鎌倉から、こんにちは

「鎌倉発、韓国ソウルまで。」
徒歩の旅を終えて、あらたなスタート!
鎌倉から日常のあれこれをお伝えしていきます。
野球部のOB会、勤務先のOB会、また、ほかにもOB会はありますが……

 

 

都立高校の野球部OB会は今年10周年、勤務先のOB会(錦会)は30周年、

勤務先OBが大学などで教壇に立つメンバーのOB会も今年で10周年。

大学の放送研究会のOB会(放研三田会)は昨年20周年を迎えた。

節目のタイミングには記念行事のために、様々な周年企画に工夫をするものだ。

 

その中で私が一番力を入れているのが「放研三田会」だ。

 

 

毎年初夏の頃に三田キャンパスで「総会」を開催する。

第1部は大ホールで総会とイベント企画、第2部は大食堂での懇親会。

毎年定額の会費を取らずに、総会のイベントに参加する参加費が年間の収入になる。

会員数は1200名。常に活動に熱心に参加する仲間は150名ほど。

このために芸達者のメンバーがイベントに力を入れる。

参加者が増えないと収入が増えないからだ。

 

 

親友の同期のM君が病に倒れ急逝し、ピンチヒッターで(事務局統括)を5年間務めた。

 

 

放送界で知名度の高い先輩後輩がボランティアでイベントの中心で支えてくれる。

今回はフリーアナの魚住リエさんが協力してくれた。

イベントを企画プロデュースする後輩達も若き頃の【放研魂】を発揮して、

企画作りにDNAを受け継いでくれた。

 

 

課題だった資金面も活発な分科会活動を実行しても、安定した繰越金を残せるようになり、

数年前に世代交代で大役を後輩に譲ることができた。

今は事務局担当の副会長として、黒子になって後輩を支えている。

 

 

次に私が力を入れているのが高校野球部のOB会。

 

 

 

私たちは野球部72年の歴史の中で、かなり初期の先輩である15期にあたる。

私は一年からレギュラーでサードを守り、三年ではキャプテンを任された。

そんな流れで、今でも役員の一角として活動を支えている。

 

 

一昨年、野球部70年を迎え「70年記念誌」の発行に奔走した。

OB会が活性化するのは仲間の協力が必要だが、

なんといっても現役が夏の大会などで強くなって試合で活躍してくれることが一番だ。

 

 

 

そうすれば球場にOB達が足しげく、何度も応援に駆けつけることができるからだ。

西東京大会で5回戦のベスト8で準々決勝まで、唯一の都立校として勝ち進んだ。

ことしの現役の活躍は、すでに前回の掲載で詳しく書いた。

秋に予定している「10周年記念イベント」の準備も着々と進んでいる。

夏の大会の現役の活躍を背景に。盛会になることを祈っている。

 

博報堂のOB会は「錦会」という。

明治28年(1895年)に創業し、大正になり神田錦町を

活動の本拠地にしたことから「錦会」となったようだ。

ことしで創立30年になる。

私は引退して約15年になるので半分の歴史を供にした事になる。

 

 

年1回の総会にただ参加して、たまにゴルフ会などに参加し、

たまに会報誌1ページに駄文を投稿する程度の会員だ。

現在、私の親しい後輩が会長、運営のコアメンバーになっているので、

少しでも頑張ってほしいと思い、投稿などで応援している。

先日の30周年記念行事は、約130名のOBが本社のパーティー会場に招かれ、

相談役、会長、社長、関連会社の社長などと懇親を深めることができた。

 

 

参加者の中に私が韓国赴任中に親しくお付き合いのあった二人の幹部が特別参加していて、

久しぶりに友情を交わすことができた。

 

もう一つ、会社を引退して大学教授などの経験者で構成するOB会がある。

当初、私は宣伝会議で講義していた関係で参加を希望したが、

「君は社会人を教えているので、会の趣旨とは違う」と会長に入会を断られた。

幹部の世代交代で「君のような現場経験者が、むしろ必要なのだ」と新会長から会に誘われた。

 

