朝鮮通信使とは、当時鎖国していた日本に李氏朝鮮から派遣された外交使節団。
江戸時代に将軍が変わるたびに前後12回派遣されていた。
約500人前後が正史、副使、書状官を先頭に半年から1年かけて往復した。
その通信使を友情ウォークとして日本、韓国、在日韓国の市民がチームを組んで、
4月1日から53日間をかけてソウルから東京へ歩いてくる。
2007年に始まった「朝鮮通信使友情ウォーク」(第1次)から1年おきに実施される。
「鎌倉ーソウル2328キロを歩く」で2005年からのご縁があり第1次ウォークから、
地元湘南付近の小田原―藤沢、藤沢=川崎、川崎―江戸城に参加している。
2013年の第4次ウォークは、ソウルの慶福宮からのスタートにも参加した。
今年から最後の三日間は箱根湯本=平塚(20日)、平塚=戸塚(21日)、
戸塚=川崎(22日)。23日の最終日は川崎から江戸城(日比谷公園)に変わった。
それなので、それぞれ一日で歩く距離が少なくなった。
今年は21日と22日が、予定が空いているので参加する事にした。
ところが21日は朝から風雨が強くて、傘も差せないほどの強風と大雨。
残念ながら徒歩の参加はやめて、夕方の戸塚到着時に出迎えに参加した。
私の80日間の「鎌倉ソウルの徒歩の旅」でも、経験しなかったほどの荒天だった。
翌日、22日は朝から快晴で、戸塚からの出発に参加した。
ソウルから東京までの全行程の参加は日韓で35名。
今日の徒歩の距離は26キロ。ディ参加は30名ほど。大行列になった。
私の「鎌倉ソウルの徒歩の旅」の一日平均距離は35キロ。
今日は、あまり負担の無い距離だ。
戸塚宿、吉田一里塚、焼餅塚、境木地蔵尊、保土ヶ谷一里塚、神奈川一里塚、
東子安一里塚、生麦事件発生現場、道念稲荷、市場一里塚、川崎宿と、
旧東海道を中心に歩く。大体、東海道線(湘南電車)に沿って歩くのだ。
しかし、旧道を歩くので、ほぼ住宅街や商店街を中心に歩く。
今回はソウルの東国大学の英語の教授と英語ではなくて韓国語で話した。
韓国から参加した方々とは、日韓のぎくしゃくについても良く話せた。
このイベントに参加している方々は政治と民間は切り離して考える方が大いのだが、
それにしても韓国の方々は、やはり大統領の考え方、行動には疑問を持つ人が多かった。
こういう声が、もう少しマスコミ通じてでも、表に出てこないのが本当に残念だ。
この一行の幹部も高齢化が進み、幹部の世代交代ができていない。
2021年の第8次のイベントはどうなることだろう。
朝鮮通信使の関連資料が2017年10月に、
ユネスコ「世界の記憶遺産」登録されたことは、喜ばしい。