2015.11.05 Thursday
あれから4年半。初めて東日本大震災の被災地へ行きました。多くのことに気がつきました。
小林節子さんのリングリンクホールのイベントの打ち上げで田中博さんとは何度も会っていました。
先々週の原村で田中さんが、毎年新米が出来た頃に東日本大地震の被災地へお米を持って炊き出しに行くと聞きました。
震災直後鎌倉市がピンポイントで石巻市を交流支援をしているグループに参加することになっていましたが、
急な家庭の事情で参加ができませんでした。
今回、支援地区は異なっても同じ気持ちだということで、
田中さんの「ほんわか健康村」の炊き出しイベントに参加させていただきました。
被災地へ行って初めて気がついたことがありました。
昼の訪問地域は「愛島(めでしま)東部団地」、夕方からは「美田園(みたぞの)第3団地」。
そうか団地ができたのか。もうそんなに復興したのかと。
行ってみて自分の思い込みに恥ずかしさを感じました。
よくテレビで見た仮設住宅の集合を団地と名乗っていたのです。
そのことが象徴しているように、すべてが現場で初めて理解ですることばかりでした。
我々の到着と同時に東北大学の学生10名が我々と一緒に炊き出しの手伝いで現地に来ていました。
李仁子(イ・インジャ)教授の文化人類学ゼミの学生たちでした。
早速サンドイッチ作りやテーブルセットを手馴れた様子で始めています。
仮設住宅のお客様が集まりだしました。足の悪い方には椅子の席も準備しました。
田中博さんの挨拶で懇親会が始まりました。
新鮮な刺身、手巻き寿司、サンドイッチ、かぼちゃのおもちなどが並んでいます。
食後はビンゴゲームや歌を楽しみました。あっという間に時間が過ぎてゆきます。
食後はビンゴゲームや歌を楽しみました。あっという間に時間が過ぎてゆきます。
懇親会の最後は持参のりんごや新米のお土産です。
学生がきれいに会場の掃除を済ませて皆さんとお別れです。
愛島地区は海の近くの閖上(ゆりあげ)地区の方々が多く住んでいます。
ゆくゆくは閖上に戻りたい方や方針を決めるまでなどいろいろな事情で、しばらくはここを離れません。
しかし沢山の女性の方々の参加で、本当に賑やかに楽しんでいただけたようです。
次は田中さんが4年前からピンポイントで継続して訪問している「美田園地区」へ移動です。
この地区は28世帯の施設ですが、既に代替地へ移転できた方が多く、現在はわずか8世帯だけになっています。
仮設住宅を見て回っても、既に部屋はガラガラです。
来年3月末には、この仮設住宅は取り壊しが決まっています。
来年はどんな形で炊き出し訪問をするのか相談が必要ですね。
来年3月末には、この仮設住宅は取り壊しが決まっています。
来年はどんな形で炊き出し訪問をするのか相談が必要ですね。
そういう訳で、既にここを出て行かれた方々が御夫婦や子供連れで久しぶりに集まってきました。
彼らどうしの同窓会のような感じもありました。
今回は特上具沢山の豚汁が加わりました。
10人の内6人が女学生です。3人は中国からの留学生です。(誰だかわかりますか)。
懇親会はお酒も入って、とても賑やかな会になりました。
私自身、昼とは違い、仮説の皆さんとの距離感が理解できて、少し深い話題でお話ができました。
中にはご家族を津波で失った方々も居ますが、何故か、みなさん明るいのです。よく笑います。
理由は簡単。新築して3日目に、一瞬のうちにあの津波ですべてが流された方、30分も津波に流されて偶然助かった方。
様々な経験をされたされたのに、前だけを向いて歩いて行かなければならない。だから笑うしかない。
2時間の懇親会も一旦終了です。この会もあっという間に終わりです。
しかし会場を移して、まだまだ二次会が続くのです。
その訳はゼミの李教授が、石巻でシンポジウムを済ませて食事も足らずに遅れて参加されるからです。
中国の留学生だから先生は中国人かと思っていましたら、李仁子教授は韓国の方でした。
先生は20年近く日本に滞在していますが、少し韓国語でお話させていただきました。
全ての皆さんが解散しても庭に出て学生たちから今日のボランティアの活動報告を一人づつ聞いています。
ボランティア活動をフィールドワークという表現をしているのも興味深く感じました。
この日は仮設住宅の集会所で持参の寝袋で休みます。
沢山の座布団が大いに役に立ち、背中も痛くなくゆっくり休めました。
一番左が主催者の田中博さんです
沢山の座布団が大いに役に立ち、背中も痛くなくゆっくり休めました。
一番左が主催者の田中博さんです
翌日の被災地視察の様子は次回の報告をお待ちください。