 

そのOB会が、今年10周年を迎える。

私は会の中心には交わらずに、今でも業界生活をしている人間として、

外側から傍観者的気分で会に参加している。

今回、10周年記念イベントの基調講演をどうするかということで議論が白熱している。

その候補になっている「デジタル大改革」の自論を主張する学者と、異論を唱えるメンバーとの間で収拾が付かずに数名の退会者もでる騒ぎになった。

 

私はこの4月から業界生活50年。

携帯もない、メールもない時代から暴れた業界経験者の私は、

今やインターネットなどの出現で大きく社会のコミュニケーションが変わって、

今では浴びるようなSNS手法の時代が到来した。大きな変革の時代を現役幹部として、

170名の制作会社の将来を考えている身にとって、

学者の立場での上から目線の具体論にかけた論文は性に合わない。

誰に向かってアピールしたい基調講演なのかも不明だ。世話人会の奮起を待つだけだ。

大いなる疑問を抱えて、今後このOB会に参加を続けるか、否かを考えているところだ。

 

 

私の業界の生き残り戦略は、現場に基づくものだから……。さて。

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 11:52 | comments(0) | - | - | - |
梅雨も明けないのに、球児の夏は終わった。しかし、素晴らしい夏だった。

 

 

私は小さな頃から野球少年だった。ポジションはファースト、サード、ピッチャーなどいろいろなポジションを経験した。

特に高校時代は、杉並区にある都立の有名進学校だったので、かなりの時間は学業には励まなければならなかった。  

学業以外の時間は本当に野球中心の生活だった。

20名弱の硬式野球部の中で、運よく幸いなことに一年生からポジションの空いていたサードでレギュラー選手になれたのだ。

 

 

3年生ではキャプテンとしても部員をリードするために真っ黒になってチームを引っ張っていた。

高校を卒業して既に56年の月日が経った。

 

 

後輩の豊多摩高校野球部の現役選手たちは、西東京大会でベスト8まで勝ち残った。

その試合に勝てばベスト4となる準々決勝に臨んだのだ。

8校の中で唯一の都立高校だ。

結果は創価高校に7対0のコールド負けに終わったが、野球部史上初のベスト8だ。

 

今年は組み合わせにも恵まれた。

初戦は2回戦から登場。

相手は56年前の3年生の時にシード校だった我々は「専大京王」に、15対0でコールド負けをした苦い思い出がある。

長い間、野球部仲間で語り草にもなっていた。

 

 

現役選手が多摩一本杉球場で専大付属高校(元:専大京王)に、4対3で見事にリベンジしたのだ。ありがとう。

 

 

3回戦は「都市大付属高校」。5対2と危なげなく勝った。

 

 

4回戦は「都立松が谷」。都立高校同士で、ベスト16同士の戦い。

4回に1点入れられたが、6回に同点、8回9回に1点ずつ加点。3対1で勝利。

練習試合では負けていたという。

 

 

5回戦はやはり同じ立川球場で「都立練馬高校」。

初回に3点も取られたが徐々に点を取り返し、4対4で延長戦。

延長13回からは大会ルールによるタイブレーク方式。

ノーアウト1塁2塁からゲーム開始。

いつでも点が取れるチャンスだが、両校ともピンチを切り抜けた。

 

 

14回の裏、豊多摩は右中間ヒットで3塁ランナーがホームに駆け込み逆転サヨナラ勝。

2年前の初戦で負けたチームだ。快挙。

 

 

23日は、いよいよベスト8同士の試合だ。

相手チームは「創価高校」。手ごわいチームだ。

準々決勝は神宮球場での戦いだ。

 

 

創価高校の応援席を豊多摩は学生、父母会、OB仲間とはるかに超えた仲間が集まっている。

 

私が1年生の夏大会は東西に分かれる前の150校以上の東京大会だ。

開会式は神宮球場に選手一同が集まり行われた。

 

