ある朝、地元のFMラジオから観光人力車夫の青木さんが番組に出ていた。
30年以上も鎌倉で人力車の風景を創った男として取材を受けていたのだ。
そんな青木さんに、かねてから興味を持っていた。
3月末に英国人とドイツ人の知人を鎌倉案内している途中、ふと立ち寄ったコーヒの店。
若宮大路の店の前に、客席に赤い敷物を敷きピカピカに磨かれた人力車が止めてあった。
見事な赤と黒のコントラスト、まじかに見た伝統的で魅力的な人力車の姿だった。
店の中に入ると入口のそばの席に青木さんが休憩していた。
「青木さんですよね。前からラジオでお話を聞いていました。少しお話できますか」と。
青木さんとは気軽に話ができ、写真を撮らせていただき名刺交換までさせて頂いた。
同行の外人仲間も日本的な衣装の出で立ちが珍しいと、喜んで撮影させてもらった。
青木さんはフェイスブックをされているので(ともだち申請)、その日のうちに(ともだち)になった。
さっそくフェイスブックで、その日のお礼と著作を購入する約束をした。
「人力車が案内する鎌倉」(光文社新書)と、のちに、
「鎌倉には青木さんがいる」(出版社1ミリ)を手に入れた。
前者は鎌倉で人力車の仕事を始めて20年目に出版された。
人力車人生と鎌倉の案内になっている。
後者は鎌倉出身で、最近一人で小さな出版社を立ち上げたばかりの若い古谷聡さん。
出版社1ミリの第1号出版として青木さんにアタックして、見事快諾を得て出版になった。
青木さんが創業35周年という絶好のタイミングでもあり双方偶然が叶い出版に至ったという。
青木さんの語りという形で、編集の古谷さんが聞き語りを上手くまとめている。
そのころ私も地元の古谷さんの存在を知り、近くの店でいろいろな出版談義をしている。
ある時鎌倉にある川喜多映画記念館で青木さんの映画とトークショーがあることを知った。
鎌倉シネサロン 有風亭 青木登かまくら案内
「力俥 RIKISHA」 上映+トークイベント 6月8日 14時上映
さっそく当日、会場へ向かった。
「力俥 RIKISHA」鎌倉純愛編(25分)、「力俥 RIKISHA」草津熱湯編(32分)
短編2本を堪能した。
トークイベントは青木さんと監督のアベユーイチさんの舞台出演だ。
脚本のむとうやすゆきさんも後半で舞台に加わった。
アベ監督がフランスニースでの上映機会を誘われた話からいきさつを説明。
鎌倉とニースは古くから姉妹都市の関係を続けている。
同時に鎌倉を舞台に青木さんの存在にこだわっていた脚本家(むとうさん)と
監督(アベさん)の二人のマッチングで、鎌倉の青木さんの物語の映画化はまとまった。
偶然に偶然が重なるご縁の末に出来上がった映画といえる。
青木さんは人力車操行の監修で撮影全作業に関わったという。
70歳の青木さん以外は、本当に若いスタッフが集まって映画製作された。
それも最初の二本の映画は自主製作。ポケットマネーで苦労して製作したという。
一本を4,5日で撮り終わったという。
既にこの後、東映のサポートがあり「浅草立志編」「すみだ旅立ち編」が撮影済みだという。
川喜多映画記念館での上映が楽しみだ。
開業したころの青木さん。
最近は鎌倉駅の裏駅でも小町通りでも体格の良い日に焼けた若い青年達が客引きをしている。
新手の大手会社の人力車ビジネスだ。
青木さんは、そんな客引きをする車夫が少なくない中、
開業以来35年、頑なに「客引きをしない」ことを信条としている。
普段は北鎌倉の円覚寺前で、お客様を待機している。
日焼けした笑顔がチャーミングな、お話ししていても素晴らしい職人だと思った。
麗らかな鎌倉の風景の中に、小柄ながらもがっしりとした体躯。
藍染めの半纏に、茄子紺の股引。真っ白なはだし足袋とのコントラストが精悍な印象を与える。
短く刈り上げられた白髪混じりの頭には細くねじった豆絞りがきりりと食い込む。
日焼けした健康そうな顔に刻まれた数多くの皴が、長年の経験に基づく確かな信頼感をも物語っている。
編集を担当した古谷聡さんの青木さんを描写した一文である。
トークの後半で1ミリの古屋さんも出版に至るエピソードをコメントしていた。
前に本人から聞いた話だが、本当にいい話だった。
最初の著書では、青木さんは当初70歳まで車を引くと言っていたが、
最近の著書では、100歳まで生きて90歳まで車を引くと言っている。
これもいい話で、すごい話だ。