルノリの演奏」に興奮していました。

初めての経験で親子の作品がセットで1000円です。結構売り上げに貢献しました。

昼休みの校庭は太鼓の競演です。

園田副校長もお囃子で忙しい。

父母の「かつぎ太鼓」も力量あふれる演奏でした。

6年生の沖縄のエイサーはさすが最年長の実績です。

町田市の朝鮮学校の生徒による「サムルノリ」

午後の公演の最後は、本場でもそうするように舞台に駆け上がって一緒に踊ります。
そして記念写真。

最後は打ち上げです。
翌日の校長先生からのEメールによりますと、この公演が功を奏して相当の純益が出たそうです。
エレベーター工事も、もうじき始まります。父母たちの協力で成り立つバザー。鶴川小学校にとってバザーは学校づくりそのものだと思いました。
| mamiya | from-mamiya『和光学園』の話 | 21:06 | comments(0) | - | - | - |
母校の小学校で『特別学習』。小学校の先生って大変なお仕事ですね!でも!楽しい授業でした。
先日、わが母校の小学校で3年生、4年生、5年生に『特別学習』をしました。

和光学園鶴川小学校は、韓国の『浦項(ポハン)製鉄西初等学校』と姉妹校のために交流行事をしています。「鎌倉から、こんにちは」(1月22日)でも交流授業のことを記載しています。

今度は和光学園が韓国の浦項へホームステイしながら4年生と5年生の一部が交流授業に参ります。その一環で今日の企画が決まりました。

3時限目に4年生、4時限目に5年生、5時限目に3年生と40分の授業が3回続きます。


話の内容は「道、そしてギル」「日本と韓国=同じようで違う。違うようで同じ」「昔の和光学園」と写真を150枚くらい見せながらお話しました。

何しろ韓国富士フィルムを通じて東京本社からフィルム(新製品)を100本寄贈されましたので、目の前の【道とギル】=(ギル)は韓国語で道=を3000枚以上撮影しました。そのうちの一部分を見せながらお話をしました。
午前と午後に教室で各学年(2組80名)にお話をしました。
磨り減った靴を見ながら・・・。
パワーポイントの画面を見ながら一斉に驚きの声や「行った事ある〜!」とみんながそれぞれ画面にあわせて活発な質問を飛ばしてきました。実はちゃんと理解してくれるかなと一番心配した3年生が、むしろ興味深々と一番活発な質問攻めになりました。

特に「日本と韓国=同じようで違う。違うようで同じ」の部分では、各クラスで同じような質問が出ました。

韓国まで歩いたって。海はどうしたのぉ〜!
新聞記者も同じ事聞いたよ。新聞記者になれるね!

「準備」「約束」「散歩」「高速」「徒歩」「期間」「基準」。韓国も発音がそのままで意味も同じです。
えっ〜!!

これは韓国の食事だよ。

お皿がいっぱい。キムチがたくさんあるな。お茶碗が金属だ。お箸がたてに。どうして〜。

田舎では古い家を利用した駅です。国鉄だよ。

わっ!江ノ島駅みたいだ。

これ何〜だ?

グリコのポッキー!。実はロッテのペペロ。

日本と違うのは、お兄さんたちは2年間も軍隊に行くのだよ。

わー、死んじゃう。だめだよ。

二人でさば街道を歩きました。

二人!?。この写真、誰が撮ったの。ちゃんと考えて見ています。

南大門です。ゴールまではあと500m!。

南大門だ。この間、燃えちゃったんだよね!韓国の人どんな気持ちなんですか?かなしいでしょう。

帰りも歩いたの〜?!

な〜んだ!

子供たちは日本も韓国も笑顔が同じことに気づき、景色が同じようで、同じ発音の言葉がたくさんあると気がつきました。。

早速、感想文が先生から届けられました。お昼休みに全員が書いてくれたようです。
そのごく一部です。

ひとつずつ、質問には答えを書いて送ってあげることにしました。

「宣伝会議」の講座や関連会社「マスメディアン」のセミナー、街での「講演会」でいろいろと話をする機会がありましたが、今日はとても楽しい後輩たちへの講話でした。でも小学校の先生はたいへんなんだなぁ〜と感じました。
教室の子供たちのキラキラした瞳を思い出しながら、また、いつかお話に行きたいなぁと思った次第です。
| mamiya | from-mamiya『和光学園』の話 | 09:53 | comments(2) | - | - | - |
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