わが豊多摩は直後の第一試合をマネージャーがくじを引いた。

私はあの長嶋の立っていたサードで興奮していた。

高校のグランドと違って、明治神宮のグランドは鏡のような平らなグランドだ。

ノックのボールはスルッと私の股をくぐる。2球続いてトンネルだ。

ネット裏から笑い声が聞こえた。

 

 

私は7番サードでヒット1本。

 

目標の西東京の8強は、甲子園出場経験のあるチームが名を連ねている。

その中で都立高校は豊多摩だけだ。

豊多摩の先発投手は控えの背番号10の森君。

3回戦以降先発で、いい仕事をしてくれてエースの宮下君につなげてきた。

1回表のショートへのゴロ、1塁への送球がそれて3点目。

それがなかったら1点にとどまり、試合展開も変わっていたかもしれない。

宮下君に変わり創価高校は2回から4回までノーヒットが続いた。

 

 

しかし手ごわいチームだ5回に3点、6回に1点と宮下君になれたのか、猛攻撃が続いた。

結果は7回コールドで負けた。

 

7月11日から23日まで約2週間で5試合すべて応援できた。

野球部OB会の我々は、当時の野球少年に戻って、素晴らしい夏を味わった。

素晴らしい試合を見せてくれて、本当にありがとう。

 

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 13:49 | comments(0) | - | - | - |
梅雨もなかなか明けない中、このところ、時はあっという間に過ぎていく。

【知能機能検査】

 

 

カタナ、アコーディオン、脚、テレビ、

かぶとむし、馬、かぼちゃ、包丁、

筆、ヘリコプター、パイナップル、ズボン、

すずめ、ひまわり、のこぎり、ソファ。

以上16個の絵が4枚ずつ4回にわたりスクリーンに数秒現れる。

次に簡単な別のテストを行い、白紙にすべて記憶した単語を16個のうち思い出した分を、

書かなければならない。

運転免許の更新における年齢が75歳になるすべての運転者が受ける「知能機能検査」だ。

 

 

このほか、ライフル、琴、おやゆび、…や、

大砲、オルガン、耳、…や、

タンク、大砲、目、…。

武器、楽器、人体の一部、家電、昆虫、動物と、それぞれ16個の単語の4つのパターンがある。

最初はその試験日が何年、何月、何日、何曜日を記入する事から始まり、

自分で丸く書いた時計の文字盤に指定の時刻を短針と長針を書き込むテストがある。

最後に救済があり、(武器は?)(楽器は?)(人体の一部は?)など思いだしてと聞いてくる。

これにより記憶が呼びもどり75点以上であれば、問題なく免許証がもらえる。

ある点以下であると医者の診察を受け認知症と判断された場合免許は公布されない。

 

高校のクラス会で100点を取った友人がいた。

彼はネットで調べて4種類の問題をすべて覚えた。私も真似てみた。

 

 

一番得意な組み合わせはタンク、太鼓、目で始まる組み合わせだったが、

与えられた時間で、カタナ以下の単語を、なんとかこなせた。

いつまでたっても試験は嫌だ。

 

【鎌倉の花火】

 

 

鎌倉の人気花火は、なんといっても水中花火だ。

これは、一度でも良いので鎌倉以外の他の地区の方でも楽しんで戴きたい。

観覧の中心は由比ガ浜と材木座海岸だが、坂ノ下、逗子マリーナからの観覧もお勧めだ。

沖合を走る花火船から海に投げ込まれる水中花火は圧巻だ。

 

 

彩とりどりの光が水面で大きく半球状に割れるさまは、鎌倉人にとっても感動的で、

初めてご覧になる方々は、少し大げさだが、あまりの美しさに絶句する。

ことしは例年よりも2週間早い7月10日に開催された。

その理由は2500発の花火の火薬は、通常港の無い鎌倉は近くの江の島港から運び出される。

ことしは、江の島で行われるプレオリンピックの準備のため江の島港が使えないために早まった。

そのために告知の徹底が弱く、通常は学校が夏休みでないために子供連れの観客が大幅に減った。

いつもの江ノ電の混乱も少なく、歩道を歩く観客数も、坂ノ下の浜辺の観客も、いつもより少なかった。

席取りのトラブルもなく、空いているスペースに楽には座れた。

 

