鎌倉から、こんにちは

「鎌倉発、韓国ソウルまで。」
徒歩の旅を終えて、ずいぶん時が経ちました。
鎌倉の事、徒歩の事、その他の事。
鎌倉から日常のあれこれをお伝えしていきます。
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13日は存命ならば104歳の父の誕生日。母が書いた手紙。べらたけ日記。

 

 

私は小さい頃、父親から爐戮蕕燭鵜瓩噺世錣譴討い拭

べらべらしゃべるおしゃべりな武美だから爐戮蕕燭鵜瓩覆里澄

父が亡くなって37年が経った。

存命であれば8月13日に104歳を迎える。

 

「お父さんが亡くなって3年になりますね。

戦争という大変な時代を過ごしたようですが、

息子さん思いのいいお父さんでしたね」

 

 

私が営業部長に昇格したお祝いに、渥美清さんから代官山の小川軒に呼び出された。

まるで映画の寅さんのようにしみじみとした口調でぽつりと言われた言葉だ。

 

当時藤沢に住んでいた父親を、ある時に何かの打ち合わせで、

大船の松竹撮影所へ案内したことがあり、

撮影の合間に楽屋で父は渥美さんと二人きりで話した事があったのだ。

 

『僕たちの広告時代』の読後感を友人が送ってくれた。

貴兄が幼児時代に「べらたけ」と父親に呼ばれたが、大人になってから

仕事で努力した結果、お父様に渥美さんとの二人だけの思い出という、

良い土産を与えて大変良い話だと思いました。

ありがたい視点の友人の読後感だった。

 

 

父は伊勢の船江地区で大きな商家を営んでいた実家に次男として育った。

 

 

父の父(元助。後の貞次郎)30歳で亡くなった。

 

 

何でもかんでも長男主義の古い家系で、父は自分の母親(しず)に対して、

「何も財産はいらないが、教育だけはちゃんと欲しい」と言った。

 

 

宇治山田の高等商業学校を経て名古屋高等商業学校(現在の名古屋大学・商学部)に入学。

 

 

名古屋高等商業学校ではバレーボールの主将。

真ん中で優勝カップを持っている。

 

 

「多のしかり志 学生生活」と砂文字。

 

 

そして三井生命に就職した。

 

 

当時、同じ課に入社早々の母がいた。

日本橋の三井ビルには、関連企業がたくさん入っていた。

社員食堂へ行くと、関連企業の男性が母を注目し爛潺校旭罩瓩噺世錣譴訛減澆世辰拭

 

 

母の(その)さん。

 

父は一目散に母(しず)と連名で、母(九十代)の母(その)と長兄(賢一郎)へ、

求婚の手紙を送った。

母(九十代)の気持ちを十分に確認もしないで行った行動だった。

それ程、他の三井マンにとられたくないという気持ちがそうさせたのだろう。

 

 

父はその後、士官候補生として従軍した。

 

 

熊本陸軍教導学校で士官候補生として学び、北支へと転戦した。

 

 

陸軍歩兵見習い士官として中国河水省上陸。

 

 

李香蘭(山口淑子)の慰問を受けたこともある。

 

以降、陸軍少尉として第23大隊本部教育隊へ着任。

また、陸軍中尉として軍司令部に出向、山東省特務機関副官を任命される。

その後、北支で部隊を転属し、五年後には釜山港から門司港へ到着。

 

 

この張店駅発行の切符が無かったら、私の人生もなかった。我が家の命綱だ。

 

その後静岡の聯隊で招集解除。

 

 

私の手元には父の5年にわたる「軍歴表」がある。

日本へ帰還した時は陸軍中尉として調布飛行場隊第3隊長として、

警備再招集されたが、それで戦争は終わった。

 

 

兄の和一(のちの貞次郎)と。

 

 

すぐに地元の伊勢神宮の外宮の近くにある「猿田彦神社」で式を上げた。

昭和18年(1943年)10月10日の事だ。

写真は、どこかに仕舞忘れた。家のどこかにあるはずだ。

 

 

 

最初に親子で住んだ場所は東京、杉並区の下高井戸だ。

私はそこで生まれた。

 

 

私の産土神は「下高井戸八幡神社」になる。

 

 

4年前の父の誕生日に、お世話になっているホームで書いた母の日記だ。

 

「お父さん、お誕生日おめでとう。100歳になりましたよ。

一緒に迎えられなくて残念です。でも百歳になったのですよ。

私は九拾五歳になりました。

元気に過ごして、これからは自分なりに楽しさを見付けて、

皆と楽しく暮らして参ります。

見守っていてくださいね。

元気がなによりと思い、これからも子供たちと楽しく余生を過ごして参ります。

見守っていてくださいね」

 

この手紙をSNSで妹たちに送ると「読んでいて涙が出てきた」と。

 

母は今、99歳5か月という年齢相応の病で治療のために入院中だ。

いま車椅子での日常が復活するようリハビリ中という。

現在、病院は面会謝絶。

 

 

いつものようにホームでアクリル板越しで会うこともできない。

 

私の家系は父親が伊勢育ちのために神道なのだが、

季節的にお盆の頃には、このような故人を偲ぶブログもありだと思う。   

 

母は佐渡の生まれだ。

幼少の頃、父(精一)をなくした。

母親(その)と子供たち6人は、佐渡から東京の荏原区に転居した

 

この話は、別のタイミングで書きたい。

 

私の所属する句会での「リモート吟行句会」の兼題が犧甘篭禮圻瓩世辰拭

現在、会員間で23日までは選句中なので、投句しなかった句を2句詠んでみた。

 

 

赤玉の首飾り買う母娘秋 武舟

 

 

 

旅の秋赤い襷のたらい舟 武舟 

 

投句した5句については、また後日に説明したい。

 

 

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