 

ことしは特に打ち上げ花火も水中花火も、彩とりどりで、例年より本当に美しい。

昨年は風向きの関係で、花火の煙が文字通り煙幕となって、

後半は花火が浜から全く見えない時間帯が多かった。

 

【高校野球】

 

 

私の母校が杉並区の都立の進学校で、当時は部員も少なかった。

幸い1年生からポジションの空いていたサードでレギュラー選手になれた。

最近では当時と違って、部員も40人を超える少しは強いチームなり始めた。

我々OBは10年前に野球部OB会を創り、会員相互の親睦も大事だが、

現役選手の応援に努めている。

 

 

なんといっても、もともと野球少年は、今でも気持ちは野球少年なのだ。

応援には力が入る。

ことしは組み合わせ抽選の関係で2回戦からの出場だ。

しかし、相手チームは伝統的な専大付属高校(元専大京王高校)。

56年前、当時はシード校の3年生の時に15対0の3回コールド負けをした相手チームだ。

リベンジの気持ちで現役に試合を託した。

 

 

4対2でリードしていた9回の表、2アウトで2塁3塁。相手バッターがライト前のヒット。

3塁ランナーに続いて2塁ランナーもホームへ突入。

ライトからの見事な返球で、一瞬同点かと思った瞬間、タッチアウトでゲームセット。

同点を阻止した捕手の突き上げる右手、同点を信じてホームに突入した選手が倒れこむ。

一塁上でヒットを打った選手と傍らのコーチのうなだれる姿。

私はおぉーと大声で吠えるように、複雑な気持ちで写真に納めた。

4対3。56年ぶりの見事なリベンジ・シーンだった。

 

 

 

続いて3回戦の相手校は都市大付属高校。

 

 

これも手堅く5対2で勝った。

今この原稿を書いてるときに、鎌倉は小雨や大雨の中、八王子で行った試合で

松が谷高校が勝った。

明日の4回戦の相手校も同じ都立だ。

さてと都立同士の試合は、いったいどうなることだろう。

 

【そして……】

 

 

雨の心配をよそに、立川球場では予定通り12時半から試合は始まった。

連投の相手投手に手こずりなかなか打ち込めない。

まず我々が先取点取れば、有利に展開ができると思ったが、

4回に1点取られた。

6回に同点のまま息詰まる展開。

 

 

8回に大事なところで相手のエラーで逆転。

9回にも1点取り、3対1で勝ちました。

 

 

おかげさまで、西東京のベスト16.快挙でした。

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 22:09 | comments(0) | - | - | - |
【再掲載】 この療養所に入るとハンセン病患者は一生外部に出られなかった。

 

最近、ハンセン病元患者の家族が差別を受けたことに関する裁判で国が責任を認めた。

裁判の結果、政府は控訴しないことにした。

 

このことを受けて、この春に清瀬にある「国立ハンセン病資料館」のある『多摩全生園』を訪問した話を、ここに再掲載する。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「今日の吟行句会を企画した幹事は偉いわね。花鳥風月でなく、ちゃんと生と死を考えている」

早朝出かける私を玄関で見送り、家人はひとこと言った。

 

『まだん』という俳句連がある。『ソウル俳句会』の帰国仲間が中心の会だ。

「まだん」とは韓国語で「庭(ひろば)」と言う意味になる。

 

 句会の幹事の貫(ぬき)韓山先生。

 

今日の吟行句会は西武線沿線の清瀬にある「国立ハンセン病資料館」のある『多摩全生園』。

この療養所はハンセン病患者の収容施設だ。

 

 

らい病は今や死語になったが、昔はハンセン病患者は一度療養所に収容されると、

一生そこから出ることはできなかった。

 

ハンセン病は感染力が弱く遺伝もしない。今では適切な治療で完治する病気だ。

平成8年の「らい予防法」廃止まで、国の隔離政策が続き差別と偏見を助長してきた。

設立時は武蔵野の雑木林が生い茂る中、東京ドーム8個分の広い園内は3万本の樹木がある。

あまり、よく知られていないが、ここには、とてもむごい歴史が刻まれている。

患者の居住地の周りには深い堀が掘られ、内側はその土で盛り逃亡を防止した。

居住地の周りには、いまは背の高くなった樫の木が植えられている。

 

 

 

園内には静かな街並みの中、教会、お寺、神社と、いかなる宗教も受け入れた地区がある。

 

 

には風呂の設備や、いまは使われていない図書館もある。

ハンセン病は、現在は治療法も確立されて、早期発見と適切な治療で、

後遺症を残さずに治すことができる。

 

 

しかし、今なお、ハンセン病の後遺症などで療養所に居住している方が相当数居住しているという。

 

 

住居には政治家のポスターなどがあり、ある意味で生活感もある。

 

 

春の日差しの中、介護スタッフに守られて散歩されている方を見ると、

母の高齢者ホームの施設を訪問したような錯覚を覚える。

 

ハンセン病資料館の中は、むごい生活を表現した模型や、患者をサポートする器具など展示してある。

すべて撮影禁止になっている。

 

親や兄弟と一緒に暮らすことができない。

実名を名乗ることができない。

結婚しても子供を産むことができない。

一生療養所から出て暮らすことができない。

死んでも故郷のお墓に埋葬してもらえない。

 

むごい歴史包まれたハンセン病療養所の資料館を訪ねた。

 

 

近くには面会人の宿泊所もあった。

ここの電話ボックスには、電話機がまだ残っていた。 

 

 

平成8年に「らい予防法」は廃止されたが、まだ問題はいろいろと残っている。

複雑な気持ちを感じながら資料館を出て、参加者全員で記念写真。

句会場へ向かった。

 

 

私の気持ちに重なった仲間の句を勝手に選んでみた。
見送りはここまでとあり樫若葉 
癩という一生ありし新樹かな

命継ぐ蒲公英の絮天高く

望郷の丘にさまよふ黒揚羽

樫の木に悲しき話若葉風

絶望の中で生きるや春の果て

捨てられて故郷遠き赤つつじ

全生園歩む患者に若葉風

電話無き電話ボックス黙の春

積年の怨みをはらむ梅古木

なりんぼうは今無き言葉春の風

 

 

緑立つメタセコイヤは秘話語る 武舟

 

| team-mamiya | from-mamiya「その他」 | 15:38 | comments(0) | - | - | - |
ことし初めて、久しぶりの原村。面白い方を紹介されました。童顔の学者さんだった。

 

 

6月になると原村の友人の広瀬英明さんのことが思い出される。

彼が逝って、もう5年になる。

 

 

諏訪湖の湖畔の小高い慈雲禅寺の境内にある納骨堂を訪問した。

静かな古刹の納骨堂に静かに彼は眠っている。

原村仲間の後輩の野田英夫さんは、初めての慈雲禅寺のお参りになる。

 

 

ここは京都か鎌倉かと目を疑う雰囲気だという。

原村在住の小林節子さんと3人で静かにお参りができた。

 

そのあとは原村で一人の友人が新しい仲間と私を待っている。

原村移住体験ツアーで出会った女性と結婚して、原村に家を建てた清水寛さんだ。

彼は高校時代の野球部から大学通じて、

いままで付き合いが続いている私の友人の会社の元部下だった。

原村へ移住する以前から会っていて、よく知っていた。

その清水さんが私に紹介したいという方が大学名誉教授の細川英雄さんなのだ。

 

 

北杜市に住む知人が添付PDFの本を出版しました。

ご興味がある方で、読後ご感想をいただける方には

著者から本を贈呈させて頂きます。

「対話をデザインする」というタイトルの著書だ。

ちょうど私も「忘れられない60のセリフ」をテーマに執筆に勤しんでいるので興味を抱いた。

 

「感想を書いても良い」と清水さんに連絡したら、すぐに本が手元に届いた。

読み始めると、タイトルは少しイメージが遠い、

私にとっては本格的な哲学書に思えた。

細川さんのご専門が「言語文化教育学」で、その関係の著作が多いのだ。

しかし、どんな方なのか、近々原村へ行く用事があるので、

その時にお会ってお話ししましょうと。

その約束がその日だった。

 

 

私が宿泊するペンション(さんどりよん)で待ち合わせた。

白髪で白いあごひげを蓄えて、カジュアルなセーターにチノパンでニコニコと待っていた。

私より5歳若い。少し人懐っこい若干童顔の紳士だった。

 

コーヒーを飲みながら、私の感想の前にいろいろと質問を重ねた。

いつもは学術書の執筆が多いのだが、今回は一般書として楽しんで挑戦したと。

本文は固い表現が続くが、外人の若者に日本語を教育するケースを、

いくつものエピソードで紹介している。

エピソードは文章のリズムは本文と異なり、私が書いているエッセイの調子に近く、

すんなりと頭に入ってくる。

 

「対話は自分の興味関心から始まる」

インドネシアからの留学生が「多摩川に鮎を放流する」新聞記事を教材に持参した。

その記事を対話の材料として議論したところ、

その学生が自国の自然破壊にとても関心を持っていることが分かった。

その学生はスマトラ島の熱帯雨林で起こる森林環境が侵されて、

希少な野生動物が絶滅の危機に追い込まれている。

この内面のテーマで環境問題レポートを書き上げ、

のちの京都大学工学部に進み工学博士の学位を取得した。

その後祖国へ戻り。今では政府高官になっている。

 

「ちくま新書」刊。コアターゲットは編集部は40代から50代の男性を想定したが、

ご本人は特別にターゲットを定めた意識はなく広く読者にアピールしたという。

日頃、職業柄ターゲットを意識する私も、今回は細川さんのいう通りと感じた。

 

12の外国人と日本語のエピソードを中心に、本文は哲学的な内容で展開をしていく。

ご本人はマニュアル的な方法は避け、反マニュアルで描いたという。

言語文化教育にご興味のある方に進めたい。

私のいた広告業界にも共通する議論もあり、あっという間に読み終えた。

 

 

紹介してくれた清水寛さんは、原村以前に横浜であったときに頂いた、

「寝児(ねこ)」という写真集を出版している。寝ている猫のかわいい表情がいい。

 

 

さて、夕方から「八ヶ岳農場を愛する会」の仲間の久しぶりの宴会だ。

 

 

会長の小林節子さん、農場の高橋昭さん、放送作家の野田英夫さん、

ペンションオーナーの山中裕敏さんが今宵のメンバーだ。

 

 

原村の住人の小林さんは、3年前に「女ひとり古希に家を建てる」を出版している。

かつて東京でアナウンサーとして活躍していた2011年頃から月刊『すこーれ』で、

毎月書いていたエッセイ60編を、古希の歳に本にしてみましょうと、

編集長の甲斐幹雄さんに誘われて一冊の本にした。

 

タイトルはちょうど長い間住んでいたペンションとホールを手放して、

近くに新しい家を「終の住処」として建設中だった。その思いをタイトルにした訳だ。

50年も学生時代からお付き合いしている私としては、彼女のこれまでの生き方を見ていて、

「小林節子の出たとこ勝負」が良いと言い張ったが、無視された。

男っぽいタイトルよりも女っぽいタイトルになった。

 

 

最後の部分に「回遊魚1.2は愉快なきょうだい的同志」と私との出会いから、

最近の触れ合いを4ページに軽いタッチでまとめてくれている。

もちろん回遊魚1号は私、回遊魚2号が節子さん。

回遊魚0号は節子さんの師匠の永六輔さんなのだ。

 

私にとっては、最初から最後まで、ほぼ見聞きしていた内容なので親しみを込めて読める本だ。

 今週は「人となりと本」という報告になった。

 

私の目指している「忘れられない60のセリフ」で語る人生の歴史は、しばらくはお預けだ。

| team-mamiya | from-mamiya「原村のイベント」 | 17:32 | comments(0) | - | - | - |
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